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松浦先輩に惹かれている。
自分で、そう認めた。
…認めたんだ。
「あれ、葵、ちょっと待てよ!」
後ろから陸の声に聞えるけれど、それを無視して僕は廊下を逆走した。
今から移動教室なのに、出たばかりの教室へ向かって猛ダッシュ。
…だって…、だって廊下の先に松浦先輩がいたから…!
昨日の昼休みに自分の気持ちを認めてからというもの、恥ずかしすぎて松浦先輩と顔を合わす事が出来なくなってしまった。
結果、こうやって先輩の姿を見かけるたびに、その場所から逃げ出す。
何やってるんだ、って自分でも思う。思うけれど、体が勝手に反応してしまう。
考えてみれば、これは僕の初恋だ。
人を好きになる事がこんなにも苦しくて恥ずかしいものだなんて、僕は知らなかった。
「…ハァ…ハァ…ハァ…」
誰もいなくなった教室に駆け込んでドアを閉め、そのドアに凭れかかって呼吸を整える。
きっと陸は呆れて先に行ってしまっただろう。
いつも迷惑かけて、本当に悪いと思う。
でも、今回ばかりはどうにも自分の行動を制御できない。
「…どうしよう」
昨日からずっとこんな調子で、あの鋭い先輩達が気付かないはずはない。
教科書を抱えて項垂れた。
…カタン…
突然、凭れかかっていたドアから小さく音が鳴った。
ビックリして身を離し、一歩後退ってドアを見つめる。
静かにゆっくりと開いたドアの向こうにいたのは、
「……名波先輩」
さっき、松浦先輩と一緒に廊下を歩いていた名波先輩だった。
咄嗟にその背後を見たけれど、松浦先輩の姿は無い。
それに安堵している僕ってどうなんだ。
「葵ちゃん。昨日から俺達の姿を見るたびに逃げてるけど、原因は俺じゃなくて、エン…だろ?」
「………ッ」
名波先輩の直球に息を飲み、教科書をグッと握り締めた。
そんな僕を見た先輩は小さく苦笑し、
「最初は俺が何かしたのかと思ったけど、葵ちゃんの目線はエンを見てたからね、わかった」
呟くようにそう言った。
僕の気のせいか、先輩の声がどこか寂しそうに聞こえる。
突然の事に頭の中がグチャグチャになって、どういう表情をしたらいいのかもわからなくて、隠すように俯いた。
「エンもそれに気付いてた。だから…、苦しそうだった」
「……ぇ…ッ」
咄嗟に、俯けていた顔を上げた。
僕の目に映る名波先輩も、苦しそうに眉を顰めている。
そこで気付いた。
…僕の弱い心が…、先輩達を傷付けてるんだ…、と。
自分の事しか考えていなかった。
僕がとる行動によって、先輩達がどう思うかなんて、まったく考えていなかった。
…なんて自分勝手な…。
あまりの愚かさに泣きたくなる。でも、今の僕に泣く権利なんてない。
先輩達の事を傷付けておきながら、まるで自分が被害者かのように泣くなんて、絶対にしちゃいけない。
間違えちゃいけない。
これは、僕が悪い。
「ごめんなさい。…自分の中で混乱する事があって…、逃げてしまいました」
そう言って頭を下げる。