ハスク王に迎えられ
「女神ローレイ様、どうかヴェリシアに祝福をお与え下さい」
老司祭の言葉にみなもは頷くと、祭壇に立ち、マクシムの頭上に杖を掲げる。
息を大きく吸い込み、腹部に力をこめた。
「我が愛しきヴェリシアの民よ。我はこれからもヴェリシアの大地となって、とこしえの繁栄と豊穣を約束しましょう……ヴェリシアに祝福あれ!」
みなもが言い終わると同時に――。
――パンッ、パンッと弾ける空砲の音と、四方から広場に待機していたラッパ隊のファンファーレが鳴り響く。
少し遅れて、人々から大地を揺るがすような大歓声が上がった。
(ふう……間違えなく言えて良かった)
祭壇から下りて、みなもは盛り上がる人々を眺めながら息をついた。
後は現王のエスコートを受けて、ハスク王に扮した者とともに広場を一周してから城内へ行くだけ。
何も難しいことはない。少し肩の力が抜けたみなもの隣へ、マクシムが並んだ。
『余のワガママに付き合わせてしまって悪かったな。男の姿ではないみなもを、どうしても見たかったんだ』
人に聞かれぬよう、マクシムが小声で話しかけてくる。
初めて会った時と変わらない気さくな態度に、みなもはわずかに吹き出した。
『こんな貴重な機会を頂けて嬉しかったです。それに……私は心のどこかで女性に戻ることを恐れていました。でも今回のことで、その不安もなくなった気がします。マクシム様、ありがとうございます』
みなもが微笑んでみせると、マクシムは人懐っこい笑みを返した。
『そうか、それは良かった。では次に余と会う時は、街の娘たちと同じ格好をしてきてくれ。楽しみにしているぞ』
……この姿を見ただけじゃあ、まだ足りないのか。
みなもは苦笑しかけた顔へ力を込めて、強引に破顔してみせた。
『はい、いつか必ず。……ご期待に添えるか分かりませんが』
『男の姿でも十分美人なのだから、女性の姿ならもっと美人になるハズだ。今のその姿が何よりの証拠だ』
マクシムは軽く拳を握って力説してから、ふと我に返って咳払いした。
『あまり言い過ぎると、レオニードに嫉妬されそうだ。生真面目なヤツのことだ、余がみなもを口説いて妾妃にするんじゃないかと大いに悩む気がする』
普通はそこまで考えないだろうと思いたいところだけれど、レオニードなら、やつれるまで真剣に悩みそうな気がする。
クスリとみなもは笑い、『そうですね』と頷いた。
辺りに再びファンファーレが鳴り響き、人々から新たな歓声が沸き起こる。
城門のほうへ目を向けると、ハスク王に扮した青年が白馬に乗り、舞台を目指す姿があった。
みなもは彼の到着を、目で追いながら待ち構える。
近づくにつれて見えてくる彼の顔に、思わず目を見張った。
『まさか、あのハスク王は……レオニードですか?』
驚くみなもの隣で、マクシムがニヤリとほくそ笑む。
『みなもを驚かせようと思ってな、秘密裏に話を進めていたんだ……アイツは嘘がつけんから、この役目を知らせたのはつい最近だ』
もしかしてこの一週間、建国祭の準備をするフリをして、ハスク王の衣装合わせをしていたのだろうか。
女神のことで頭がいっぱいになっていて、レオニードの動きに気づかなかった。
みなもは彼の顔を真っ直ぐに見つめると、表情を和らげた。
(元々、目立つことを好むような人じゃない。きっと俺以上に緊張しているだろうな)
同じ緊張と恥ずかしさを共有していると思うと、なんだか嬉しくなってくる。
それに――。
(レオニードには悪いけれど、マクシム様には感謝しないとね。この姿を一番近くで見てもらえる)
許されるなら、このままレオニードに駆け寄って抱きつきたい。
そんな衝動を抑えるように、みなもは杖を持つ手に力を入れた。
舞台の足元に到着すると、レオニードは馬から降り、硬い足取りで階段を上ってくる。
美しく金糸の刺繍で飾られた、紺青の軍服。
乳白色のマントを胸元で留めているのは、大きな青玉を光らせたブローチ。
欲目を抜きに見ても、その勇壮な姿はどんな騎士よりも凛々しく、数多の困難に打ち負かされることのない力強さを漂わせていた。
水色の瞳が、しっかりとみなもを捕らえてくる。
視線を合わせた瞬間、急に己の鼓動が早まり、顔に熱が集まってくるのが分かった。
今日、一番緊張しているかもしれない。
そんな自分を心で苦笑しながら、みなもはわずかにはにかんだ。
レオニードはみなもとマクシムの前に立つと、硬い動きで右手を差し出した。
「我が妻よ、迎えに来た。……これよりともに天上へ戻り、我らの大地を、民を、守り続けよう」
緊張しているのか、動きだけでなく声も硬い。
しかし、その硬さが逆にハスク王の威厳となり、場の空気によく馴染んでいた。
スッと隣に並んだ従者の少年が、膝をつき、空の両手を差し出す。
みなもは少年に杖を渡してから、マクシムに体を向け、ドレスの裾を摘み上げて一礼する。
そしてレオニードに近づき、そっと彼の手を取った。
顔を上げると、こちらを見下ろしていたレオニードと目が合う。
彼はどこか眩しそうに目を細めながら、口元に柔らかな微笑みを浮かべていた。
『よく似合っている。……想像していたよりも綺麗で驚いた』
さらりとお世辞を言えるような人ではない。
それが分かっているからこそ、彼の言葉を素直に受け入れることができる。
ただ、妙に気恥ずかしくて、「ありがとう」と受け入れる言葉が出せなかった。
と、レオニードは少し屈んで、みなもの耳元へ顔を近づけて囁いた。
『みなも、俺の首に腕を回してくれ』
言われるままに、みなもはレオニードへ抱きつく形を取る。
次の瞬間、体がフワリと浮かび、一気に視界が高くなった。
ちょっと顎を動かせば口付けられるほど、二人の顔が近くなる。
さすがに公衆の面前でやる勇気はなかった。けれど――。
みなもはレオニードの肩首に顔を埋めると、ギュッと腕に力を込めた。
『レオニードもその格好、すごく似合ってるよ。まさか貴方が相手だと思わなくかったけれど……一緒にこの場に立てて嬉しいよ』
こちらの言葉が、人々の大きな歓声にかき消されそうになる。
しかしレオニードの耳にはしっかり届いたらしく、頷く気配があった。
大きく揺れないよう、レオニードがゆっくりとした歩みで馬へと戻っていく。
一歩進むたびに、新たに周囲の歓声――特に女性たちの甲高い声――が飛び交い、二人を包み込んでいった。