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取り引き

    ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 足音を響かせながら、みなもとキリは無言で歩いていく。

 隣りの建物へと続く渡り廊下を進んでいくと、左右へ規則的に扉が並ぶ廊下へと出た。

 いくつか扉が開きっぱなしの部屋から、ほの暗い明かりが溢れている。


 前を通り過ぎる際、みなもは部屋の中を見やる。

 どの部屋も簡素なベッドしか置かれていない。見るからに湿気を帯びたシーツや布団が、やけに重そうだった。


 そして今にも透けそうな薄布をまとった若い女が、ベッドへ腰かけ、精気のない目で虚空を見つめていた。

 白く塗られた肌に、不自然なまでに鮮やかな赤い唇が浮いているように見える。


 みなもは小さく鼻を動かし、淀んだ空気を胸に入れた。


(ここは娼館か……懐かしいな、この空気)


 仲間の情報を集めていた時に、こういった類の所へ出入りしていた時期がある。

 娼婦たちの体は大切な金づる。病気にならないよう注意を払っているという経営者の話を聞き、常備薬を定期的に売り込んでいた。


 あの時は、自分に縁のない世界だと思っていたのに。

 ため息をつきたくなるのをグッとこらえ、みなもは更に顔を仮面のように固めていった。


 突き当りの扉が閉ざされた部屋まで行くと、キリは手早く扉を開け、中を見回して人がいないことを確かめた後、みなもを引きずり入れる。


 娼婦たちの小部屋を二つ合わせた程の、大きな部屋だった。

 元は荷物置きだったのか、隅には使い古しのシーツや、何が入っているのか見当もつかない木箱などが山積みになっている。


 ベッドの上で乱れたままのシーツに、脱ぎ捨てられた衣服が散乱している。

 だが、情事の後というよりは、ずぼらな男性が生活しているだけのような印象を受けた。


 不意にキリが、ポンと肩を叩いてきた。


「少しでもオレに逆らえば、クリスタがどうなるか……賢いアンタのことだ、分かっているだろ?」


 返事をする気にもなれず、みなもはキリから視線を逸らす。

 未だに顔を隠したままで表情は伺えないが、きっと優越感に浸りながら、色めき立った目でこちらを見ているのだろう。


 キリに気付かれないよう、みなもは右の袖口を指で探り、小さな針を取り出す。

 その先端には、体を脱力させて身動きを取れなくする毒が塗られていた。少なくとも三日は動けなくなる。


(さあ、もっと俺に近づいて来い。確実にこの毒を打ち込んでやるから)

 

 こちらの狙いに気づいた様子もなく、キリがこちらへ顔を近づけてきた。

 そして耳へ吐息がかかるほどに口を近づけ、かろうじて聞き取れる声で囁いた。


『オレの話を聞いてくれ。アンタと取り引きがしたい』


 取り引き?

 毒針を持った手を上げようとして、みなもは思いとどまる。


 同じように声を落とし、『分かった』とみなもが呟くと、キリは前から抱き締める形を取って体を密着させてきた。


『悪いな、こうでもしないと腹を割って話ができねぇ。ゲイルは疑り深いからな、部下を使ってオレを見張っているハズだ。今も扉の前で聞き耳を立ててるかもしれん』


 今のところ、扉の向こうから気配は感じられない。だが、十分考えられる話だ。

 みなもが頷いてみせると、キリは「良い子だ」とこちらの腰に手を回し、ベッドへ移動する。


 もしかすると、油断させるための演技かもしれない。

 いつでも攻撃に転じられるよう毒針を指で挟んだまま、みなもはキリの動きに合わせた。


 と、おもむろにキリがみなもをベッドへ押し倒し、間髪入れずに上へのしかかって来た。


 急な重みに鼓動が驚き、大きく脈打つ。

 息が詰まって思わず眉間に皺を寄せると、キリが「あ、悪ぃ。力が入り過ぎた」と軽く流し、人の頭を撫でてきた。

 

『不要に触るな。さっさと要件を言え』


 我慢できずにみなもが話を促すと、キリは息をついてから耳元で囁いた。


『ここの連中には、オレの目的はアンタだと言ってあるが……本当はオレの獲物はアンタでも、女神の衣装でもない』


『何だって? 一体何を狙ってる?』


『詳しくは言えねぇ。まあ、アンタの目的とはぶつからないってことは確かだ』


 己の手の内を見せないキリにムッとしたが、下手に理由を言われるよりも信憑性はある。

 みなもが押し黙っていると、キリがさらに言葉を続けた。


『オレとしては、アンタが暴れてくれたほうが目的を果たしやすいんだよ』


『なるほど。つまり連中の目を逸らすために、俺を利用したいって話か』


『ハッキリ言えばそういうことだ。オレはアンタの邪魔はしねぇし、暴れるための下準備ぐらいなら協力してやる。どうだ、悪い話じゃないだろ?』


 確かに悪い話ではない。キリが敵に回らないだけでも、身動きが取りやすい。

 ただ、この男の言うことを素直に信じる訳にはいかない。


 少し探りを入れてみたほうが良さそうだ。

 みなもは小さく唸ってから、囁き返した。


『俺が大人数を相手に、暴れられると本気で思ってるのか? あっさり取り押さえられて、お前の足を引っ張るかもしれないのに――』


 話の途中で、キリがフッと鼻で笑った。


『その心配はこれっぽっちもしてねぇよ。ナウム様がアンタのことを「使えるヤツだ」って褒めてたからな』


 どうしてここでナウムの名前が出てくるんだ!?

 驚きで押し黙るみなもをよそに、キリは笑いを堪えて腹を震わせる。


『オレは情報屋なんだよ。つい最近までヴェリシアとバルディグが争ってたからな、ナウム様は金払いの良いお得意様だったぜ』


 ナウムの邸にいた時、各地に密偵を潜ませているという話を聞いたことがある。

 直属の部下だけでなく、金で現地の人間を雇って情報を集めていたらしい。


 以前にナウムが城下町で接触した際、キリと会って話したのかもしれない。十分に考えられる話だった。


『詳しい話は教えてくれなかったが、アンタ、もっと色んな毒を使えるんだろ? どれだけ大人数でも、それを使えば楽勝なんじゃねぇの?』


 ……勝手に俺の手の内を人に言うな、ナウム。

 憎らしい顔が脳裏を過ぎり、みなもは頬を引きつらせる。


 と、不意に嫌なことを想像してしまった。


(まさか、コイツがナウムってことは……)


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