キリの報酬
ゲイルは光を一切受け付けないような、黒く濁った瞳をキリに向けた。
「おお、兄弟。よく無事に戻ってきてくれたな」
「当然だ。アンタの段取りが良かったから、コイツを奪うのも楽勝だったぜ」
キリは言いながら手にしていた荷袋から、女神の衣装や装飾品をひとつずつ取り出し、机の上に置いていく。
全てが並び終わった後、ゲイルは満足気に口端を上げた。
「良いなあ、この輝き……間違いなく本物だ。よくやってくれた。それにお前の目的も果たせたようで何よりだ」
不敵な笑みを浮かべたまま、ゲイルが視線をみなもへ移す。
そして全身を舐め回すように、こちらを凝視してきた。
キリの目的?
嫌な予感しかせず、みなもが顔を引きつらせていると、キリが肩を抱いてきた。
「男にしておくのがもったいないくらいの美人さんだろ?」
「ああ。お前が金はいらんから、そいつが欲しいと言った時は正気を疑ったが……確かにそのツラなら、仕込めば高値で売れる」
……ナウムといい、キリといい、俺はどうして一癖ある厄介な男に目を付けられるんだ。
ゲイルの嘲笑めいた声を聞きながら、みなもは嫌悪で眉をひそめてキリを見やる。
人が抵抗しないのをいい事に、キリがこちらの髪に指を絡めた。
「他のヤツに売るだなんてもったいない。コイツはオレがずっと可愛がってやるんだよ」
やめてくれ。そんなナウムが言いそうなことを言うな。
キリの戯言を聞いていると、自分がバルディグでの日々に戻ってしまったように感じてしまう。
こちらの意思など無視して、ただナウムが己の渇いた欲を潤すために、何度も体を弄ばれた日々に――。
(やっと忘れかけていたのに、思い出させてくれるな)
キリたちに気付かれないよう、みなもは奥歯を噛み締めて怒りを堪える。
今、怒り任せに反撃しても、クリスタを人質に取られてしまうだけ。しかも彼女が毒のとばっちりを受けてしまう可能性が高い。
とにかく感情任せに動いてしまわぬよう、冷静に機を見なければ。
みなもがそう思っていると、ゲイルは後ろのクリスタへ視線を定めた。
「クリスタ、協力してくれて感謝するぜ。お前の取り分はねぇが、オレの女になるなら宝石でも服でも、好きな物を買ってやる。ありがたい話だろ?」
ごくり、とクリスタが息を呑む音が聞こえた。
「い、嫌よ。お金も物もいらないから、私とみなもをここから解放して」
今にも消え入りそうな、小さく震える声。
きっと振り返れば、クリスタが青ざめた顔をしながら、毅然とした目でゲイルを睨んでいるだろう。そんなことが容易に想像できた。
ゲイルは立ち上がり、人差し指をチョイチョイと動かす。
グイッと背後の男に強く押され、クリスタがみなもの隣へ並ぶ形になった。
視界の端に入った彼女の細腕は後ろ手に回され、男の手がしっかと抱え込んでいた。
スウッ――ゲイルは目を細めて冷笑を浮かべると、手を伸ばしてクリスタの顎を掴む。
「このオレたちが、売れば金になる物を手放す訳ないだろ。お前はその顔だけでも十分に価値はあるが、まだ男を知らないっていう点でも高値は間違いない」
「……嫌っ、離して!」
声を詰まらせ、クリスタがゲイルの手から逃れようと小首を振ろうとする。
しかし力及ばず、離れるどころか、より強く指が柔らかな肌へ食い込んだ。
「クリスタ……もうこの間のお仕置きを忘れたのか? いいだろう。今度はもっと厳しく躾けてやる」
笑っているが、この男の目は本気だ。
このままではクリスタが別室に連れられて、酷い暴力を受ける羽目になる。
このまま静観はできないと、みなもは口を開いた。
「ふうん。随分と器の小さな男だな」
ゲイルは虚を突かれたように笑みを消して、こちらを睨みつける。
「……何だと?」
「力づくでないと、ひとりの女性すら従えないんだろ? 同じ男として情けないね」
そう言うとみなもは鼻で笑い、見下した目でゲイルを見た。
彼の顔がみるみる内に赤くなり、激昂の色を濃くしていく。
狙い通り、クリスタからこちらに怒りを移してくれた。
この調子なら拳が飛んでくるかもしれないが、それでいい。
彼女が傷つくよりも、自分が痛い思いをした方がマシだった。
ゲイルが体をこちらへ向け、拳を握って腕を引く。
殴られる衝撃に耐えようと、みなもが強く歯を食いしばると――。
「ゲイル、オレがせっかく手に入れたお宝を傷つけるのはやめてくれ」
キリが肩を抱いたままの手を引き、みなもの体をわずかに後退させる。
そして、こちらを庇うように前へ出ると、肩を軽くすくめた。
「もう歯向かわねぇよう、オレがしっかりと躾けてやる。次にここへ連れて来る時は、心から喜んでアンタの靴に口付けるようになってるぜ」
一瞬ゲイルは眉を潜めたが、すぐに笑みを浮かべ直した。
「そいつは良い。一日だけやるから、存分に仕込んでこい」
「楽しみにしていてくれ。……ああ、そうだ。良ければクリスタの躾はもう少し待ってくれないか? コイツの変わり様を見て、どんな顔をするか見てみたい」
興味をそそられたのか、ゲイルが舌舐めずりする。
「たまには趣向を変えてみるのも面白そうだな。分かった、楽しみは後で取っておくとするか」
話がついたらしく、キリはみなもを拘束するよう、肩を抱く手に力を加える。
痛みに思わず顔をしかめつつ、みなもは小さく息をつく。
取りあえずクリスタが傷つけられるのは回避できた。
後は自分の身を、全力で守らなければ……。
バルディグの悪夢再来だけは、どうにかして避けたい。
キリに引っ張られて部屋を後にしながら、みなもは次に打つべき手をいくつも考えていた。