表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/31

消えた二人

    ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 わずかに山際の空に赤みが差し始めた頃。

 レオニードは荷袋を持ち、街の広場から南に外れた市場へと向かった。


 夕食の材料を買い込む女たちで賑わう中、一点を見据えたまま黙々と歩いて行く。

 周りを見ずとも、行き交う人たちが好奇の視線を投げかけているのが分かる。

 この時間帯に、市場で働く以外の若者が歩き回ることが物珍しいのだろう。


 みなもと出会う前までは男性ばかりに囲まれ、戦に備えて鍛錬を続ける生活を送っていた。それだけに、こんな場所へ一人で来る機会がなかった。

 別に後ろめたいことはないのに、気分が落ち着かない。早く目的を果たして家へ帰りたかった。


 市場の中ほどまで進み、レオニードは右側に伸びる細い路地へと入る。まだ昼間だというのに薄暗い。

 しばらく歩いていくと、突き当りに一件の店があった。


 出入りする扉の斜め上に、灯りの点いた小さなランプがかかっている。これがなければ、店が開いているのか閉まっているのか判断がつかない。


 レオニードが扉を開けると、甘いような、少し埃っぽいような、土臭いような……色々と混じり合った匂いがする。

 薬草を扱う店ならではの独特な匂い。以前はこの匂いに顔をしかめていたが、今では慣れてしまい、むしろ心が落ち着いてしまう。


 店内には様々な薬草が瓶詰めされた物が、棚へきれいに陳列されている。

 ダットの町を訪れた際に立ち寄った店と比べると品数は少ない。その分、店内の手入れが行き届き、清潔感が漂っていた。


 カウンターに人の姿はなかったが、奥でゴソゴソと誰かが動く気配があった。

 しばらくして、奥から若い男が頭を掻きながら現れた。


「いらっしゃい……ん? なんだ、レオニードか」


 こちらの顔を見た途端、彼の顔から力が抜けた。


 この小柄でボサボサ頭の青年は顔見知りだった。

 自分とはさほど親しくはないが、彼はボリスの幼なじみで、子供の頃は何度か一緒に遊んだこともある。


 そんな彼が街一番の薬草店の主だと知ったのは、つい最近――作った薬を卸しにこの店へ来て、初めてわかったことだった。


 レオニードは青年の前に立つと、腰に下げていた皮袋から小瓶に入った粉薬をいくつか取り出し、カウンターの上に置いた。


「頼まれていた薬を持って来た。納めてくれ」


「おっ、ありがとさん。早い仕事で助かるよ」


 青年は笑みを浮かべると、その場へしゃがみ、カウンター下をまさぐり始める。

 チャリチャリと硬貨のこすれ合う音を鳴らしながら、彼は話を続ける。


「みんな建国祭になると、浮かれてハメを外すからな。だから祭りの次の日は、二日酔いの薬がよく売れるんだ」


 確かに建国祭になると、ここぞとばかりに酒をあおる人間が大勢出てくる。

 ……去年も、その前の年も、酔い潰れた仲間たちの介抱をしていたことを思い出し、レオニードは小さく息をついた。


 鈍い動きで立ち上がり、青年は「また頼むよ」と小瓶と同じ個数の銀貨を差し出した。

 レオニードが受け取ってすぐに皮袋へ入れていると、青年が薄く笑いながら生温かい視線で見つめてきた。


「どうしたんだ? 言いたいことがあったら言ってくれ」


「いやー、まさかレオニードと取り引きする日が来るなんて、と思ってさ」


 からかうように青年が肩をすくめる。


「だってお前が兵士を辞めたなんて、未だに信じられないんだよ。マクシム様にも一目置かれていたって、ボリスから聞いているし」


 レオニードはわずかに苦笑を浮かべる。

 退役が決まってすぐ、ほとんどの兵士仲間が同じようなことを言っていた。


 確かに数カ月前の自分なら、兵士を辞めるなど考えもしなかった。

 自分でさえ想像できなかったのだから、他の人間が驚くのも無理はない。


 そんなことを考えていると、青年が声を落として言葉を続けた。


「一つ聞くけど……お前、みなもさんを恋人にしたって本当なのか?」


 思わずレオニードの体が強張る。しかし、どうにか動揺を抑えて平然とした表情を保つ。


「……その話、誰から聞いたんだ?」


「誰からって言われてもなあ。多分、街にいる半数以上の人間は知ってる話だから」


 …………。

 街の半数以上の人間が?

 予想を遙かに上回った答えに、レオニードは目を丸くする。


 みなもが城の藥師たちを手伝っていた頃から、そんな話が侍女たちの間で囁かれていたことは知っていた。

 その程度なら言わせておけばいいと思っていたが、ここまで規模が大きくなるのは計算外だった。


 彼女とともに生きることを、恥じる気持ちはない。

 ただ、男同士であるという誤解を抜きに考えても、数多の人間に自分たちの関係を知られているのは、何とも落ち着かない。


 レオニードは軽い頭痛を覚えてこめかみを押さえた。


「どうして噂がこんなに広がっているんだ?」


 思わず呟くと、青年が意外そうに小首を傾げた。


「当事者なのに知らないのか? つい最近、街で――」


 彼が言いかけたその時。

 バンッと荒々しく扉が開いた。


 振り返ると、そこには激しく息を切らし、大きく肩を上下させるボリスがいた。

 いつものにこやかな表情はなりを潜め、必死な形相を浮かべている。


 一目見て、何か問題が発生したのだろうと察する。

 それと同時に嫌な予感が、レオニードの全身を駆け巡った。


「探したよ、レオニード。すぐ来て欲しい、大変なんだ」


「ボリス、一体何があったんだ?」


 レオニードが駆け寄って尋ねると、ボリスはわずかに呼吸を整えて答えた。


「ついさっき、賊が入ったんだ……パレードの女神の衣装を作っている仕立て屋に」


 確か今日は衣装合わせのために、みなもが仕立て屋へ行っている。

 顔から血の気が引いていくのを実感しながら、レオニードは息を呑む。


「ケガ人はいるのか? みなもは無事なのか?!」


「眠り薬を使われたみたいで、店の人にケガはなかった。ただ――」


 ボリスは眉をひそめ、小さく首を振った。


「みなもさんとクリスタの姿が見当たらないんだ。女神の衣装も、装飾品も……」


 あの二人が盗みを働くなんて、まず有り得ない話だ。

 衣装や装飾品と一緒に、二人が賊に連れて行かれたとしか考えられない。


 しかし腑に落ちない点がある。

 みなもは常に自衛の毒を隠し持っている。それを使えば十分に対処できたはず。それができなかったとなれば……。

 

 レオニードはグッと奥歯を噛み締めた。


(クリスタを人質に取られて、抵抗できなかったのか)


 ずっと仲間を探すために生きてきた彼女が、ようやく穏やかな生活を手に入れたというのに。

 胸の内が痛くなるほどの怒りが、体を満たしていく。


 そして同時に、何か冷たく暗いものが足首に巻き付いてくる。

 もし、すでに口封じのために殺されていたら――。


 想像すらしたくなくて、レオニードは流れる思考を止め、ボリスへ話を振った。


「賊はどこへ行ったか、見当はついているのか?」


 ボリスは口を閉ざしたまま、首を横に振る。


「警備隊が店の周辺で聞き込みしているけれど、まだ有力な話はつかめていない」


 わずかにボリスが俯き、両拳を強く握った。


「二人とも僕らにとっては大切な人だ、ジッと待つなんてできない。レオニードもそうだろ?」


「ああ、当然だ」


 レオニードが間を置かずに即答すると、ボリスは鋭く強い眼差しをこちらに向け、素早く腰から剣を取り外す。

 今まで気づかなかったが、彼の腰には剣が二本あった。


「勝手に持ち出して悪いけれど、レオニードの剣も持ってきたよ」


 差し出された剣は、確かに家へ置いてきた愛用の剣だった。レオニードは有無を言わずに剣を手にする。


 そんな切羽詰まった様子の二人へ、ずっと成り行きを見ていた青年が、「なあ」と口を開いた。


「ちょっと小耳に挟んだ噂なんだが……裏町にあるゴルバフ商会が、近隣を荒らしている賊と繋がっているらしいぞ。まあ、噂だから本当かどうかは分からないけどな」


 思わず二人は青年を見てから、互いに顔を合わせた。


「どうするレオニード?」


「行こう。ここで立ち止まっているよりも、事の真偽を確かめに行ったほうがいい」


 言い終わらぬ内に、レオニードとボリスは走り出す。

 早くなる鼓動に煽られ、焦燥感が際限なく膨らんでしまう。


 こんな非常時に冷静さを失って、良いことなど一つもない。

 レオニードは心の中で、自分へ言い聞かせるように呟く。


(みなものことだ、うまく立ち回って生きているはず。彼女の強さを信じなければ)


 細い路地を抜けて人通りの多い市場へ出ると、二人は買い物客を避けながら駆けていく。

 何人かと肩をぶつけて驚かせてしまったが、立ち止まる余裕はない。

 ただ「すまない」と言い残していくことで精一杯だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ