92 日常の狭間Ⅲ
92 日常の狭間Ⅲ
玲音が部屋をでるのと短い悲鳴が響くのはほぼ同時で篤史は階段を飛び下り玄関へと向かう。
「千代!!」
篤史は強くその名を呼んだ。返答はなく姿もない。表へと出ても誰一人としておらず走りさる車すらない。篤史は自分自身に怒りつつ携帯電話を取り出す。
「どうしたんですか?」
「なんでもない。お前ははやくチームに戻ってろ」
篤史は玲音の問いに乱雑な答えをかえし電話をかける。諦めたように家を出ていく玲音をよそに篤史は焦りを見せていた。
食堂へと戻ろうとしたところで莉磨の携帯電話は唐突に鳴り響いた。普段は使うことの少ない私用の方でデイスプレイを確認せず電話に出る。
「もしも…」
「俺だ。千代が連れてかれた」
焦るその声は聞き覚えがあるものの普段と違うからか一瞬思い出せず状況把握に遅れをとる。
「詳しく」
「ああ。突然来訪があって千代がそれに出た。短い悲鳴があったから見に行ったらその場に千代も誰もいなかった。考えられるのは移動系の特殊能力持ち」
だいぶ端折られた説明だったが莉磨は大体を理解し食堂から収集室へと進路を変更する。先程よりも速度をあげ先を急ぐ。
「移動系の能力?記憶にないわ」
「だが妖気すら感じさせず高速移動するのは無理がある」
沈黙が流れ出す。莉磨の表情は固い。収集室の扉をノックなしで開け電話から少し顔をはなす。
「緊急よ、点から点の移動が可能なやつをリストアップして。今すぐに」
それはあまりにも突然で竜一は戸惑いを見せるもすぐに頷く。モニターに向かいキーボードを弾いた。
「元を含め生存が確認されているディセントではこれだけです」
竜一はふりかえり莉磨へと告げた。
刹那は謝罪と感謝を告げようと陸番隊舎の隊長室を訪れていた。ほとんど傷はないものの扉を開ける手はふるえている。慎吾と顔を会わせたとき刹那ははっきりと理由がわかった。
単純な恐怖。
本能が告げるそれは巨大で圧倒的な戦力差を見せ付けられた時に似ている。呼吸代わりに息を飲み込み言葉をはっしようとも声はでない。薄く開かれた唇はふるえ乾きを覚える。
「気にしなくていい」
慎吾はそんな刹那に先手をうった。律儀な子だな、と無意識の内に淡い笑みが浮かび刹那を見る。
「寧ろ僕が謝らなくちゃいけなかったんだけどね」
先をこされちゃった、と慎吾は付け足した。刹那の本能はいまだ恐怖を残す。
「ありがとう、ございました」
ふるえる声で刹那は精一杯の一言を告げ陸番隊舎をあとにした。
窓の外から見える景色はいつも同じだ。時間が止まったかのようにいつまでたってもかわらない。
「ロイ…」
不意に声をかけられそこにいたのはよく知った顔で軽く笑いかけた。
「裕斗に、卓か」
見慣れた顔触れにロイはすぐ目をそらし変化のない窓の外を見る。ロイはこの変化のない景色が好きだった。思い出す一人の姿に誰かの姿を重ねながら呼吸する。理由もなく、大丈夫だ、と自分にいいきかせた。