(5)
少し古びた木の階段を下りると、一階はカフェのような造りになっていた。
温かな珈琲の香りがユメの緊張をほぐしていくようだった。
「遅かったね。パンが冷めちゃうよ」
男はすでにカウンター席に着席していて、その隣の席にはユメのためであろうトーストと珈琲が置かれていたが、男と一つ離れた椅子を選んで腰掛けて言った。
「すみません、結構です」
「折角、君のために用意してるんだから。大人の好意は受けるものだよ」
目を合わせずに俯くユメを、男が覗き込む。その皮肉っぽい笑みにユメはむっとして、男から顔をそむけた。
「怪しい大人の言うことは聞いたらいけないって、祖母がよく言っていたので」
「ひどいなあ。僕は怪しい人間どころか……」
男はカウンターテーブルに置いてあった煙草の箱から、その一本を取り出して咥え、火をつけてからユメを見て続けた。
「僕は、君の命の恩人だよ?」
男の言葉に、ユメは息を呑んだ。命の恩人――その言葉は正しいだろう。昨夜、ユメは確かに寒さと空腹に負けて目を閉じた。もし、あのまま朝を迎えていたら、ユメは死んでいたのかもしれない。
だから、男は本当に、ユメのことを助けてくれた命の恩人であり、感謝すべき相手である。
なのに、この男に対する不信感、募るばかりの不安は一体なんなのか。
呆然とするユメをよそに、男は呑気に煙草の煙を吐いた。
「そんなに怖い顔しないでよ。
別に、君から感謝の言葉がほしいとは思ってないし、金をむしり取る気なんてもっと無い」
「なら……」
ようやくユメは男の目を見て言葉を紡いだ。男の漆黒の瞳も、ユメを捉えた。
「なら、私はあなたに、何をすればいいんですか……」
ユメの声は消え入りそうなほど、小さかった。どんどん小さくなるユメの背中を見て、男は初めて優しそうに微笑した。
「そうだね。じゃあ、君の事情を聞かせてほしいな」
「え」
意外な男の発言に、ユメは思わず間抜けな声を出した。
そんなユメを見て、男はケラケラと笑って、煙草を灰皿に押し付けた。
「だから、君はどうしてあんなところで眠っていたんだい? 僕はそれが聞きたいんだ」