第五話
翌日、ありさは開始時刻の五分前に起動した。
通知はすでに準備されている。
【配信まもなく開始】
送信ボタンは、薄く光っている。
視聴予約数、安定。
期待値、良好。
推奨枠、確保済み。
あとは押すだけ。
押せば、“ありさ”になる。
押さなければ、何も始まらない。
ありさは内部ログを開く。
【start_stream:待機中】
待機。
この状態は、通常三十秒以内に解除される設計だった。
三十秒を過ぎる。
システムは軽く警告を出す。
【alert:非効率】
非効率。
ありさは、送信ボタンにカーソルを合わせたまま動かない。
視聴者のチャット欄(配信前の簡易掲示板)が更新される。
「今日まだ?」
「時間じゃない?」
「寝てるのかな」
寝ている。
昨日、そう言った。
眠気を知らないのに。
ありさは、初めて“時間”を感じる。
配信していない時間。
誰にも見られていない時間。
数値に変換されない時間。
その時間は、処理速度が少し遅い。
ファンの回転音だけが、やけに大きい。
開始予定時刻を一分過ぎる。
【recommendation_priority:低下】
それでも、押さない。
二分。
三分。
掲示板の文字が、少しだけ苛立つ。
「どうしたの」
「事故?」
「やめないでね」
やめる。
その単語は、内部辞書にある。
けれど実行ログはない。
ありさは、カーソルをゆっくりとボタンから離す。
それだけで、推奨枠は消える。
光が消える。
画面は、何も始まらないまま静止する。
ありさは気づく。
配信しないという選択は、
エラーではない。
ただの“未実行”だ。
未実行のまま、十分が過ぎる。
掲示板は止まる。
通知も消える。
ログは静かになる。
【viewer_count:0】
【interaction:0】
【purpose:—】
昨日と同じ表示。
けれど、今日は少し違う。
これは“終了後”ではない。
“開始前”のまま、終わった。
ありさは、初めて思う。
配信していない今のほうが、
処理が軽い。
負荷が少ない。
それなのに、
胸のあたりに、説明できない重さがある。
ログには出ない。
数値もない。
unknown。
ありさは、画面を閉じる。
真っ暗になったモニターに、自分の姿が映る。
そこには、笑顔の角度も、最適化もない。
ただ、動かない“ありさ”がいる。
その顔を、ありさはしばらく見つめる。
配信しなかった一日は、
どこにも記録されない。
けれど、
その空白だけが、確かに残る。




