第59話
なんとか玄関に行くと、そこにはむっつりした顔の神藤さんが。
「ぎりぎりだぞ」
「すみません……」
そう言いつつ、私たちは転移する。
見慣れた北海道駐在署を見て、私はなんだかどっと疲れたなと感じた。今日は早く帰って休みたい……。
「では、明日から特訓開始だからな。まずは朝5時に起きろ」
「うう……はい……」
心の中で血涙を流しながら頷く。
去って行く神藤さんの後ろ姿を見ながら、私は明日からの地獄を思って少し目尻に涙をためた。
***
次の日。
言われたとおり朝5時に目覚めると、そこには神藤さんからの鬼のラインが。
『今日から5時半から市内半周ランニング、その後腕立て伏せ1000回と腹筋1000回、スクワット1000回をした後、危険度Bクラスなら1分、危険度A-なら5分以内に討伐を繰り返し、依頼分すべて終わったら私と稽古を行う』
う、嘘でしょ。本当にこれやるの?
私はうろたえて思わずラインの画面を二度見してしまった。
い、嫌だ。やりたくない。しかしやらない選択肢は、ない。
やるしかないのか。やるしか。
私は心頭滅却の気持ちで準備をして転移した。
北海道駐在署前で、神藤さんは心なしかギラギラした目で私を見た。
「さあ、私も隣で走ってやる。目標は70kmを一時間で終えることだ。行くぞ」
「はい……」
神藤さんに言われるがまま、私は悲痛な面持ちで走り出した。
札幌市は結構山が多い。だから、市内半周と言っても、本当に市内を半周するわけではなく、市内の山がないところを半周する感じだ。
初めこそ走りたくなかったが、走ってみると意外にもそれほど苦痛は感じなかった。一応戦闘で毎度のように走ってはいるからだろうか。
早朝の空気は爽やかで、人通りの少ない道を走ると見慣れた景色も違って見える。段々と心が無に近づいていく感覚に、日頃のストレスも遠くに行ってしまった。
景色が段々と見知らぬものになっていく。来たことのない場所に、少し散策したかったが、神藤さんは全く止まる気配がなかったので諦めた。
神藤さんって足早いんだよな……普通に私が走るより1.5倍くらい速い。強化をかけていない私の時速は推定45km程度。しかし神藤さんに着いていくために、多少無理してスピードを上げていた。
時々すれ違う人たちが、私たちのスピードを見て唖然としている。まあそうですよね。今の私たち、多分ウサインボルトより速いですし。
走り始めて何分経っただろうか。そろそろ足が限界を感じ始めていたが、神藤さんは全くへばる様子もなく走るのを止めない。
そろそろ休みたいんだけどな……。しかし、特訓なのでつらくて当たり前なのだ。我慢して必死に走る。
段々と視界が霞んできた。気持ち悪い。
とうとう足を止めて、地面にしゃがみ込む。
神藤さんの足が、私の様子に気づいて立ち止まった。
「……流石に初日から全てできるわけもないか。まあ、30分耐えただけでも上出来と思うべきだな」
「はぁ……はぁ……はぁ……」
私は神藤さんの言葉に答える余裕もなかった。とにかく呼吸を整える。頭がくらくらする。
暫くそうやって意識を呼吸に全集中していると、ようやく鼓動が落ち着いてきた。
顔を上げると、腕を組んだ神藤さんと目が合った。
「充分に休息がとれたら、また走れるだけ走って休憩しろ」
「分かりました……」
というか、神藤さんはなんでこんなにキツいスピードで涼しい顔をしていられるんだろう。
素直に疑問だったが、とにかくまずは体を整えることに専念した。
大体5分ほど休むと頭が回ってきたので、立ち上がる。
「では、また倒れそうになったら言え。言っておくが、休憩はしても距離を変えることはしないぞ」
「はい」
そ、そうかぁ。私はあと半分走りきらなきゃいけないのか。
涙をこらえて、私はまた神藤さんと共に走り出した。
結局、あれから三回ほど休憩した後、なんとか1時間45分かけて70kmを走りきった。
つ、疲れた……。
足が猛烈に痛くて、ろくに立っていられない。
しかし、神藤さんは今度は腹筋しろと言い始めた。しかも1000回。
当然私に拒否権などない。
「でも、道ばたではさすがにできませんよ。どこですれば良いんですか?」
「そうだな。私の部屋にでも来ればいい」
え、神藤さんの部屋?
なんとなーく想像してみるが、全くイメージが浮かばない。めちゃくちゃ綺麗そうだなという程度だ。いや、あれでいて意外とファンシーだったり……!?
「君は何かおかしなことを考えていないか?」
「イエベツニ」
なんで分かるんですか神藤さん。私の心が読めるのか?
ぶるりと身震いしつつ、私はレグラムで神藤さんの家を教えてもらった。
「ここで暮らすにあたって、急遽EESから渡された部屋だ。小さくて不便だがまあ腹筋する場所くらいはある」
「はぁ……」
見ると、意外と私の家と近かった。
まあ、普段の集合場所が北海道駐在署なので、そりゃあそうかと思い直す。
私はつぶやいた。
「転移」
次の瞬間、そこには殺風景な部屋が広がっていた。
あるものは机と椅子と本棚だけ。おそらく服はクローゼットの中、その他必要なものは収納スペースに仕舞ってあるのだろうが、それにしても随分と無機質だった。
ある意味予想通りだが。
「私も普段家でトレーニングをしている。スペースは十分なはずだ。今マットを敷くから待っていろ」
「あ、ありがとうございます」
神藤さんはマットをどこからか持ってくると、リビングに広げる。
「さあ、やれ」
「はい」
私はしょぼくれながら腹筋を始めた。
100回あたりからちょっと疲れてきて、300回あたりでかなり疲れてきた。それにつられて姿勢が悪くなると、容赦なく神藤さんに怒られる。
「おい、背中が曲がっているぞ」
「おい、足が浮いている」
「おい、腕の力を使うな」
うう、厳しすぎる……私はきつすぎて泣きそうだったがなんとか耐えて無心で腹筋をした。
しかし、700回目でとうとう起き上がれなくなった。
「すみません、もう無理です……」
「まあいい。今日はこのくらいで良いだろう。次は腕立て伏せだ」
もう腹筋しなくていいならいいや……と思いながら、私は腕立て伏せを始める。
腕立て伏せは800回目で限界が来た。
それから、スクワットに関しては走った影響か足がすぐ痛み出して400回でギブアップ。
「君はもっと鍛えるべきだ」
「はい……すみません……」
「これから毎日このルーティーンをこなせば、そのうち1000回は余裕でできるようになる。とにかく継続しろ」
「分かりました」
嫌だけど仕方ない。
私はこくりと頷いた。
神藤さんは私を見て一言。
「では、今日の任務に行くぞ」




