第6話
「食べ物?」
不思議そうな表情を浮かべる美女。しかし、すぐにその表情は曇った。
「困ったわね。持ってないわ」
白衣のポケットをあさり、彼女が言う。
やっぱり難しいよね。勤務中に救急車で食べる機会もないだろうし。
「待ってください、俺持ってます」
「あら、流石ね」
「さっきもらったんですよ。あ、でも、チョコバー一個だけですけど……」
そう言って、男性はズボンのポケットから、よれよれのチョコバーを取り出した。
「いえ、助かります。けど、良いんですか?」
「非常事態なので、それは全然」
「じゃあ遠慮なくいただきます。あ、お金返しますね」
「え、いや、良いですよ。子供に払わせるようなものじゃない」
「いや、その辺ちゃんとやらないと、私が怒られるんです。上が厳しいので」
「そうなんですか。戦闘隊員の方も大変ですね」
「はは、まあ……」
苦笑いをする。責任ある仕事なのだから当然だが、こうやって面倒な時も多い。
男性からお金と引き換えによれよれのチョコバーをもらい、ペリッと包装紙を破く。
「超力は食事をすると回復するんです」
「そうなの? 知らなかった」
「ただ、そんなに多くは回復しないので、この一回きりの分だけですけどね」
「でも、助かるわ」
あむ、とチョコバーを一口で食べる。普段はもう少し味わうのだが、今は時間がない。
あっという間に食べ終わると、疲労感が僅かに減少した。
「では、転移しますね。ちょっとぐにゃっとするかもしれませんけど、すぐ終わるので」
「ぐにゃっと?」
「感覚の話なんですけど、転移したときって頭がぐわんぐわん揺れるような感じになるんです」
「分かったわ。心の準備はしておくわね」
「そういえば、連絡とかは大丈夫なんですか?」
「それはさっき彼がやったから大丈夫よ」
彼女は救急隊員の男性の一人を見た。男性がこちらを見てしっかりと頷く。
「分かりました。では……」
「転移」
その瞬間、美女と二人の患者は目の前から忽然と消えた。
病院の待合室のような場所をイメージして送ったけど、大丈夫かな……。それだけが心配だ。
「すごい。間近で見たのは初めてです」
チョコバーをくれた男性隊員が言った。他の二人もうんうんと頷く。
私はなんとなく照れくさくなって、話題を逸らした。
「皆さんはこれからどうするんですか?」
「私たちは亡くなった方を運ぶことはしないので、ここからは警察の方に任せます。隊員の方は別ですが……」
そっか。エミュレイターによる民間人の死亡事案は、事故死扱いされるんだっけ。隊員の死亡事案は殉死扱いだから、基本遺体の回収やらなんやらもEESがやるけど。
「じゃあ、これで最後ですね」
「そうなりますね」
「では、ありがとうございました」
「こちらこそ。警察の方には、こちらから引き継ぎはしておきます」
「それは助かります」
私はそう言って、彼らに別れの挨拶をした。彼らも私に軽く頭を下げる。
去って行く救急車を見ながら、そういえば昔、ああいう車を見るのが好きだったな、と思い出す。今はそれほど夢中ではないけれど。
隊員にならないなら車の整備士が良かったな……なんて、ふと思うのだ。
**
雨が叩きつけるような豪雨に変わった頃、大きなトラックがやってきた。続々と遺体を運んでいく警察官たちを見つめながら、私はレグラムで隊員死亡の一報を管理司令部に告げた。
それからある程度の状況説明を終わらせると、トラックは帰っていき、残ったのは隊員の遺体だけ。随分冷え冷えした空間だな、と思った。
それから五分もしないうちに、EESの社用車がぞくぞくとやってきて、隊員を車に乗せていった。私は三つ目の小さな車に乗った。これから駐在署まで行って、報告書をもらわなければならなかった。
豪雨で体は冷えていって、高い湿度に息苦しさを感じていた。車内でゴーグルを外すと、一気に視界が明るくなった気がした。
ベルトの黒ボタンを三回押せば、戦闘服はシュルシュルとベルトの背面ポーチに収納されていく。科学の叡智を詰め込んだ不思議なこの道具は、私が隊員になる12年前に初めて実装されたらしい。それまでの隊員は常にスーツを着て移動していたそう。このスーツは地味に目立つので、その頃の隊員はさぞかし恥ずかしい思いをしていただろう。
すっかり元の私服に戻った私は、後部座席でぐっと伸びをした。
「お疲れ様」
隣にいた先輩隊員の森さんが、見かねたように言った。
真っ青に染まったお洒落な髪と、モデルかと見まごうようなスタイルと美貌。耳元と唇に開いたピアスは全部で4つ。真っ白な肌とアンニュイな目元が印象的で、初めて見たときは同性なのにドキドキした。
名前が森雪香というのだと知ったときは、似合ってる、と純粋に思った。せつか、と読むらしい。
隊員は髪染めもピアスもネイルもオールオッケーだ。職務中に支障が出ない限りは。だから青髪の先輩が特に目立つわけではないが、それでもここまでばっちりと決めている人は少なくて、署内では有名だった。
彼女は今日この辺りで仕事していたらしく、たまたまタイミングが合って迎えに来てくれたらしい。
「ありがとうございます」
先輩を見つめて言った。先輩は優しく目を細めて笑う。
「それにしても、緑階級で危険度B+二体に完勝なんてすごいね。これなら来年は橙かなあ」
「どうでしょう。実は片足と両腕に打撲があるんです。あと切り傷が無数に。多分向こうが油断していなければ死んでいました」
「そう? それでもすごいと思うよ。私だったら即死だっただろうから。本当にあっという間に抜かされちゃったね」
先輩は自分の赤バッチに触れた。
赤は十段階ある階級のうち、六番目。青になれば一人前といわれるこの業界においては、充分優秀な部類に入る。だって赤に一生なれない人も大勢いるのだ。日本にいる戦闘員約1300人のうち、赤階級の隊員は約70人しかいない。平均年齢は確か43.9歳。
森先輩は強力な超能力“拡散”を持っているし、戦闘センスにも優れている……らしい。だから30歳でここまで上がれたんだ、と言われている。
“拡散”は、色々な力や攻撃の対象を広範囲に散りばめられる、という能力だ。殲滅戦で重宝されるし、成果を上げやすい。
本人は“青のままが良かったんだけどね”なんて気まぐれな猫みたいに笑って言うけど、赤に上がれるのは実力があるからだ。管理司令部は優秀な人材を見逃さない。先輩はじきに緑に上がるんじゃないかと思う。
「いえ……。私には先輩のような経験や技能はありません。緑に上がったのは“偶然”みたいなものです」
「偶然、か。あんまり謙遜をすると嫌みになるよ」
「すみません。でも、先輩が私に言わせてるんですよ」
「……ああ。確かに。あっという間に抜かされちゃった、なんて、スルーするか謙遜するしかないか」
「まあ、コミュニケーションが下手くそな私が9割悪いので」
「それって言外に“1割はお前のせいだけどな”って言ってるよね」
「さあ」
半笑いで目を逸らした。森先輩は、はははと笑っている。
「ずっと思っていたんだけど、」
突然、運転していた新井さんが、そんなことを言い出す。見ると、新井さんは何とも言えない表情を浮かべてこちらを見ていた。鏡越しに、だけど。
新井さんは森先輩のさらに先輩。北海道第六署の署長だ。年齢は55歳。もう後10年ほどしたら引退かな、なんてよくぼやいている。階級は私と同じ緑だ。緑は日本に25人しかいないし、北海道には私と新井先輩だけ。それもあって、私と新井さんはそれなりによく話す。
「どうしましたか?」
「いや、二人って仲悪いの?」
赤信号で止まった車の中で、怯えたように新井さんが言った。突拍子がない、と思う。
思わず森先輩の方を見ると、先輩もこちらを見ていた。
「私たちが、ですか?」
森先輩は目を丸くしていた。
「え、じゃあまさか、仲良いの?」
「逆になんで仲が悪いなんて誤解が生まれているのか分かりません」
「本当。私たち、喧嘩でもしたっけ?」
「覚えがないです」
なにかあっただろうか……と考えていると、新井先輩は呆れたようにため息をついた。
「二人の会話がすごく……こう、なんていうか、ピリピリして聞こえたから。まあ、でも……うーん。それが二人の通常運転なんだね」
「そうですね」
「新井さん、ちょっと神経質なんじゃないの?」
「いやいやいやいや! 多分うちの署の全員が賛同するって」
「そうですかね」
「絶対そんなことないと思うよ、私」
「聞いてみれば良いよ……」
こちらがおかしいと確信しているような新井さんの様子に、そうなのだろうか、と私は首を傾げた。森先輩は釈然としない表情のままだ。
雨音は依然として強いままだ。車窓を流れる大きな雨粒が跡をつけて流れを先導していく。他の雨粒を寄せて集めて、大きくなったそれは、しかしすぐ暴風に吹き飛ばされていってしまった。
暗い昼中の町並みは、まるで登場シーンがもう終わった端役Aみたいに存在感がなかった。




