閑話 希望という力(2)
暗い北海道の夜道を必死に逃げる。だけど、後ろから足音が聞こえてきて、どんどん私の傍に迫ってきていた。
「見た者は皆殺してやる」
「誰かっ、誰か助けて!!」
私の腕を掴んだその男は、そう耳元で囁いて、私を地面に押し倒す。
「いやぁぁぁあっっ!!助けて、誰か、誰かっ」
「黙れ!」
男はそう言って私を殴った。今まで体験したことのないような痛みに、意識が遠のく。
「誰か、ひっ……いや、い゛っぁ゛、がっ…………」
無茶苦茶に殴られて、呼吸もできない。
ああ、死ぬ。私、ここで死ぬんだ。完全に意識が事切れる寸前、何かが目の前を横切った気がした。
それから暫く私は気絶していたみたいだった。体が無茶苦茶にかき混ぜられているような感覚があったが、徐々に意識が浮上していく。
「……ん、」
私は側に人の気配を感じて身じろいだ。
うっすらと目を開ける。そして驚いた。そこには、美しい少女がいた。
腰くらいまである長さを一つに結んだ髪、切れ長の瞳と彫りの深い通った鼻、薄めの唇、その全てが均等に並んだ、人外じみた美貌。
まだ高校生くらいだろうか?しかし既に完成された美貌に、思わずため息が漏れる。
「警察を呼んでおきました。ここで待っていれば、すぐに助かります」
「あ、え、あなたは……」
「急いでいるので」
彼女はそう言うなり立ち上がって、そのまま走り出していく。
「ちょっ、待って……!」
私は体を起こして慌てて叫んだ。けれど、彼女は振り返ることなく去ってしまう。
あれほど殴られたはずなのに、痛みはほとんどなくなっていた。ゆっくりとよたよた立ち上がって、辺りを見回す。
そこには謎のジェルのようなものに覆われた男がいた。この人が……私たちを襲った犯人。そのときふと、彼やお義母さんのことを思い出した。
皆は無事なのだろうか。私は不安になって歩き出した。
街は異様な空気に包まれていた。サイレンの音が響き、警報が鳴っている。ああ、エミュレイターが現れたんだ。こんなに怖いことが重なるなんて。どうしよう、逃げなきゃいけない。でも、お義母さんたちは……。
そうやって悩んでいると、今度はパトカーのサイレンが聞こえてきた。その音はどんどんこちらへ近づいてくる。
私が振り返ると、そこにはパトカーが止まっていた。
「大丈夫ですか!」
「あ……はい」
「そちらにいるのが、犯人ですか」
「た、多分」
私が受け答えすると、警察の人は男の側へと行った。
もう一人の警官が、私に何があったか尋ねてくる。そのイントネーションは北海道の人とも似ていないものだったが、私は気にせず話をした。
「彼の義実家に泊まっていたら、突然インターホンが鳴って……お義母さんが出てくださったんですけど、その……よく分からないんですけど、お義母さんの悲鳴が聞こえて、見に行ったらお義母さんが倒れていて……」
あのときのことを思い出しながら話す。話している間に、涙がこみ上げてきた。あの血の量。死んでいてもおかしくない。
「なるほど……最近この辺りでは強盗殺人が起きているので、もしかしたらその犯人かもしれませんね」
「そうなんですか?あの、多分、家にはまだ彼と義両親がいると思うんです。どうか、早く救急車に……!」
「分かりました。あなたは警察署に来ていただけますか」
私は警官の言葉にこくりと頷いて、そのままパトカーに乗った。
それから随分長い間、パトカーに揺られていたと思う。警察の人曰く、この辺りは避難勧告が出ている場所だから、安全な場所の警察署まで移動するんだとか。
私の脳裏には、あの少女のこと、そして彼とお義母さんのことが繰り返し浮かんでは消えていた。犯人に追われたときの恐怖、死ぬと思ったのに生きていた不思議。
あのとき……目を開けたとき、美しい少女を見て、天使のように思えた。それだけが、唯一の希望だった。
これからどうなるのか。不安が募っていく。だけど、あの少女がいれば、なんとかなるような気がした。
やがて、パトカーは義実家から随分離れた警察署へと辿り着き、そこで話をすることになった。話している最中、彼のことも聞くことができた。
病院で治療していたが、その甲斐なく、彼は亡くなった。そう聞かされ、目の前が真っ暗になったような気がした。
お義母さんは助かり、お義父さんはトイレにこもっていて助かったのだと聞いた。だが、エミュレイターのせいで警察が現場検証したりする時間はなく、詳しいことは何も分からないそうだ。
絶望の中、警察の人は、私を助けた人について聞いてきた。
「通報した方は匿名でしてね……ただ、目撃者である可能性があるので、できれば情報をいただきたいです。その人はどんな人でしたか?」
警察の言葉に、私は目を閉じて彼女の姿を再び思い描く。
「……綺麗な、とても綺麗な、女の子でした」
「女の子?」
私がしみじみと呟くと、警察は驚いたように目を丸くした。
私は頷いて話を続ける。
「はい。高校生くらいで、身長は私よりちょっと高い……だいたい165㎝くらいの。髪が長くて、一つにまとめていて、細身で、そして、本当に美しい顔をしていました」
「……もしかして、その人、EESのバッチをつけていませんでしたか。えっと、こういうものなんですが」
そう言って、警察の人はスマホで写真を見せてくる。
うーん、と私は唸った。確かに、記憶を辿ってみると、そんなバッチをつけていたような気もする。
「ということは、あの子は、EESの……?」
「知ってるんですよ。あなたが言ったような姿をした、EESの戦闘隊員を」
警察の人は目を細めて、記憶を辿るようにそう話した。その顔は少しだけ愛しいものを思うような表情だった。
私は気になっていた疑問を口に出す。
「その、彼女の名前は……?」
すると、警察の人はにこっと笑みを浮かべて言った。
「三浦史詩夏さん。15歳の、日本史上最年少の戦闘隊員です」




