第38話
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退院した日は、空が晴れていた。つい昨日まで雪が降っていたというのに、今日は私を祝福してくれているみたいだった。
私は奈江子さんと車に乗り込んで、ゆっくり街を眺める。
忙しなく動く金曜日の人々は、今日という日を必死に生きている。私たちはそんな中で、まったりとマイペースに進んでいく。
高架橋の下に行くと、薄暗い影が落ちていた。
月見先輩、出てきたりしないかな。そんなことを考えて、苦笑してみたりして。
そういえば前、ここで男の子と会ったなと思い出す。あの子は今どうしているだろう。
またそのうち会いに行こう、と思いながら、車に揺られる。
家に着いて鍵を開けると、暗い室内が目に入った。
洗濯機の前には散乱した洗濯物。洗い物はごちゃごちゃに積み上げられていて、キッチンはなんだか焦げ臭い。
奈江子さん……。
私は流石に呆れて奈江子さんを見た。
奈江子さんはおとぼけ顔で目を逸らした。
「……私がいない間、どうしてたの」
「久々に家に帰ってきたけど、久々に料理したら肉こがしちゃって……あと、洗濯物も、まあ、良いかなーと思って……」
「私がいない間どうやって生きてたの?」
純粋に疑問に思って口に出すと、奈江子さんはがっくりとうなだれた。
「前はもうちょっとできてたの!それが、優秀な家事職人の史詩夏が全部やってくれるようになったおかげで、すっかり忘れちゃって……」
「はぁ……」
私は深々とため息をつく。これは、私がいないと本格的に奈江子さんが駄目になってしまいそうだ。
仕方ないので、私はまず洗濯物を回すところから始めた。
それから、キッチンの焦げたフライパンを磨き上げ、洗い物を片付ける。
干してあった洗濯物は、奈江子さんが既に着たのか、大半がなくなっていた。
なので、ほとんど手間もかけずに集めて畳み、自分の分だけの洗濯物を片付ける。
そうして一息つくと、今度はトイレのトイレットペーパーがなくなりかけていることに気づき、慌てて補充する。
そんな風に退院初日は慌ただしく過ぎ去っていった。
夜、ようやく片付いた家を眺めながら、奈江子さんと二人で夕食をとる。
「実は、中学から連絡があってね。このまま高校に行きますか、それとも中学でもう一度やってみますか、って」
その言葉に、頭をガツンと殴られたような気持ちになった。
中学でやっていくか、高校に行くか……それは私にとって難しい判断だった。
私は箸をとめ、重い気持ちで口を開いた。
「留年は、したくないよ。一応、私も皆と同じようにしたいし……」
「でも、現実的に考えて、このままだったら高校に通うのは難しいと思う。任務が忙しすぎて学業もおろそかになってるから、学力的にももう一年続けた方が良いんじゃないかと思うの」
奈江子さんに畳みかけるように言われて、更に落ち込む。うっ、急に胃が……。
正直なところ、私は将来のことを考えれば、別に高校に進学する必要はなかった。稼ぎも充分にあるし、普通に戦闘隊員としてやっていけば、20歳になる頃には一生暮らしていけるだけのお金は稼いでいるだろうというほどだった。
それなのになぜ私が普通の高校に進学しいのかといえば、他の選択肢を潰したくなかったからだ。
超人は、隊員以外になることは難しい。でも、怪我などで引退した場合、その能力を生かして別の仕事を始めることもできる。もちろん政府の監視付きだが。
そうなったとき、私は少しでも仕事を選べるようになりたかった。ただ超能力が使えるだけの戦闘力の高い人間なんて、戦闘隊員以外では需要がない。だから賢くなりたかった。他の子と同じように、勉強したかった。
だから、奈江子さんの反対も押し切って、私は高校に進学したのだ。
だが、この状況になってしまえば、もう通うのは現実的に難しいということも分かっている。
私は現実に押しつぶされていくような気持ちになった。
頭の中で二つの気持ちが対立している。このまま素直にやめておいた方がいいという自分と、まだ頑張れるんじゃないかと励ます自分。
結局、答えは決まっていた。この状況が良くなる見込みはない。任務はこれからも毎日50個ほど来るに違いない。それを全て他の人に任せて勉強に時間を当てたとして、一体それがいつまで保つのだろうか。
実のところ、私がいない間かなり他の隊員の方たちが無理していたという話は聞いている。皆私の前では気にしなくていいと言ってくれていたけど、限界は近づいているのだろう。
危険度B+が現れて、戦闘で3人が負傷したと聞いたのは、つい昨日のことだった。私がいれば誰も負傷せず殺せた自信はある。
だから……そう、もう、決断はできている。
「……高校には行かずに、中学も留年はしない」
「……そう。それなら、中学にはそのことを伝えておくね。じゃあ、戦闘隊員の仕事に集中するの?」
「うん」
私は迷いを捨てて頷いた。
私のまっすぐな目を見て、奈江子さんはゆっくりと目を閉じる。
「史詩夏は強いし、戦闘隊員として頑張っていれば、他の仕事なんかを目指す必要はない。無理して高校に行くよりも、人の命を助ける方が、ずっと尊いことをしていると思う。分かった、頑張ってね」
奈江子さんは私にそう言葉をかけた。
私はうん、と答えて、それから目を伏せる。
迷いはない。だが、憂鬱な気持ちは拭えなかった。
自分ならできるんじゃないか、と思っていた、隊員生活と学業の両立。でも、それが無理だと分かって、他の道が本格的に絶たれると思うと、かなり気が落ち込む。
「高校に行かなくても、大丈夫かな」
「もちろん。史詩夏ならきっと、うまくやれるよ」
私が尋ねると、奈江子さんは優しくそう答えた。
それから暗くなった話を変えるように、そういえば、と口を開いた。
「先生は、史詩夏のこと褒めてたよ。隊員として大変だろうに、学校に通おうと努力しているのは伝わってくるって。今のままでは普通の高校は無理だろうけど、通信制高校にしてみるのはどうかって」
「通信制高校?」
「そう。最近は結構多いみたい。これ、また見ておいて」
そうやって手渡されたのは、いくつもの学校のパンフレット。一番上にあったパンフレットの表紙には、制服を着て、楽しそうに友達といる女子生徒の姿がある。
通信制高校……私はその女子生徒の笑顔を見て、なんとなくそれも悪くないのかも、と思った。
食べ終わって台所へ向かう奈江子さんを尻目に、パンフレットを読み始める。
ふーん、なるほど……えっ、そんなことが。あぁ、でも全く学校に行かないわけでもないんだな……なるほど、家で授業を受けられる……。
私は気づけば夢中になってパンフレットを読み込んでいた。
「ここ、どうかな」
パンフレットの中の一つの学校を選んで、私は奈江子さんに見せる。
「あれ、もう決めるの?」
「いや、まだ決めたわけではないけど」
「そうだね……良いんじゃない?これくらいなら、史詩夏が通える範囲だろうし」
私たちはお互いに顔を見合わせて、それから笑った。
少しだけ、未来に希望が持てた。私は明るい気持ちになって、これから先のことを、色々と考え始めた。




