第32話
次に視界に入ってきたのは、ドアのないアパートと、部屋の中でふんふんと鼻歌を歌う男の姿。その手には本が握られていた。カフネだ。
「……おや、戻ってくるなんてびっくり。君は結構自分に自信があるみたいだね」
男はこちらに気づいてにんまりと笑った。
身長は175㎝ほど。中肉中背に平凡な容貌で、恐らく年齢は30代後半だ。きっと、街を歩いていても、誰も気にしないだろう。
私は戦闘体勢に入った。全身に強化をかける。機関銃を手に取る。
「そっちこそ、随分余裕そうですね……ッ」
私が機関銃をぶっ放した瞬間、エミュレイターは私のすぐ横に迫っていた。
慌てて後退する。……が、追いつかず、そのまま拳が迫ってきた。
「転移」
素早くエミュレイターの後ろへ移動する。
「思ってたんだけどね」
エミュレイターはくるりと振り返って今度は足蹴りをしてきた。私はそれをなんとか躱すが、今度は殴られそうになる。
必死にそれらの攻撃から逃げる。だが体勢が崩れた。
死ぬ、と思ったとき、エミュレイターは不意に止まってにこりと微笑んだ。
「その能力、良いね。でも、僕も良い能力があるんだ」
私が後退した瞬間、すぐ上から何かが降ってきて、慌てて避ける。
それはなんと机だった。しかし、危険度Aならこのくらいは軽々持ち上げられるだろうと納得する。
ただ、疑問だったのが、机に触っていた様子がなかったことだ。まさか……と一つの仮説が頭に浮かぶ。
「念力……?」
「まあ、そんな感じかな」
私のすぐ横にエミュレイターが来て、そう囁いた。
ほとんど反射的に逃げる。しかしエミュレイターは余裕飄々な態度だった。
軽く遊ばれている。そう感じた。
「うーん、君たちEESは、今人手不足なんだろう?」
エミュレイターは分からないな、と肩をすくめた。
「自ら死にに来るなんて、隊員っていうのは悲しい職業だね」
「……ッ!?」
エミュレイターの言葉と共に、突如全身を強く握り潰されるような感覚に襲われる。
なんとか体に強化をかけて耐える。だが、じわじわと体は大きな何かに押し込められていった。身動きがとれない。このままじゃ、潰されて死ぬ……!
「転移!」
「うーん、やっぱり僕の能力とはそんなに相性が良くないね」
エミュレイターの背後に移動し、機関銃を浴びせる。
だがエミュレイターは軽々と弾を避けながら、私の前に迫ってきた。私は飛び回ってなんとかエミュレイターから逃れる。
月見先輩は様子を伺っている。なんせ、月見先輩は最悪一撃でエミュレイターに仕留められる可能性があるのだ。出るタイミングは慎重に考えないといけない。
「お互い相性は微妙ですね」
私はあえて余裕な素振りを見せた。エミュレイターの動きは転移しているみたいに早い。だが、強化をかけた私なら、ある程度は耐えられる。
「でも、一応無駄口叩けるだけの余裕は君にもあるんだ。それなりに強いみたいだね」
「お褒めいただきありがとうございます……!」
高く飛び上がったすぐ下を蹴りが回る。直接攻撃を浴びれば重傷は不可避。とにかく避けなければいけない。
呼吸を整えろ。体勢を安定させろ。
首がぎゅっと締められていく感覚がした。念力。
「転……移ッ!」
必死にその力から逃げる。あと五秒経っていたら首が折れていた。
死ぬ、という感覚がすぐ側にある。全身で敵わないことを思い知らされる。そもそも圧が尋常じゃない。エミュレイターセンサーがずっと、びりびり背筋に流れているのだ。
避ける、逃げる、どうしても無理なら転移する。その繰り返し。段々超力が減っていっているのが分かる。このまま使っていれば、あと20分ほどで力は尽きるだろう。
感覚を研ぎ澄ます。念力という見えない攻撃のせいで、ほとんど勘でそれを避けるということが続く。
ギリギリの戦い。その中で、少しずつ見えてきたのは、念力という力の限界だった。
念力というのは、自分の体を使わずに、周囲に影響を与えられる力だ。例えば物を持ち上げたり、動かしたり、掴んだり、というように。念力を使えば手を使わずに缶をねじれさせることもできる。私もだから、何度かねじれさせられるような感覚に襲われた。
しかし、その力は私を直接殺せるほど強くはない。私は転移で念力から逃げられる。ねじるのも、その瞬間に死ぬほどの強さではなく、体が引っ張られている感覚があるだけだった。
つまり、念力では私を殺せないのだ。
そして、紙の中に隠れるのは、相手にとっては最終手段。どうしても逃げるしかなくなったときだけだろう。紙の中から何かすることはできないし、その力でも私を殺せない。
だから、あとは直接攻撃して殺すしかないのだ。だから、エミュレイターは積極的に動いて私に攻撃している。
とすれば、私はなるべく転移を温存して直接の攻撃から逃げつつ、念力を使われたときだけ転移して逃げればいい。
私から向こうに攻撃を与えることは恐らく不可能だろう。相手は超高速で動いているから、転移で核を持ってくることはできない。何かを転移させて持ってきても、それをぶつけたりすることもできない。
であれば、相手が民間人に攻撃するのを防ぐことが、私にできる最大限。
「念力ってどのくらい遠くにまで使えるんですか?」
「うーん、どうだろうねー、多分半径10mくらいまでかなー」
「では、私から10mより離れてくれますか?」
「ごめんねー、無理」
エミュレイターはニコニコしながら、私に殴りかかってきた。
あっぶな。ちょっと擦った。
私はなんとか体勢を立て直したが、その間にも絶え間なく攻撃が続いている。
ぐっと念力に掴まれて身動きがとれなくなった。攻撃が同時に襲ってくる。
転移してなんとか攻撃から逃れ、背後から剣を突き刺そうとしたが無駄だった。するりと避けられ至近距離にまで近づかれる。私は慌てて後ろへ飛んで逃げた。
「そろそろ戦うのも飽きてきたなー君意外と耐えるし。ちょっと本気出させてもらうね」
その瞬間、体が突如何かに引っ張られて地面に叩きつけられた。
「ぐっ……!」
思わず唸る。考える隙すらなかった……!
と、目の前には拳が。私は転移して上に逃げたが、転移した途端再び念力に押さえつけられて空中に固定されて。くそっ、予想されてる……!
転移、と叫ぶ前にエミュレイターに殴られる。猛烈な衝撃が私を襲い、そのまま空中を飛んでいく。
途中で何とか体勢を立て直して地上に転移した。すると上からエミュレイターが降ってきて、私はまた転移する。
私がいた地面が割れて揺れた。衝撃波が襲ってくる。地面には亀裂が入り、深さ5mほどの穴が空いていた。
全身が痛い。地面に倒れたまま呼吸する。体勢が立て直しきれない。
目の前にエミュレイターの拳が迫った。




