第30話
そこは図書館だった。え、と私は戸惑って先輩を見る。
「確かに、絶対にいないとは言い切れませんけど……でも、人より本の方が多そうですが」
「まあ、行ってみようよ」
私は懐疑的に反応したが、先輩は一人図書館の中に行ってしまう。
仕方なく私も後を追いかけた。
図書館の中は静かだった。隊員服を着た私たちを見た受付の人たちが、ギョッとした顔を浮かべる。
「先輩、やっぱり何もありませんよ……先輩?」
「うーん、どれが良いと思う?」
先輩は何故か本を選び始めた。一体何をしようというのか。私は理解できず困惑する。
先輩はどんどん奥の方に進みながら、時折本を手に取っては戻してを繰り返していった。本が気になるのだろうか。
だが、本など漁ったところで、エミュレイターが出てくるはずはない。
「まだ街を一周できてませんし、早く出て捜索しましょうよ」
「史詩夏ちゃんって、図書館にはよく来る?」
「私の話聞いてませんね」
私はじとっと目を半目にして先輩を見つめた。
「ごめんごめん。でも、もし本の中にエミュレイターが潜めたら、強いよなと思ってさ」
「本の中、ですか?」
うーん、と私は顎に手を当てて考える。
確かに、本の中にエミュレイターがいるとは誰も思わないから、隠れられれば強いだろう。
本を読むとき、人は無防備だ。本を読もうと手に取ったら、中からエミュレイターが現れる……そんなことになったらゾッとする。きっとあっという間に殺されてしまうだろう。
しかも、図書館にある本なら、次から次へと借りられていく。本の中に潜んで、借りられるのを待つ。そして借りられて家の中に入ったら、隙を狙って本から出て相手を殺す。そして擬態する。
擬態してまた本を返して、その中に潜めば、同じことを繰り返すことができる。そうやって擬態を繰り返すことで、強くなりながらも、安全な状態を保ち続ける……。
人がエミュレイターに擬態されたことに気づくのは、そのエミュレイターが別の誰かに擬態し、元の人が忽然と消えたようにいなくなった後だ。だが、エミュレイターは自分の仕業だと分からないように、別の人に擬態する前に遺書などを残して自殺したふりをする。
だから自殺者は必ず一度EESによる遺体の確認が行われる。もし遺体が見つからなければ、自殺者は自殺者ではなく、エミュレイター被害者の可能性ありと判断されるのだ。そしてそういったことが同じ地域で続けば、その地域はエミュレイター警戒区域になり、捜索隊員が多数派遣される。
今回もそういう事例だった。この街で8人が消えていた。近くの街も含めれば12人。大抵、人に擬態する頃には危険度B-以上は確実にあると考えていい。12人に擬態したのだとすれば、危険度Aでもおかしくなかった。
そして決定的だったのは、捜索隊員が一瞬、この街の民家に危険度Aのエミュレイター反応を確認したことだ。そうして私たちに任務が任された。今日、12/24に決行するとして。
「ね、だから一応調べておこうよ」
「そうですね。ですが、この膨大な本の中からエミュレイターが潜んでいる本を見つけるのは、かなり難しいのでは?」
私は適当に本を手に取って言った。パラパラとページをめくる。湊かなえ、告白。なんとなく気になったが、読む暇はないのでまた本棚に戻した。
「もういっそ全部燃やしちゃうとか」
「本になんてことしようとしてるんですか!駄目ですよ。本は大切にしましょう」
「史詩夏ちゃんって本好きなんだね」
「常識の話ですよ。第一、そんな力業使っても、エミュレイターを殺せるかは怪しいですよ。逃げられる可能性があります。もしかしたら、この会話も聞かれてるかもしれませんし」
私がそう言うと、月見先輩はうーんと唸った。
「確かに、俺たちは自分の領域の中にいても、ある程度外の様子は分かるよ。でも、それってぼんやりと、それこそ影が動く程度にしか分からないよ」
「え、そうなんですか?」
私は驚いて先輩を見る。先輩はにこっと笑って、それから真面目な表情になった。
「自分の領域の中ではね、良くも悪くも外の領域とは隔離されてるの。だから、俺の能力なら影という領域である以上、影のことしか分からない。紙という領域にいるのであれば、きっと紙のことしか分からないんじゃないかな」
「へー、そうなんですね。そこまでは知りませんでした」
紙のことしか分からない。それならば、せいぜい本を読んでいるか読んでいないか、あるいは紙の位置や動きで、どこになにがあるのか推測することしかできないだろう。
「だってこっちから外のことが丸見えだったら、強すぎるでしょ。俺なんか下から全部覗けるよ」
キリリとした表情で言う割には、内容はどことなく卑猥な匂いがする。
私は心底軽蔑した顔で先輩を見た。
「やめてくださいよ、不純な話は」
「いやいや、俺は不純なことなんてなんにも言ってないから。想像してるのは史詩夏ちゃんでしょ、いやらしいなー」
「あ、なんか先輩のことが嫌いになりそうです」
月見先輩ってこういうところがあるんだよな。
私が真顔で言うと、先輩は「冗談じゃん!」とまた軽く笑った。私は曖昧に笑う。
「まあ、話を戻すけど、俺たちはこの本の山から一つを見つけ出さなきゃいけないんだよ」
「そうですね……被害者の借りた本の履歴なんかの情報があれば、良かったんですが」
「ないねー、そもそも本にいるんじゃないかっていうのも、俺たちの仮説でしかないわけだし」
うーん、でも、エミュレイターなら合理的に本を選ぶ気がする。
一番多くを殺せるのは、一番多く借りられる本だ。となれば、目立つところに置いてあるはず。そして、最近借りられたことのある本。
私はカウンターへ行った。受付の女性は顔を引きつらせて私を見る。
「あの、この図書館で最近一番人気の本ってなんですか?」
「一番人気の本、ですか?」
私の言葉に、彼女は怪訝な表情を浮かべる。
「分かる範囲で大丈夫です」
「どうでしょう……本屋大賞を受賞した、カフネ、ですかね」
「その本は、今どこに?」
私は前のめりになって聞いた。
女性はああ、と答える。
「それなら、つい一時間前くらいに借りられましたよ」
「借りられた……」
私は一気に全身の力が抜けた。そんな……。となると、探すのはかなり難しいだろう。
そのとき、月見先輩が私の傍に来た。途端に、女性はポッと顔を赤らめて先輩を見つめる。
うわ、流石女たらし。
先輩は私の肩に手を置いて、にこっと女性に微笑みかけた。
「借りていった人はどんな人でしたか?」
「わ、若い女性でした。20代後半くらいの……」
「その人の住所などは分かりますか?」
「分かりますけど……でも、お伝えすることはできませんよ」
「俺たちはEESの隊員です。隊員特権で、命令があれば個人情報でも知ることができるんですよ」
先輩は自分の隊員証を見せながらそう言った。
「は、はあ……分かりました」
女性は困惑した様子を見せつつも、パソコンでカタカタと調べ始めた。
私はホッとして安堵の息を吐く。そして、先ほどから肩に置かれている月見先輩の手を無理矢理剥がした。
「つれないなぁ、史詩夏ちゃん」
「私は未成年です。もし怪しいことをしたら警察に突き出しますので」
「おっかない……俺、そんなに警戒されることした?」
「過去の実績が色々と……」
先輩の女好きの噂は、森先輩からだけでなく、色んな人から聞く。
北海道第一署のキューブ交換課の受付嬢曰く、先輩は行く先行く先の駐在署や駐在支署で受付嬢と寝ているらしい。
私はその話を聞いたとき、先輩を尊敬するのをやめた。今でもそれは正しい判断だと思っている。
女性はやがて、パソコンから顔をあげてこちらを見た。
「えっと、図書館のすぐ近くの家ですね。この街に住んでます」
そうして教えられた住所をレグラムで探す。……あった。
「ありがとね、お姉さん。おかげで助かったよ」
「い、いえ……」
女性は恥ずかしそうにちらちらと月見先輩を見ながら答えた。騙されないでくださいよー、この人、とてつもないクズなんですよー。そう心の中で呟きながら、私は月見先輩と共に図書館を出た。
レグラムで映した地図を見ながら、道を進んでいく。歩いて五分ほどでついた。そこは平凡なアパートだった。
私たちは警戒しながら、102号室の前まで来る。そして、慎重にインターホンを押した。
ピンポーン、という軽快な音が響いた。




