閑話 奈江子と姉(2)
その一件があってから、奈江子は姉を異常にさせたものは何だろうと考えるようになった。やはり三浦茂のせいなのだろうか?それとも……。
考えても答えは見つからない。そんな日々の中で、奈江子はもう一度三浦茂に会って話を聞こうと思った。そして自分の目で声で、ちゃんと何が正しいのか見極めなければ。
奈江子は姉を助けたいという一心で、北海道駐在所に突撃した。
「すみません、関係者以外立ち入り禁止でして……」
「どうしても三浦茂に会いたいんです。どうか会わせていただけませんか」
受付のお姉さんに止められながら、必死にそう言い続けた。
「理由をお聞かせ願えますか」
「彼は私の義兄なんです。家族のことで大事な話があって、どうしても話したいんです。いつでも良いです。仕事が遅くなるなら、それまで待ちますから」
そう言うと、お姉さんは渋々といったようになにかを紙に書き始めた。
そして、書き終えた紙を奈江子に渡す。
「では、これを持って、ここへ行ってください。この辺りは彼の活動域ではありませんし、待っていても会えませんよ」
奈江子は感動して、深々と頭を下げた。
「分かりました。ありがとうございました!」
それから、書かれた場所へ行った。北海道第三駐在支署。紙を渡すと、ここで待っていてくださいと椅子に座らされた。
長い間待ち続けた。夕方だったのが夜になった。ひっきりなしにやって来る隊員たちは、奈江子を見て訝しげな表情を浮かべる。そりゃあそうだ。どう見ても部外者なのだから。
しかし、奈江子は気にせず待ち続けた。外が真っ暗闇に包まれた頃、ようやくその人が姿を現した。
奈江子はゆっくりと深呼吸をして立ち上がった。覚悟はできていた。
「三浦茂さんですよね。私、南宏美の妹です」
奈江子がそう告げた瞬間、茂は表情を鋭く尖らせた。
「……妹さんが、俺になんの用でしょうか。宏美のことですか?」
「はい。今、お時間ありますか」
「……少し待ってください」
茂はそう言ってどこかへ行ってしまった。取り残された奈江子は、また大人しく椅子に座る。
暫くして、茂は眉間に深い皺を刻みながら戻ってきた。
「それで、」
茂は奈江子の傍まで来て立ちながら言う。
「妹さんは、何をしにここまで?ここは関係者以外立ち入り禁止でしょう」
「特別に入らせてもらいました。今日お話にきたのは……他でもない、姉さんについてです」
奈江子は再び息を深く吸って吐き出した。目の前の美男は鋭い目つきでこちらを見ている。助けてくれたときとは別人のよう。
普通、嫁の妹に対して、そんな反応をするだろうか?いや、しない。するのであれば、よほど悪印象を持つようなできごとがあったか、隠したい何かがあるか。
「宏美が何かしたんですか?」
「……そうですね。まず、色々話させてください。私にとって、姉はずっと、尊敬できる良い姉でした」
奈江子はそうして、姉のことを話し出した。
「優しい姉でした。明るくて頼りになりました。私たちはそれなりに仲の良い姉妹だったと思います。それが変わったのは、あなたと姉が結婚してからです」
その言葉を聞いた途端、茂は更に表情を冷たくして奈江子を見た。しかし奈江子はひるまない。もし本当に最低な男なのだったら、ここで、別れてくださいと言うつもりだった。それが姉の幸せに繋がると信じていたから。
「姉は暗くなりました。めったに家に帰らなくなりました」
「そりゃあ、帰る家が別にできたんですから、当然でしょう。暗くなったとあなたは言いますが、彼女は別に暗くなっていませんよ。ずっと明るいままです」
茂は本気か嘘か分からない口ぶりで言った。そのあまりの言い草に、奈江子の頭に血が上る。
「本気でそう言っているんですか?姉を本当に見ていれば、そんなこと、口が裂けても言えないでしょう。姉は昔から、結婚式をあげたいとよく言っていました。なのに、あなたは結婚式をしなかった!姉の唯一といって良いほどの望みです。それを、あなたはしなかった。姉は定職についていますし、金銭面はどうにかなったはずです。なのになぜ?」
息継ぎもせずにそう言った。怒りが沸騰していた。奈江子の頭の中には、この憎き男を断罪してしまおうという気持ちしか残っていなかった。
しかし、そんな奈江子に対して、茂はあくまで冷静だった。
「……結婚式のことは、二人で話し合って決めました。私は時間がとれないので結婚式の準備もできないだろうと言いました。彼女は、それなら式をあげなくていいと言いました。私はもし、彼女が本当に結婚式をしたいと願っていたのであれば、なるべくそれを叶えるつもりでした」
弁解するように茂は言った。
奈江子は拳を握りしめる。本当に?姉さんがあんなに望んでいた結婚式をすぐに諦めたのだろうか?
しかし、茂の態度に、奈江子もこれ以上ヒートアップしてはいけないとブレーキをかけた。
「あなたの言い分は、分かりました。でも、じゃあ、なんで姉はあなたを私たちに一向に紹介しようとしないんですか?」
「彼女があなたたちに会いたくないんでしょう」
「では、あなたからはなにも言ってないと?」
「むしろ、こちらから会おうかと打診しました。ですが、断られました」
その台詞は少なからず、奈江子にショックを与えた。
姉さんが私たちに会うことを拒んだ。それは、なぜ?いつの間に嫌われていたのだろうか?
次々疑問が浮かんで、奈江子の心は安まることがない。混乱しながら、それでも奈江子は必死に言葉を紡いでいく。
「姉は、幸せなんでしょうか?」
ぽつりと零れた言葉は、本心からのものだった。奈江子はひたすらに、姉が幸せであってほしいと願っていた。姉の幸せが奈江子の幸せでもあった。
奈江子の呟くような一言に、茂は真っ直ぐ前を向く。
「当然です。俺が、常に守っているんですから」
その目のあまりの力強さに、奈江子は一瞬そうなのかと受け入れてしまいそうになった。
しかし、はたと気づく。
普通、相手が幸せかどうかを、そこまで断言できるだろうか?相手のことをどれだけ愛せていると自覚していても、そうやって幸せだと決めつけられるものだろうか?
奈江子はそこで初めて、目の前の男が怖い、と感じた。純粋に、その真っ直ぐな目が恐ろしかった。なぜそこまで確信を持てるのかが理解できなかった。
常に守る。それは、超人にしかできないことだろう。この男は確かに、自分なりに姉を愛しているのかもしれないが、果たしてそれで姉は本当に幸せになっているのだろうか?
押し黙った奈江子に、茂はゆっくりと息を吐き出した。
「それを聞くことが用だったのあれば、もう帰ってください。そして二度と、俺たち夫婦の……いや、家族のことに口出ししないでください」
「ちょ、ちょっと、待ちなさいよ!」
そのまま立ち去ろうとした茂を、奈江子は慌てて掴む。しかし、その手はいともたやすく振り払われてしまった。強い力だった。
ああ……やはり、超人だ。私たちとは相容れない存在だ。奈江子は自覚した。自分では、姉を救えないと。
だから奈江子は、黙って立ち尽くしていることしかできなかったのだ。ずっとずっと、後ろ姿を見送っていた。その姿が見えなくなるまで。姉の敵かもしれないと、目に焼き付けた。




