閑話 奈江子と姉
****
超人は怖い。奈江子がそう思ったのは、姉の姿を見たときからだった。
昔から男運のない姉だった。優しく朗らかで愛される姉。なのに素敵な恋ができないなんて、端から見ても哀れで。
そんな姉は22歳の大学卒業の日、突然結婚したと家族に告げた。
私たちは驚いたし、相手が超人と知ってその驚きは更に大きくなった。
超人。そりゃあ誰もが憧れる存在だ。でも、男運のない姉が、今まで何も言わずにいた存在でもある。奈江子は疑問に思った。その超人とやらは、姉を幸せにしてくれるのだろうか。
姉は頑なに夫と自分の家族を会わせることを拒んだ。夫は結婚の挨拶にも来なかった。結婚式もしなかった。
昔から、姉は言っていた。
「素敵な人と結婚して、真っ白なドレスで結婚式を挙げたいの」
それは可愛らしい夢だ。そんな小さな夢さえ、姉は叶えることができなかった。
その頃には、奈江子は姉の夫に不信感を抱いていた。きっと途轍もない悪人に違いないと。そして姉を誑かしているのだろうと思っていた。
しかし、奈江子はそのろくでもないと思っていた男に、命を救われた。
元々奈江子はサーフィンが好きだった。友達とよくサーフボード片手に海に行っていた。その日も、そんな風に。
海から現れた腕に突然引っ張られて海中に沈んだ。意味が分からないまま見ると、そこには人がいた。いや、人ではなかった。それはエミュレイターだった。
死……即座にその言葉が脳裏をよぎった。
エミュレイターはどんどん私を海底に近づけていく。私はただ呼吸もできずに藻掻くことしかできない。必死に腕を振り払おうとした。だけどそれはなんの意味もなかった。
強い力で引かれ、闇に沈んでいたときだった。
突如、まばゆいライトに照らされた。次の瞬間には奈江子を掴んでいた腕は力を失い、代わりに水中を黒い血が覆っていた。
奈江子は太い腕に支えられて、気づけば水面にいた。
「はぁっ!は、はぁ、はぁ」
「大丈夫ですか」
そう言ってこちらを見てきた男は、彫りの深いシャープな目をした美男だった。
「あ、ありがとうございます」
「今、他の仲間がエミュレイターをとっ捕まえてますので。とりあえず浜辺に行きましょう。浮遊」
美男がそう言った途端、奈江子は美男ごと水から全身が浮かび上がった。
すごい。これが超人。
奈江子は驚愕と感嘆から思わずため息を漏らして美男を見た。
そのまま空中を泳ぐようにして浜辺に戻ってくると、泣きそうな顔でこちらを見ている友人たちがいた。
「大丈夫だったか!?」
「奈江子~~!無事でよがっだぁっ!」
「わっ!」
思い切り抱きつかれて泣かれ、奈江子は苦笑する。
美男はそんな奈江子たちを見て笑い、それからこれ、と奈江子のサーフボードを渡してくれた。
「あなたのでしょう」
「はい、そうです!ありがとうございます」
奈江子は満面の笑みで答えた。
美男はそれからどこかへ行ってしまい、奈江子は夢見心地で家に帰った。
ふと戦闘隊員はホームページから誰か知ることができたことを思い出し、EESの北海道のページを開く。戦闘隊員一覧の文字を見つけ、少し迷ってからクリックした。
性別、年齢、能力、階級から絞り込むことができた。
「えっと、男性、20~30代、能力……って、なにこれ。何系だろ」
超能力の絞り込み項目には氷系、炎系、移動系、強化系など様々な項目があった。
「とりあえずそれらしいの全部調べてみよ」
そうして暫く探していると見事ヒット。まあ、そもそも北海道の隊員自体100人程度しかいなかったので、しらみつぶしにやってもそのうち見つかっただろうが。
「三浦……?」
名前は三浦茂と書いてあった。そこでふと違和感を覚えた。
三浦といえば、姉が結婚してから名乗っている名前も三浦だ。結婚相手の情報はそれくらいしかなかったが、妙に心がざわついた。
「階級は青、主に水中での任務を行っている……か」
写真で見ても美しい男だった。ハンサムという言葉が似合う。どこか外国人のような雰囲気があった。
「超人ってホントにイケメンばっかなんだなー」
他の隊員も、見れば誰も彼もイケメンばかりだ。気になって検索してみると、北海道戦闘隊員ファンクラブなるものまであった。
奈江子は今まで、エミュレイターに数回しか遭遇したことがなかった。それも、巨大化した昆虫型のエミュレイターを遠くから見て逃げたくらいしか記憶がない。
だからこそ、そんなもののずっと戦っている超人のことをかっこいいと思った。
「でも、こんな人が姉さんの旦那なわけないよね。絶対クズじゃないもん」
奈江子はそうやって勝手に安心しきって、すっかりそのことは心の中に閉じ込めておいた。
転機が訪れたのは、姉が珍しく帰ってきたときだった。
「どうしたの、姉さん」
「こっちに間違って私宛の荷物が届いていたみたいだから、取りに来たの」
久しぶりに会った姉は、肌つやは良いものの、どこか暗い目をしていた。
「そうなんだ。姉さんは最近どう?元気?」
「まあね……奈江子は相変わらず元気そうね。良かった」
「私の取り柄は健康なことくらいだからね」
奈江子は姉を心配しつつも、久々の再会に心を躍らせていた。
なんせ優しい大好きな姉だ。前よりずっと暗くなっていることにいささか不安はあったが、病気になっていなさそうなのでまだ良かったと思う。
「奈江子は最近どうなの」
「うーん、特になにも……あっ、でも、ちょっと前にエミュレイターに殺されかけたの」
「え、本当?」
姉は心配そうにこちらを見つめてきた。その姿を見て、ああ、姉の心はまだ優しいまま、何も変わっていないんだと奈江子は安心する。
「うん。間一髪で助けてもらったんだけどね。助けてくれたEESの人がすっごいイケメンでさ、しかも名前が三浦!姉さんの旦那さんと同じだなって思って。すごい偶然だよね」
奈江子はなんてことないように言った。実際、彼女にとってそれはなんてことないことだった。彼女の中でかの隊員と姉は、一切の関係がないと決めつけられていたから。
「三浦……?奈江子、まさかあの人に会ったの?」
しかし、返ってきた返事は予想よりずっと重いものだった。
「え、どうしたの、姉さん。知りあい?」
奈江子は驚いて聞き返す。姉は暗い目で奈江子を見つめている。
「……その人って、三浦茂でしょう」
紡がれた言葉は、ある種咎めるような色を含んでいた。
「う、うん。そうだけど。なんで分かったの?」
「とぼけないで!奈江子、私の旦那があの人だって気づいてるんでしょう!気づいて、わざと近づいたんでしょう!」
「ちょっ、姉さん、やめて!なにして、……っ!」
姉は勢いよく奈江子に掴みかかり、鬼の形相で奈江子を睨み付けた。
奈江子は顔面蒼白になった。あの人が、旦那?わざと近づいた?言葉の意味が全く理解できず、ひたすらに混乱し続ける。
そんな奈江子に構わず、姉は奈江子を責め立てるように言葉をまくし立てた。
「あんたも、彼をとるんでしょ!私の彼なのに!やっと、私のこと愛してくれる、素敵な彼が見つかったのに!もう奪われたくない!もう傷つきたくない……ッッ!」
あ゛あ゛あ゛ぁっ!と嗚咽を漏らし、姉はそのまま地面にへたりこんだ。そして、わあわあと感情を発露して泣き叫んだ。
奈江子はそんな姉を、ただ呆然と見ていることしかできなかった。
どうしちゃったの、姉さん。なんで、そんなに取り乱してるの。私、なにかしちゃったの?
姉は泣き虫だった。昔からよく泣いていた。でも、ここまで荒れ果てて泣きわめくようなことはしなかった。大抵しとしと涙を降らしていた。
だからなおさら、今の姉の状態が奈江子には信じられなくて、恐怖と不安が入り混じる。つまるところドン引きだ。奈江子は姉にドン引きしていたのだった。
こんな姉さん、知らない。
「分かった、ごめん姉さん。私が無神経なこと言っちゃったんだよね。でも、本当に私、あの人が姉さんの旦那だなんて知らなかったの!もちろん奪おうなんて少しも思ってない!私、今彼氏いるの!サーフィン仲間で、助けられたときも一緒にいたから!」
「ほ、本当……?」
姉は恐る恐るといった様子で顔を上げた。その目は真っ赤に充血しており、顔中に涙がまとわりついている。
姉の瞳は奈江子の姿を揺らした。奈江子は刺激しちゃ駄目だと思って必死に頷いた。静寂が辺りを包んだ。
「二人とも、アイス食べ……どうしたの?」
やって来た母が二人を見比べて、僅かに怯えたようにそう言った。
「……もう帰る。荷物、持っていくね」
「あ、ああうん。分かったよ。気をつけて帰ってね」
「うん」
姉はふらふらと立ち上がって歩き出し、そのまま母の横を通って部屋を出た。
残された奈江子は、ただ魂が抜けたように、その場に立ち尽くしていた。




