第9話「魔神の視線」
その朝、空が――二重に見えた。
金輝島の上空に、いつもの青空とは別に、わずかに“影の空”が重なっている。
「……見えるか?」
ラークが低く言った。
「ええ」
ミルスは眉をひそめる。
「魔力層が、歪んでる。何かが……こちらを見ている」
瑛斗は、無言で空を見上げていた。
“視線”。
それが何を意味するか、身体が先に理解してしまっている。
(来る)
理由は分からない。
だが、確信だけがあった。
⸻
同時刻。
ドラード深淵域。
魔神族の領域――“虚界”。
そこに、玉座ではなく、檻があった。
鎖に縛られた、巨大な影。
「……境界……」
低く、歪んだ声。
それが、デーモンロード・ダークだった。
「世界が、人を選んだか……」
魔王デイドが、檻の外から笑う。
「そうだ。だから、お前を解き放つ」
鎖が、音もなく溶けた。
「行け」
デイドは囁く。
「世界の“芯”を、噛み砕いてこい」
ダークの目が、赤く光った。
⸻
金輝島。
突如、警報が鳴り響く。
「未確認エネルギー接近!高度……不明!」
「レーダー、反応が掴めません!」
地球側の兵士たちが、慌ただしく動く。
瑛斗は、胸を押さえた。
「……来た」
「何が?」
皐月の問いに答える前に――
空が、裂けた。
昨日までとは違う。
金色ではない。
漆黒の裂け目。
そこから、“何か”が落ちてきた。
――ドン。
大地が、凹む。
土煙の中から、ゆっくりと立ち上がる影。
人の形をしているが、明らかに“人ではない”。
「……魔神族」
ミルスの声が、かすれる。
影は、瑛斗を見た。
ただ、それだけ。
だが、瑛斗の膝が、自然と折れかける。
(……重い)
空気そのものが、押し潰してくる。
「――下がれ!」
ラークが、剣を抜いた。
一歩踏み出した瞬間。
衝撃。
見えない力が、ラークを吹き飛ばす。
「ラーク!」
「くっ……!」
地面に叩きつけられ、血を吐く。
「無駄だ」
影が、初めて言葉を発した。
「我は、ダーク」
「魔神族が一柱――デーモンロード」
地球側の兵士が、引き金を引く。
銃声。
だが、弾は――空中で、消えた。
「……物理、無効?」
クリス・ロンドの声が、通信越しに響く。
ダークは、瑛斗に一歩近づいた。
「境界」
その一言で、瑛斗の頭に激痛が走る。
「お前が、生きている限り」
「世界は、安定する」
「だから――」
ダークの手が、伸びる。
「死ね」
⸻
その瞬間。
風が、すべてを吹き飛ばした。
「――させない!」
ラークではない。
声の主は、風そのものだった。
空に、巨大な影。
「……シルフ」
ミルスが、震える声で呟く。
風の精霊神。
「魔神族」
澄んだ声が、世界に響く。
「ここは、まだ“均衡圏”だ」
「立ち去れ」
ダークは、低く笑った。
「精霊神か……ならば、尚更」
「壊しがいがある」
二つの存在の圧が、ぶつかり合う。
瑛斗は、必死に立ち上がった。
(逃げたら、皆が死ぬ)
胸の奥で、何かが――繋がる。
「……俺が、やる」
瑛斗の周囲に、金と黒が混ざった光が集まる。
ルルの声が、頭の中で響いた。
『境界は、世界を“通す”』
瑛斗は、手を伸ばす。
「ここは――通さない」
光が、爆ぜた。
⸻
次の瞬間。
ダークの姿は、裂け目の向こうへ押し戻されていた。
完全ではない。
だが、確かに――退けた。
空が、元に戻る。
静寂。
瑛斗は、膝をついた。
「……はあ……」
ラークが、立ち上がり、彼を見た。
「……今のは」
瑛斗は、苦笑した。
「正直、よく分からない」
だが。
遠く、裂け目の向こう。
ダークは、嗤っていた。
「……確かに、境界だ」
「だが、まだ“未完成”」
「次は――壊す」
その視線は、確かに、瑛斗を捉えていた。




