第26話「揺らぐ帰還」
虚界に来て、何日が経ったのか。
正確な時間感覚は、もう意味を持たない。
瑛斗は、それでも“慣れ”を自覚していた。
(……危ないな)
慣れる、ということは。
疑わなくなる、ということだ。
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中枢塔・上層。
瑛斗は、境界制御核と呼ばれる巨大な結晶装置の前に立っていた。
自分がここにいるだけで、結晶は穏やかに脈動している。
「……本当に、装置だな」
ノアが、隣で頷く。
「王が存在する限り、虚界と現界は過剰に重ならない」
「あなたは、“楔”です」
その言葉は、優しくて、残酷だった。
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「……楔は、抜けると壊れる」
瑛斗の呟きに、ノアは目を伏せる。
「……はい」
「だから」
「あなたが、帰還を選ぶなら」
「この世界は――」
言葉は、途中で止まった。
瑛斗は、続きを聞かなかった。
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虚界の街。
今日も、いつも通りの営み。
子どもたちが走り、商人が声を張り上げる。
瑛斗が歩くと、
人々――
いや、魔神族たちが自然に道を空ける。
恐怖でも、崇拝でもない。
信頼に近い何か。
(……まずい)
心の奥で、警鐘が鳴る。
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その夜。
瑛斗は、夢を見た。
地球の街。
人々。
皐月の笑顔。
だが――
その輪郭が、少しずつ薄れていく。
代わりに、虚界の風景が色を増していく。
「……っ」
目を覚ます。
冷たい汗。
胸の“鍵”は、静まり返っていた。
(……反応しない?)
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翌日。
ダークが、瑛斗を呼び出した。
中枢塔最上階。
「……馴染んでいるな」
「嫌味か?」
瑛斗の返答に、ダークは首を振る。
「事実だ」
「王権の消耗も、止まっている」
瑛斗は、息を呑む。
「……どういうことだ」
「簡単だ」
ダークは、淡々と告げる。
「君が、境界として最適化され始めている」
沈黙。
「ここでは、君は削られない」
「帰れば、また削れる」
「選択は、明白だろう?」
⸻
瑛斗は、拳を強く握った。
「……それは」
「生きてるって、言わない」
ダークは、一瞬だけ目を細める。
「だが」
「君が壊れれば、誰も救えない」
「人として壊れるか」
「世界として生きるか」
「……選べ」
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その頃、地球。
金輝島。
皐月は、精霊界の境域に立っていた。
「……お願い」
「繋いで」
精霊神パラケルススが、静かに応える。
『王は、遠くなりつつある』
『だが』
『完全には、離れていない』
光が、微かに揺れる。
⸻
虚界。
瑛斗は、一人で境界結晶に手を伸ばした。
温かい。
人の心拍に、よく似ている。
「……俺は」
「ここにいれば、皆を守れる」
「帰れば、戦いは続く」
そのとき。
胸の奥で――
小さな、だが確かな痛み。
皐月の声が、微かに重なった。
『……一人で、決めないで』
瑛斗は、目を見開く。
「……聞こえた」
“鍵”が、弱く、だが確かに脈打った。
⸻
ノアが、静かに近づく。
「……戻るんですね」
瑛斗は、即答しなかった。
「……まだ」
「でも」
「忘れたまま、ここにいるのは」
「……違う」
ノアは、少しだけ笑った。
「それなら」
「あなたは、まだ王じゃない」
「……人です」
⸻
虚界の空で、裂け目が一瞬だけ強く光る。
ダークが、それを見上げた。
「……なるほど」
「まだ、切れていないか」
彼は、静かに呟く。
「なら――」
「次は、決断を早めよう」




