【序章】四脚脊椎動物だけが正史ではない。(2)
序章の② 五億年の生物史に潜む 『捏造された空白』
脊椎動物の進化史は、約五億年前のカンブリア紀に始まるとされている。
この時期、魚類を含む脊索動物が急激に多様化し、やがて四肢動物が陸上へと進出するという流れは、生物学の定説として広く受容されている。
しかし、この「五億年の歴史」は、実際には均質に理解されているわけではない。
むしろ、現生動物の視点から再構築された『部分的な物語』であり、そこにはいくつもの「不自然な沈黙」と「説明されない空白」が存在する。
この空白こそが、六脚脊椎動物類の存在を排除し、脊椎動物の進化史を『四脚のみ』へと収束させた要因である。
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◆ 1. 化石記録の『断絶』は、存在の欠如ではなく、保存の偏りである
化石記録は、しばしば進化史の『証拠』とみなされるが、実際のところ、化石化する生物は自然界のごく一部に過ぎない。
特に欠落しやすいのは次のような生物である:
・外骨格と内骨格の混成構造をもつ種
・軟骨性の骨格をもつ種
・乾燥・酸性土壌で生息した生物
・海岸線や湿地帯で死んだ生物(腐敗が早く遺骸が残らない)
・山岳・火山帯の熱源に近い生物(化石化条件から外れている)
六脚脊椎動物類がこれらの条件に重なるのであれば――
化石として「残らなかった」ことは、「存在しなかった」ことの証明にはならない。
にもかかわらず、化石の沈黙は学術的には「その系統は存在しなかった」という形で扱われてきた。
これは、データが欠落している領域に沈黙を当てはめる行為であり、まさに「捏造された空白」である。
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◆ 2. デボン紀〜石炭紀における『六脚の空白』
興味深いのは、昆虫の六脚(Hexapoda)が陸上に現れる時期と、脊椎動物が陸に上がる時期の間に、約1億年のタイムラグが存在することである。
・昆虫の陸上出現:約4億8千万年前
・脊椎動物の陸上出現:約3億8千万年前
つまり、陸上には約1億年の間、六脚構造を採用しうる環境が存在していたにもかかわらず、その領域のほとんどは化石的には沈黙したままである。
この『六脚の空白』は、昆虫以外の六脚系統が存在していても不思議ではない期間であり、六脚脊椎動物類が陸上生態系の原初期に試行された可能性を強く示唆している。
にもかかわらず、現在の進化史ではその可能性は検討されない。
「四脚が唯一の正解である」という固定観念が先行するためである。
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◆ 3. 『神話的存在』にだけ残った六脚生物の痕跡
興味深いことに、生物史の空白に対応する時代に、文化史・神話史では『明らかに六脚構造をもつ存在』が多数出現している。
・グリフィン(四脚+翼)
・有翼人(人間+翼)
・スフィンクス(獅子体+人頭+翼)
・ケルビム(四翼+四顔の天使)
・ドラゴン(四脚+翼、あるいは六肢構造)
これらの造形は、地球上の現生脊椎動物では採用されていない形である。
にもかかわらず、なぜ世界中の文化が『六肢の生物』を共通して描くのか?
進化史と文化史の双方における空白を接合すれば、「六脚脊椎動物類はかつて実在したが、化石として残らず、その記憶だけが神話として残った」という解釈が最も合理的になる。
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◆ 4. 空白は『ただの欠落』ではなく、人類によって『塗りつぶされた』可能性
六脚脊椎動物類が生態系の一部として存在し、のちに人類と生息域を共有したとすれば――
その存在は必ずしも友好的ではなかったはずである。
大型種(ドラゴン、グリフィン)との競合、中型知性種(スフィンクス、天狗)との交流または対立は、争いや迫害を伴った可能性が高い。
そうなれば、人類が記録に残すのは「神話」か「怪物退治の物語」であり、
・具体的な姿
・文化的役割
・知性の程度
・社会構造
といった『文明的記録』は、意図的に排除され、宗教的象徴へと『変換』された可能性がある。
つまり、空白は自然の沈黙だけでなく、人類によって消された歴史でもある。
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◆ 結語
五億年の生物史は決して連続的ではなく、最も重要な期間ほど沈黙し、断片的で、『存在しなかったことにされる』危険性を抱えている。
化石の欠落、記録体系の偏り、文化記憶の象徴化。
これらが重なったとき、本来存在したはずの系統は『捏造された空白』として埋め込まれ、進化史から消滅する。
六脚脊椎動物類仮説は、その空白を再解釈し、四脚中心史観に覆われた『見えない系統』を復元する試みである。




