落椿
三題噺もどき―ろっぴゃくさんじゅういち。
「さむいなぁ……」
姿を消しつつある月の下。
今日も散歩に出かけていた。
晴れの日が続くようになってきたが、風は変わらずに冷たい。これがもう少し弱弱しく吹いていればよかったのだけど、強風一歩手前みたいな強さで吹くから、体感温度の下がりようったらない。これでもまだ防寒はしているから、あったかい方なんだけど。今日もカイロを持たされた。
「……」
いっそのこと感覚が麻痺するくらいに、麻酔とやらをかけてくれと思うくらいには寒い。しかしそこまで行くと、さすがの私も麻酔のせいで動けなくなるかもしれないから何とも言えない。ああいうのは、体が毒だと判断するから耐性があるのだ。よくないな。
それが必要になることはないだろうけど。
「……」
時折、吹く風のあまりの冷たさに身を震わせながらも、歩いていく。
天気予報を見た限り、これから一気に温かくなるらしい。夜はどうなるか分からないが、まぁ、例年並みになると言う。
もう、すぐに二月が終わり、アッと言う間に三月を迎えるのだから。それの準備でもしているのだろう。
「……」
しかし、この一か月はなんというか、あっという間に終わった。
まぁ、単純に日数が少ないのはあるんだろうが、なんというか……気づけばという感じだな。まぁ、そんなの今に始まったことではないし。
多分、一年が終われば、一年あっという間だったと言うだろう。時間の感覚というのは面白いものだ。
「……」
あまり広いとも言えない住宅街の道を進んでいく。
その塀沿いに、何かが踏まれた跡があった。
「……」
家の庭にでも植えられている気が、道路にまで飛び出しているようだ。
あぁ、あれは確か、椿の木だろう。あの家はそれなりに立派な椿が咲いていたはずだ。それが落ちて、踏まれたんだろう。
足で踏んだのか、車にひかれたのか。それは分からないが。見るも無残な姿だ。
これを首に例えた人間は、嫌いな人でもいたんだろうか。
「……」
しかし、この椿という花が落ちた所は見たことがないが、それはそれは美しいのだろう。あの花が、枝の先から、ぷつりと落ちるさまは。首を落とすのと同じような。
「……」
あの花の色も美しい。もちろん、色とりどりあるのかもしれないが。
やはり椿と言えば、赤だろう。肉厚な、見ても分かる重みを感じられるあの花。
それが、落ちるのだ。ぼとりと。ギロチンのように。
見てみたいと思うがな……。
「……」
人のように赤はこぼれずとも、蓄えた命がその先からこぼれていきそうだ。
きっと椿がそうやって花を落とすのは、蓄えた命を絶やさず次へつなげるためにだろうけれど。まさに身を切るような思いで、落としているのだとしたら。
まぁまあ。
それはいつでも。
機会があれば、ここにまた来ればいいだろうし。
「……」
そろそろ帰るとしよう。
新月が近いと、変なものがよってきやすくなるからな。
我が家に、また変な虫でも湧いていたらたまらない
「戻った――」
そういいながら、玄関のドアを開けた矢先。
部屋の中から、何か黒い塊が飛び込んできた。剛速球か何かかと思ったが。
それは見慣れた蝙蝠だった。
「――なん」
「――――!!」
顔面に飛び込んでこなかっただけ、よかったが。そこはみぞおちだ。痛いのは痛い。
しかし当の本人はそれどころではないのか、パクパクと口を動かすだけで精一杯のようだ。
何かを言いたいのか、爪の先で必死にどこかを刺している。
「なんだ、落ち着け」
痛みに耐えながら、蝙蝠を手に抱え上げ、未だにバタバタと暴れるのを抑える。
「あそこ、あそこ」
少し落ち着いたのか、その言葉だけを繰り返している。
なんだ、何か入ってきたのだろうか。
あの日、追い払ったのについに家にまで入ってきたんだろうか。
「―――」
一気に跳ね上がった緊張感を携えながら、慎重に部屋へと入ってくる。
さした先はリビングの、端の方だった。
そこにいたのは。
「は―」
「―――!」
声にならない悲鳴を上げるコイツと裏腹に、私はもう、唖然とするしかなかった。
黒い塊、つやつやとした体、二つの細い触覚に、体についた細い手足。
確かにこれを嫌う人間はいるが。
「お前……」
「はやく、早く」
仮にも蝙蝠で、吸血鬼の従者なんだから……。これくらいで。
まぁ、でも。ここにきてゴキブリを見る事なかったからな。
しかし私も素手で触るわけにも行かないので、その辺にあったティッシュを数枚取り、そのままつぶした。命に罪はないが、消えてもらおう。
「終わったぞ……」
「……ありがとうございます」
変な虫とはこれの事ではないんだがな。
「お前そんなに虫ダメだったか?」
「いや、虫というか、あれが……」
「ふーん……」
「……何を企んでいるかは知りませんがやめてくださいね」
「まぁ……何もしないさ」
お題:剛速球・椿・麻酔