第二 四回 ④
マタージ盟友を迎えて即位を宣揚し
イシャン君命を奉じて義君に相対す
ナオルがドクトを制して言った。
「そうは言ってもこの戦には、フドウ、ジョンシ、ズラベレン、キャラハン、カミタの命運が懸かっているのだ。セイネン、何か策はないか」
問われたセイネンはううんと唸って、
「敵は当たるべからざる勢いの三万。連丘を押さえられては迎え撃つべき地もありません。そもそも戦に勝つには『天・地・人』の三者が揃わなければいけません。今、我々は『天』と『地』を欠いています。ここはせめて『人』を保って、望みを繋がねばなりません」
コヤンサンがいきり立って言った。
「ええい、何だ、初めから負けるようなことを言いおって。天だの地だのとは、いったい何のことだ」
「天とは天の時。戦には機が肝要だ。ウリャンハタは先んじて軍を興して準備は万全、さらに連丘も制した。我らはすっかり遅れを取ったわけで、これをこれ『天を失う』と謂う」
また言うには、
「次に地とは地の利のこと。寡兵をもって能く大敵と戦いうる格好の地を奪われて、我らは不利な野戦を強いられている。これをこれ『地を失う』と謂う。ゆえに天地を欠くと言ったのだ」
ナオルが尋ねて、
「では残りの『人』とは?」
するとセイネンは、向き直ってインジャに言った。
「人とは人の和です。とかく劣勢になると結束が緩みがちです。有利な戦でさえ和を失って敗れることがあるというのに、不利となればなおさらのこと。しかし人の和さえ保たれれば、今日敗れても後日に必ず好機が訪れましょう」
さらに続けて言うには、
「また『人』は将兵だけではありません。人衆は何にもまして重要です。先に女子、老人、家畜を安寧の地へ逃がさなければいけません。我々が戦うのはその時日を稼ぐため」
インジャは大きく頷いた。ドクトが怪訝な表情で尋ねて言うには、
「逃がすといっても、どこに逃がす。安寧の地などあるか?」
セイネンはさも意外といった表情で、
「よりによってドクトがそんなことを言うとは。オロンテンゲルの山塞があるではないか」
諸将はあっと膝を打つ。ドクトも笑って、
「おお、それは確かに安寧だ! 数万の大軍が寄せてもびくともせぬわ。しかもまだまだ土地は有り余っている。万余の人衆を入れても足りぬことはないだろう。それを忘れるとはどうかしていた」
インジャが断を下して言った。
「では急いで人衆と家畜を逃がそう。道中でサルカキタンや野盗に襲われては何にもならぬ。シャジ、ドクト、ハツチは、三千騎を率いてこれを護れ。我らは残りの七千騎で敵を迎え撃つ」
ドクトがあわてて言うには、
「そんな、俺は残って戦いますぞ。そうだ、インジャ様が先に山塞へお越しください。あとは我らに委せて」
ハクヒやナオルも賛同してさまざまに説いたが肯んじない。やがて居住まいを正して言うには、
「私は才なく徳薄い身でありながらみなさんの上席を汚しています。この上、敵を目の前にして独り逃げたとあっては天下の笑いものです。もちろん私は勇はコヤンサンに及ばず、智はセイネンに及びません。ただ天下を憂える志については誰に劣るものでもありません。みなさんどうかこの先、私だけを逃がそうなどと道理のないことを言わないでください」
諸将はこれを聞くと平伏して言った。
「我らはインジャ様に生涯を捧げた身なれば、今のお言葉に感じ入らぬものはありません。力を尽くしてミクケルにひと泡吹かせましょう」
こうして一同は心に勇を、身に力を得て奮い立った。セイネン謂うところの「人の和」においてこの好漢たちに勝るものがあろうか。
ともかくシャジ、ドクト、ハツチは人衆をまとめると、オロンテンゲルの山塞を目指して出発した。
さらにナオルの勧めに順って、ドノル氏のテムルチとイタノウ氏のマルケに急使を送り、これを迎えに来るよう手配した。
残る諸将もそれぞれ戦の用意を整えて集結する。インジャはぐるりとこれを見回すと、
「では出陣する。前軍はズラベレン三将。ナオル、ハクヒ、セイネン、タンヤンは私とともに中軍。ジュゾウは遊軍を率いて後軍となれ」
みな勇躍して命を受ける。ジョルチ軍の総勢は七千騎。前軍はズラベレン三千。中軍はフドウ千、ジョンシ二千に加えて隷民軍五百。これは先に右派との戦で得た捕虜たちである。後軍はジョンシから五百を割いてこれに充てた。数は少ないが、士気は上天を衝き、勢いは大地を圧するほど。
その日は敵影を見ることもなく終わった。翌朝食事をすませると、また進撃を開始する。駆けること半日、ついに彼方から土煙を上げて迫る騎兵を発見した。
「来た! みなのもの、喪神が来たぞ。心してかかれ!」
コヤンサンが叫んで、ズラベレン三千騎はおうと応える。あとに続くインジャらにも報は伝わる。
「聞けばマタージはかの七千騎に縦横無尽に駆け回られ、陣を破られたという。そこにミクケルの中軍が到着したため、総崩れの憂き目を見たのだ。よいか、密集して決して敵を通すな。そうすれば、いかに喪神鬼とはいえ容易には破れまい」
インジャはそう言うと金鼓を打ち鳴らさせて士気を鼓舞した。全軍はおうと喊声を挙げる。
その喪神鬼イシャンは敵を望んでいざ突撃しようとしたところ、喊声を聞いて足を止めた。傍らのトゥイン・チノに言うには、
「盛んなものではないか。見たところ七千騎ほどか。どこからあの気力が出てくるのやら」
しばらくジョルチ軍を観察していたが、やがてにやりと笑うと、
「タロトよりは楽しませてくれそうだ。さすが魔軍を奔らせたというだけのことはある。よし、トゥイン。お前が行って敵将と手合わせしてこい」
トゥイン・チノは頷いて脱兎のごとく飛び出していく。頭上高々と得物を振り回し、大音声で言うには、
「俺はウラカン氏のトゥイン・チノ。この俺と戦う命知らずはおらぬか!」
コヤンサンはこれを聞くや総髪を逆立てて怒り、イエテンの制止もかまわず駆けだした。得物は互いにひと筋の長槍。
「ほう、お前の名は何と云う」
何も答えずにコヤンサンが突きかかったので、トゥインはおおいに怒る。かくて激しく打ち合うこと二十合、金光閃爍して勝負はいつ果てるとも知らない。
まさに龍虎相会わば、テンゲリを揺るがし、エトゥゲンを震わせ、奥義を尽くして一歩も譲らぬといったところ。さてこの勝負はどうなったか。それは次回で。