第二 四回 ③
マタージ盟友を迎えて即位を宣揚し
イシャン君命を奉じて義君に相対す
「不愉快じゃ。散会する」
サルカキタンはそう吐き捨ててさっさと席を立つ。みなもばらばらと己のゲルに帰った。中にはトオリルに同情するものもないわけではなかったが、累が及ぶのを恐れていずれも目を逸らして去った。
そこに独りだけ近づいたものがある。誰かと見ればアイヅム氏族長コニバン。
「……トオリル殿」
返事がないので、小者に命じて己のゲルにこれを運ばせた。あれやこれやと介抱するうちに何とか意識を取り戻したので、コニバンはおおいに喜ぶ。
「……ああ、コニバン殿。ありがとうございます」
苦しげに喘ぎつつ礼を言えば、
「いや、あの場に居ながらお助けすることができず、申し訳ありません」
トオリルは深く溜息を吐くと、
「近ごろの大人は、侫人しかお近づけになりません。草原の情勢は有利に動いているはずですが、肝心の大人があの有様では右派の命脈もそろそろ尽きますぞ。『暗君に見る灯なし』と謂うではありませんか」
「そうですか。私にはよく判りません」
「コニバン殿はアイヅム氏の族長、大人に義理を尽くす理由はありません。氏族の安寧を図るのであれば、早々に離れるがよろしかろう」
「そうは言いますが独りで立つ才覚はなく、大人の下を離れては明日の糧にも窮する有様。……貴殿はどうなさるおつもりですか」
「さあ、私は親族もなく、財産もなく、何も憂えるものがありません。とりあえず左派のトシ・チノを訪ねてみますが、その先のことは判りません」
「傷が治るまでここに居てはどうですか」
「いや、コニバン殿に累が及んではいけません。明日、夜が明けないうちに発つことにします」
そう言うと拱手して改めて礼を述べる。コニバンは盛んに引き止めた。しかしトオリルはこれをきっぱりと断り、言葉のとおりに朝早くアイルを去ったが、この話はここまでとする。
さてまたも舞台は移ってウリャンハタのミクケル・カン。神都からジエンとハサンを迎えると、おおいに酒を振る舞ってこれを労った。ジエンは拝礼して言った。
「まったく大カンの強さは古の英雄も遠く及ばぬところ。我が神都も軍馬を整え、あとは命令を待つばかりでございます」
「上天が我々を祝福しておるのだ。どうして敗れることがあろう。このままタロトの残党を討ち滅ぼすつもりだ」
すかさずハサンが機を捉えて、
「そこでございます。今やタロト部は勢い日に衰え、しばらくは大カンの心を悩ますことはありません。滅ぼそうと思えばいつでもできます。今、討たねばならぬ敵は別にあります」
「ほう、それは?」
ジエンは指を立てて言った。
「フドウの小僧でございます。聞けばタロト部はマタージがハーンの位を継いだとか。マタージは恐れるに足りませんが、奴とフドウの小僧は盟友の誓いを交わした仲、遠からず連合するでしょう」
あとを受けてハサンも言う。
「フドウの小僧は初陣にダルシェを奔らせ、ジョンシとズラベレンを併せ、自軍に倍するベルダイ右派の軍を連丘(メルヒル・ブカのこと)に破るなど、なかなかの良将。早めに叩いておくのが得策です。タロトがフドウに投じれば一戦に破るのは難しくなります」
「なるほど、それはそうだ。早速一軍を興してフドウを討とう」
そう言ってイシャンを呼んだ。すぐにやってくると拱手してそこに控える。ジエンとハサンは、その勇者ぶりに感嘆の声を漏らす。ミクケルは言った。
「ジョルチ部の小僧どもを攻めることにした。お前はすぐに出立できるよう軍を整えよ」
「我が軍はすでに命を待つばかりでございます。明日にもここを発てましょう」
その言葉におおいに気を好くして言うには、
「よし、先鋒に任ずる。亡族の小僧にひと泡吹かせてやるがいい」
イシャンが退出すると、ハサンが言うには、
「奴らは先年、寡兵をもってベルダイ右派を破っております。同じ手を使うかもしれませぬ。サルカキタンが敗れたメルヒル・ブカは、丘陵連なり視界悪く、大軍の運用には適しませぬ。またここに籠もられては苦戦は必至、そこでまず一将をお遣わしになって連丘を制するべきかと存じます」
それもなるほどと思い、カヂュとフウテイの二将にシモウル氏の兵を預けて、メルヒル・ブカに向かわせた。
翌日、イシャンはウラカン氏の強兵七千をことごとく揃えると、ミクケルに挨拶して進発した。ミクケル自身もスンワ、カオエン両氏の大軍を従えて、すぐに発つ予定である。
七千騎は、喪神鬼イシャンを先頭に旌旗を靡かせて、広大な平原を東へと向かった。あとに続くはトゥイン・チノ、マムル、バクチェなどの若い勇将たち。
ウリャンハタ出撃の報は瞬く間に草原を駆け、ほどなくインジャのもとにも達した。そこで諸将を集めて諮った。居並ぶ顔ぶれを見れば、併せて十一人。
左の席に並ぶは、ナオル、セイネン、コヤンサン、ドクト、ハクヒ、シャジ。右の席に連なるは、タアバ、イエテン、ハツチ、ジュゾウ、タンヤン。みな一様に緊張した面持ちで控える。
「ウリャンハタの先鋒はイシャン率いる七千騎。先のタロトとの戦ではその名のとおり鬼神のごとき豪勇で、タロトの繰り出す上将を次から次に討ちとったという。恃みの連丘は、入口をすでに敵騎五千が固めているとのこと。さらにはミクケル・カンが一万七千騎をもってあとに続いているとか。この危機にどう対するか、みなの意見を聴きたい」
諸将は誰一人、口を開くこともできない。敵は併せて三万騎の大軍、対する味方は一万騎を超えるかどうか、劣勢は明らかである。さすがのナオル、セイネンもすぐには妙策を出しがたい。
ドクトが痺れを切らして卒かに大声で言うには、
「こうして頭を並べて黙っていてもしかたない。敵は刻一刻と近づいているんだぞ。心を決めて出陣するほかないではないか。一戦して不利ならそのときはそのときだ」