第二 四回 ② <トオリル登場>
マタージ盟友を迎えて即位を宣揚し
イシャン君命を奉じて義君に相対す
悲しむものあらば、喜ぶものがあるのはまた当然のこと。神都ではヒスワが小躍りして喜んでいた。早速上卿を招集して次の計に取りかかる。まずはビリクとムルケの二人。
「卿らはさらにマシゲルへの調略を進めてくれ」
ビリクが答えて言う。
「お委せください。まもなく大きな叛乱が起きますぞ」
「ほほう。と言うと?」
「マシゲルの旧家チャテク家は、現ハーンのジャクー家を恨むこと甚だしく、我らの誘いにおおいに心が動いている様子でございます」
「それはよい。引き続き嘱んだぞ」
二人は恭しく一礼して退出した。次いでジエンとハサン。
「卿らはウリャンハタへ。出師の成功を祝う使者となってもらう。それにしても、あの強さはどうだ。タロト軍を鎧袖一触、易々と破ったそうではないか。もともと両軍が争っている間に、ジェチェンに刺客を放つつもりだったが不要であったわ。すべて大カンが片づけてくれた。卿らはさらに大カンに勧めて、タロトの残党とジョルチの小僧どもを討たせよ」
ジエン、ハサンも命を受けて退出する。次に呼ばれたのはボルゲとプラダ。
「卿らはサルカキタン大人に伝えよ。ウリャンハタが動いたら、大人は我が軍と力を併せてベルダイ左派を討つ。そもそも大人にはウリャンハタとともにフドウの小僧を挟撃させる予定だったが、大カンに余計な助力は無用。ならば左派を始末してしまおうというわけだ」
二人も礼をして退出する。あとはグルデイが残るだけ。
「さあ、卿はいよいよ出陣の準備を。ジョルチ、マシゲル、タロトの名が草原から消える日も遠くないぞ」
ヒスワは会心の笑みを浮かべて退庁すると、早速サルチン、ヘカトを呼んで祝宴を開く。二人は怏々として楽しまなかったが、今をときめくヒスワには逆らえずやむなく席に連なった。
「計策はもはや成ったも同然、来春にはまさにこの世の春を謳歌しているだろう」
独り上機嫌で酒を勧める。ヘカトはついに眉を顰めて言うには、
「我が兵は二万とはいえ戦は知らぬ。はたして草原の激しい戦に堪えうるかな」
しかし気分を害することもなく、
「案ずるな。長い沈黙を破って街を出るんだ。抜かりはない。ベルダイやマシゲルの阿呆どもが驚愕するさまが目に浮かぶわ」
自信満々に言い放ってぐいと杯を呷る。二人は黙って相伴したが、くどくどしい話は抜きにする。
さてあちらこちらと話は飛んで、ベルダイ右派の首魁サルカキタンはどうしていたかと云うと、やはりウリャンハタ勝利の報に大喜び、諸将を集めて盛んに宴を開く毎日。
「妖人が死んだぞ。ははは、次は亡族の小僧どもの番だ。わしがジョルチ部のハーンとなるのもまもなくだ」
すでにベルダイの六駒はこの世に亡く、あるのは阿諛便侫(注1)の徒ばかり。挙って言うには、
「まったくおっしゃるとおりでございます。これも大人の徳の賜物でございます」
ますます機嫌を好くして早くも恩賞の口約まで飛び出せば、みな大仰に感謝してさらに追従の言葉を並べ立てる。
ここに独り志高き好漢があって、名をトオリルといった。佞臣どもの諛辞(注2)に堪りかねて思わず進み出ると、
「大人、申し上げたきことがございます」
「ん? 誰だ、お前は」
「ホイルブン家のトオリルと申します」
その人となりを見れば、
身の丈七尺、黄面角顔、目は漆を点じたがごとく、口は線を画したがごとく、髭は草を生やしたごとく、胴は牛の大なるがごとく、知謀は泉のごとく湧き、百万の軍を帥いて惑うことなき生来の良将。
しかし今はまだ侍衛の一兵卒に過ぎない。拱手して言うには、
「天下の帰趨はいまだ計り知れませぬ。今は兵を鍛え、民を労り、有事に備えるべきかと存じます。何とぞご賢察ください」
サルカキタンは甘言を好み、諫言を嫌う質だったので、おおいに怒った。
「黙れ! お前ごとき卑しいものに何が解ろう。下がれ、下がれ!」
トオリルが黙然として立ち尽くしていると、佞臣の一人が言った。
「こやつは忠臣面して部族の和を乱す大逆臣でございます。然るべき罰を与えねば綱紀が保たれませぬ」
サルカキタンは大きく頷いて、
「ではどうしてくれよう」
「棒打ち三十の上、放逐してくれましょう」
この答えにおおいに満足して、
「よし、こやつを捕らえよ!」
トオリルは瞬く間に捕らえられて縛り上げられた。小さい目をいっぱいに見開いて睨みつける。
「何じゃ、その目は、ええい、打て!」
俯せに押さえつけられると、背後で棒が振り上げられる。
「一! 二! 三! ……」
棒は容赦なく振り下ろされ、十を超えるころには衣服はすっかり破れ、皮は裂け、血は飛び散った。トオリルは歯を喰いしばって堪えていたが、やがて気を失ってぐったりとしてしまった。
「気を失いましたが、どうしますか?」
「最後までやれ!」
その言葉に再び棒を振り上げ、きっちり三十回打ち据えた。
(注1)【阿諛便侫】 口先だけ上手く立ち回って、おもねること。
(注2)【諛辞】へつらって言う言葉。諛言。