第二 三回 ③
喪神猛威を奮いてタロト潰走し
妖人冥府に入りてマタージ哭泣す
「我が軍には喪神鬼一人を止めるものもおらんのか!」
その言葉に勇躍して飛び出したものがある。タロトにその名を知られた勇将、シュトイゲン。
「それがしが喪神鬼を屠ってまいりましょう」
得物の大鉄斧を振り回してイシャンに挑む。そのさまはやはり鬼神のごとく、髭を震わせて打ちかかる。
「命を捨てに来たか!」
イシャンはくるりと槍を持ち直すと、えいとばかりに繰り出した。狙いは違うことなく、シュトイゲンは一撃で喉を刺し貫かれて落馬する。ウラカン軍は勢いを得て、タロト軍はかえって浮足立つ。
「おお、まさに喪神鬼とはよく言ったものだ……」
マタージが青ざめて今にも立ち上がろうとするのを、ゴルタが懸命に止める。ウラカン軍は次々にタロト軍の備えを破り中軍に迫った。マタージは幕僚に命じて、
「本営の旗を降ろせ!」
ゴルタがはっとして諫めたが、耳を貸さずにかえって言うには、
「お前は私の命がどうなってもいいと言うのか!」
声を荒らげてこれを非難する。
本営の旗が消えたので、兵衆は動揺も顕に争ってイシャンに道を譲る。イシャンはさらに駆けに駆けて何と本営の脇を通り抜けていった。そのときマタージには一瞥をくれたに過ぎない。
マタージは安堵の息を漏らすと、再び旗を掲げて軍をまとめにかかった。鼓を鳴らして左右両翼の軍も立て直しを試みる。
さて、一度は敵陣を駆け抜けたイシャンは、
「みなの衆、敵は恐れるに足らぬぞ。続け!」
叫ぶが早いか全軍の参集を待たずに馬首を廻らせて、今度はチャルトー率いる右翼を指して突撃していく。七千騎は続々と連なって旋回していく。
「き、来たぞ!」
チャルトーは射手を前に出して迎撃する。降り注ぐ矢の雨の中を、イシャンは平然と進んでまるで意に介さない。手にした槍が一閃するごとに、矢は虚しく地に落ちる。続いて騎馬の精鋭が正面から当たるが、屍の山を築くばかり。
ウラカン軍はほどなく右翼一万を撃ち破り、息を吐く間もなく左翼へと向かう。マジカンも手を尽くしてこれを迎え撃つが、はたして右往左往するばかり。軍中を駆け回られて、さながら破れた衣のようになってしまった。
さらに右翼からイシャンを追ってきた一部の兵が左翼に交わり、甚だしく混乱する。敵かと思えば味方、味方かと思えば敵、マジカンもチャルトーもこれを収拾できずに、ただ喪神鬼の跳梁を許す。最初の陣形はどこへやらといった有様。
そうして敵陣を縦横に破ること久しくして、漸くウラカン軍にも遅れるものがでてきた。イシャンは最後に再び中軍を突破すると、隊伍を整えながら言うには、
「みなのもの、よくやった。あとは大カンが何とかしてくれるぞ」
その指すほうを見れば砂塵が濛々と舞い上がり、新手の軍勢が到来した様子。遠く旗を望めば、まさしくウリャンハタ本軍のもの。一同はわっと歓声を挙げる。
タロトもあわてて陣を整えんとするが、いたずらに金鼓が鳴るばかり。マタージの指示も二人の兄には伝わらず、各々思うままに兵を動かし、上が下になり、下が上になり、左は右を詰り、右は左を責めるといったところ。
そこへミクケル・カンが親ら率いる、スンワ氏、カオエン氏、チダ氏の二万騎が怒涛のごとく押し寄せたのではひとたまりもない。イシャンも兵を返して前後から散々に攻め立てる。
「退け! 退け! 退いて立て直すのだ!」
マタージが退却を命じれば、全軍旗をうち棄てて敗走に転じる。ウリャンハタ軍は兵を併せてこれを追い、三度戦って三度破るという快勝を収めた。
およそ半日も退いて点呼してみればやはり十中の三を失う大敗に、三兄弟はおおいに悔しがる。
「長兄、敵は新たに大軍を加え、我らだけではとても戦えませぬ」
マジカンが言えばチャルトーも、
「喪神鬼一人でも持て余しているところにミクケルまで出てきてはどうにもならん。敵はこれで総勢三万近く、さてどこかにこの危機を救ってくれるものはおらぬものか」
「いっそタムヤを献じてしまおうか」
「それでは父祖の築いたタロトの威信に傷が付くばかり。ただでさえ近ごろは小族の叛乱が絶えないというのに」
黙ってこれを聞いていたマタージが言った。
「ここはもう一度軍を整えて決戦を挑むほかありません。先ほどは敵が小勢なので心に隙がありましたが、今度はそうはいきません。十分に策を講じて当たりましょう。敗れたりといえども我が軍はまだ二万数千、厚く陣を組めばそうそう敗れることはありますまい」
二人の兄は眉を顰めて、
「次代ハーンの言葉だ、尊重せねばなるまい」
そう言ってマタージに順うことにした。