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草原演義  作者: 秋田大介
巻二
89/783

第二 三回 ①

喪神猛威を奮いてタロト潰走し

妖人冥府に入りてマタージ哭泣す

 凍りついた大地(エトゥゲン)が緩みはじめ、柔らかくなった(コリス)を踏んで、初めて人衆(ウルス)(ハバル)が近づいたのを実感する。


 (サルヒ)はまだ厳冬の余韻を留めているとはいえ、陽射しは(ようや)く暖かくなりゆき、草原(ミノウル)の民はひとしく安堵の息を吐きながら無事に春を迎えたことを喜び合う。


 狭い冬営地(オブルヂャー)から広々とした平原(タル・ノタグ)に移り、いっぱいにアイルを展開させれば、自然と心穏やかになるというもの。


 しかし中には春とともに、抑えていた欲望を発露させる輩もいる。メンドゥ(ムレン)西(バラウン)、ウリャンハタ部では、ミクケル・カンが諸将を招いて早くも出陣を(はか)っていた。すでに準備は整っており、あとは大カンの勅命(ヂャルリク)を待つばかり。


「我が忠実(シドゥルグ)なる諸将よ。ついにウリャンハタが草原(ミノウル)に覇を唱えるときが(めぐ)ってきた。いよいよメンドゥを渡る。先鋒(アルギンチ)はイシャン、副将にチトボ。汝らはウラカン氏、シモウル氏の兵衆一万(トゥメン)を率いてタムヤを攻めよ。舟の手配はツォトン」


 続けて中軍(イェケ・ゴル)の陣容。


「スンワ氏、カオエン氏、チダ氏の衆二万は、わしが(みずか)ら率いる。ネサク、ダマンの両氏は後軍(ゲヂゲレウル)として留まり、(チャク)()てタロト部の本営を衝き、妖人を討て。留守陣(アウルグ)のことはジャルに(まか)せる」


 居並んだ諸将は拱手して退出する。


 即日、先鋒のイシャン率いる一万騎は次々と渡河を開始した。主な将を挙げれば、副将チトボのほかにウラカン氏からトゥイン・チノ、マムル、ブル、バクチェ、スク・ベク、シモウル氏からボチュ、ジュゲン、カヂュ、フウテイ、ヤンテ。


 いずれも勇名轟く豪のもの(クチュルゲテン)、殊に大将たるイシャンは喪神鬼と渾名(あだな)されるほどの猛将(バアトル)である。(ムレン)を渡ったウリャンハタ軍は、怒涛のごとくタムヤに押し寄せた。


 これを守るのは僅か二千騎。知事(ダルガチ)のハンマンは(エレグ)を潰すと、ほかに良策もなく籠城を決めて急使(グユクチ)を発した。タムヤ攻囲(ボソヂュ)の報は、マタージらを愕然とさせた。


「一万だと? ウリャンハタが(にわ)かにメンドゥを渡るとはいったい……」


 マタージはジェチェン・ハーンに事の次第を告げて、裁可を仰いだ。かつては妖人と呼ばれ、草原(ミノウル)中から恐れられたジェチェンも、すっかり年老いて(アクタ)()ることすらできなくなっていた。(ヌル)には深い皺が幾重にも刻まれ、髪は真っ白である。


 しかし眼光のみはいささかも衰えず、狼狽(うろた)えるマタージを(ニドゥ)で制して言うには、


「騒いだところで事態は好転せぬ。諸将を集めよ。敵は一万、それに匹敵する兵はすぐにも集まろう。ゴルタと(はか)って(ブゲスン)どもをメンドゥに叩きこめ」


 これを受けてただちに迎撃軍の編制にかかる。何とか一万騎を揃えると、自ら率いて全軍を叱咤しつつ救援に向かった。


 これを知ったイシャンは、(アマン)の端に引き()った笑いを浮かべると言った。


「来たな、小僧(ニルカ)。マムル、大カンに報せよ。妖人の不肖の息子(クウ)はあわてて巣を飛び出したとな」


 マムルを行かせると、タムヤにさらに猛攻を加えた。ハンマンはよく堪えてきたが、もはや落城寸前であるのは誰の目にも明らかだった。


 マタージ率いるタロト軍が二十里に迫ると、イシャンは攻囲の指揮をチトボに(まか)せて、自らはウラカン軍七千を連れてこれを迎え撃った。両軍は指呼の間にまで近づくと、申し合わせたように(フル)を止めた。マタージが進み出ると(なじ)って言うには、


「ウリャンハタとタロトは、そもそも先祖(ボルカイ)(オソル)なく、今に恨みない間柄。しかるに何故メンドゥを渡って我が(バリク)を攻めるのか。返答次第では容赦せぬぞ!」


 イシャンは冷笑すると、傍ら(デルゲ)のトゥイン・チノに命じた。


世間(オルチロン)を知らぬ小僧に(ソオル)というものを教えてやれ」


 トゥインは頷くや、三人張りの強弓をきりりと引き絞った。ぱっと放たれた矢は唸りを挙げてマタージの()った(アクタ)に突き立つ。どうと馬が倒れ、マタージもあっと悲鳴を挙げて落馬した。顔は青ざめ、(マグナイ)には脂汗が浮き出る。


「戦場では気を抜かぬことですな。我が射手は常に貴殿の(アミン)を狙っておりますぞ!」


 そう言い放つとイシャンは高らか(ホライタラ)に笑った。兵衆は応じてどっと喊声を挙げる。タロト軍は目に見えて浮足立つ。マタージはよろめきながら、ゴルタに助けられて退く。イシャンは全軍に命じた。


(ブルガ)は動揺しているぞ! 戦を知らぬ主将に率いられた不幸を思い知らせてやるがいい!」


 旌旗(トグ)が大きく振られると、七千騎は怒号を挙げて殺到した。タロト軍はマタージ自身が動揺を抑えきれずにいたためにさしたる指揮も仰げず、為す術もなく陣形(バイダル)を崩された。


 ゴルタが叱咤して兵をまとめようとしたが攻勢を止めることはできず、あえなく潰走することとなった。イシャンは適当なところで追撃を止めると、悠々とタムヤ攻めに戻った。

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