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草原演義  作者: 秋田大介
巻二
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第二 二回 ④ <ムジカ登場>

トシロル神都に辱を受け大商これを救い

ダルシェ冬営に客を見て奇人これと去る

 応えて出てきたのは、何と年のころチルゲイやハレルヤと変わらぬ若い将。さすがのチルゲイも一瞬(ニドゥ)を疑ったが、すぐに言うには、


「貴殿が大将か」


いかにも(ヂェー)。ヤクマン部ジョナン氏のムジカと申す」


 その人となりはと言えば、


 身の丈七尺半、(ヌル)は白粉をはたいたがごとく、(フムスグ)は紫煙の立つがごとく、双眸(ニドゥ)に智謀を湛え、四肢に驍勇を秘め、胸宇(オモリウド)雄心(ヂルケ)を宿し、声音(ダウン)清爽(トンガラグ)の響き、白面にして白心、まさに天下無双の好漢(エレ)


 それを看て取るや、はっとして馬上に拱手して言うには、


「私はダルシェの(ヂョチ)にてウリャンハタ部カオエン氏のチルゲイと申すもの。いたずらに(ツォサン)を流す無益を説きに参りました。私が戻るまではダルシェは一切(ガル)を出しませぬ」


 呼応したようにダルシェ軍が後退を始める。

 ムジカはほうと声を漏らすと言った。


「我々は勅命(ヂャルリク)を受けて新たな冬営地(オブルヂャー)(もと)めてきたのだが、よもやすでに()()があろうとは思わなんだ。ダルシェの勇名は無論承知している。そうと知っていればわざわざ来ることはなかった。見逃してくれると言うなら、即刻退くつもりだ」


 チルゲイはおおいに喜んで、


「話の早いかただ! では敢えて干戈を交える必要(ヘレグテイ)はないわけだ。ははは」


 (にわ)かに笑いだしたので、ムジカは少しく驚く。そうするうちに笑い収めると、


「ついでにひとつ貴殿にお願いがあるのだが聞いてもらえますか」


 そう言って(ヌル)を覗き込む。ムジカは奇異に思いながらも僅かに興味を抱いて、


「何か。できることならよいが」


易い(アマルハン)ことです。実はもう一人、ミヤーンなるものがともに逗留しているのだが、もし、もしよろしければ我々をヤクマンへ連れていってはもらえぬか」


「何? 貴殿を、ヤクマンへ!?」


 実はこれこそ先にチルゲイがハレルヤに(ささや)いたこと。正気を疑われてもやむをえない。ムジカもあまりに意外の提案にしばらく言葉(ウゲ)を失う。




 と、二人の間にちらと白いものが舞い落ちてきた。


(ツァサン)だ……」


 チルゲイが呟く。草原(ミノウル)はこれからさらに厳しい極寒の(オブル)を迎える。雪がひとひら舞うと、あっという間に草原(ケエル)風雪(ボロアン)に閉ざされる。気を抜けば家畜を失い、それは部族(ヤスタン)の衰亡に直結する。


 俗に「(ゾン)に集めて、冬に食べる」と謂うとおり、商旅も軍旅も何もかもがじっと堪えて良い季節を待つほかなくなるのだ。


 ムジカは決断した。


ヂェー(ええ)。貴殿とその友人(イル)をジョナン氏の客として迎えよう」


「やあ、ありがとう(バヤルララ)! ではしばし待たれよ。挨拶をしてくる」


 馬首を(めぐ)らすと飛ぶように駆け去る。


「何と奔放(ダルカラン)な」


 ムジカはぽつりと呟くと、全軍に休息を命じた。チルゲイは急いで戻ると、ハレルヤとミヤーンに告げて言うには、


「あちらの大将は年若い好漢であったぞ。一戦交えるに及ばず、すぐに退く」


 ハレルヤはううむと唸って、


「我らが境を侵した(ブルガ)を撃たずに返すのは初めてのことだ」


悪い(モータイ)ことではなかろう。さあ、ミヤーン。出立の準備を。行こう、行こう」


 ミヤーンは面喰らって、


「待て。わけがわからぬ。どこへ行くのだ?」


 満面の笑みで答えて、


「ヤクマン部へ」


「何だと?」


「大将のムジカが我々を客として迎えてくれるそうだ。ほら、用意しろ。待たせているのだぞ」


 ミヤーンは(アマン)を開いて何か言いかけたが、やがて首を振って言った。


「このままでいい。何も用意などないわ」


「よろしい。ではハレルヤ、長い間ありがとう。大君(イェケ・アカ)には君からよく礼を言っておいてくれ。我々は疾く去ろう」


 言い置くともう(タショウル)を打って駆け去った。ハレルヤはそれを見送って呟く。


「まさしく(サルヒ)のような」




 二騎は降りだした雪の中を馬上に伏すようにして、ムジカのもとへ駆けつけた。(アクタ)を降りると、挨拶もそこそこにまずはミヤーンを紹介する。ムジカが拱手して名乗れば、ミヤーンもまた返礼(カリラ)する。三人は(くつわ)を並べてヤクマンへ向かった。


 このこと、すなわちダルシェが冬営地に迫った敵を撃たずに返したことは、あっという間に草原(ミノウル)中に伝わり、多くの人は首を(かし)げた。いわく、


「魔軍にそれほど話のわかるものがいたとは」


 みなその印象の是正を余儀なくされたのである。しかしチルゲイの名がともに伝わることはなく、この奇人の名が世に(あらわ)れるのはまだまだ先の話。


 さて草原(ミノウル)は、トシロルが奇禍に遭い、チルゲイとミヤーンがぶらぶらしている間に静か(ヌタ)に冬を迎えたわけではない。


 (バリク)でも草原でもしきりに謀計が巡らされ、野心を抱く輩は(ウルドゥ)を磨くことに余念なく、あとは(ハバル)が来るのを待つばかり。天下に覇を唱える夢を見つつ、長い冬を過ごしている。


 これを以てこれを見れば、まさに覇軍の陣容すでに整い、恨むは風雪の勢、望むは上天(テンゲリ)の声、春を待つこと常に過ぐといったところ。今後いかなる擾乱(じょうらん)が巻き起こるか。それは次回で。

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