第二 二回 ② <クニメイ登場>
トシロル神都に辱を受け大商これを救い
ダルシェ冬営に客を見て奇人これと去る
その後、トシロルは放置されて、すっかり忘れ去られたのかのようであった。ときはすでに厳寒の冬。傷ついた身には堪えがたく、道行く人に助けを請うたが、みな足早に遠ざかるばかり。
一昼夜が過ぎるころには、ぼんやりと通りを眺めているだけで生死のほども測りがたい有様となった。と、一人の男が飄々とした足取りで近づいてきた。見れば、
身の丈は七尺二、三寸、年のころは二十歳前後、人品卑しからず、清風辺りを払うがごとき所作にて、頭蓋は才槌のごとく縦に長く、両頬は火を点じたがごとく紅い、一見してそれと判る異才の主。
「好漢、なぜこんなところに縛られているのですか」
問われたが口がうまく動かない。男は腰に下げた瓢の酒を勧める。ひと口含んで息を吐くと、漸くここに至るまでの顛末を語った。
「おやおや、それは災難でしたな。私があなたを救ってさしあげましょう」
「それはありがたいのですが、ヒスワが赦しはしないでしょう。きっとあなたに累が及びます」
「いやいや、平気ですよ」
そう言うとさっさと縄を解いてしまった。
「お寒いでしょう。とりあえずこれを着てください。……歩けますか?」
トシロルはわけがわからないままに差し出された袍衣を着て立ち上がった。多少よろめいたが、辛うじて踏み止まると、
「何とか歩けそうです」
「ではついてきてください。傷の治療をいたしましょう」
すたすたと歩きだしたので、あわててあとを追う。連れていかれたのは商人向けの旅館。まずは医者を呼んで治療を受ける。それから温かい食事が用意された。貪るように腹に入れると、少し落ち着いたので、
「助けていただいてありがとうございます。ところで、失礼ながらまだ名をお尋ねしておりませんでした。よろしければご尊名をお聞かせください」
男は莞爾と笑うと、
「私の名ですか? カムタイという街から来た商人で、クニメイ・ベクと申します。ご覧のとおり頬が紅いので、紅大郎などと呼ぶものもあります」
「私は……」
名乗りかけたところで、それを制して、
「トシロル殿でしょう。存じていますよ」
これには驚きを禁じえない。クニメイは愉快げに笑うと言った。
「実はサノウに嘱まれまして。彼は旧い知り合いなのですが、昨日珍しく彼のほうからやってきまして、知人を一人救ってくれと言うんですよ。聞けば何とまあ酷い話ではありませんか。それで近々カムタイへ帰ることですし、お連れしてさしあげようと思ったんです」
これを聞いてトシロルはますます混乱した。クニメイが何も言わないので、
「しかしヒスワが……」
おずおずと口にすると、笑って言うには、
「心配は要りません。サルチン殿が見逃してくれます」
「ああ……」
「サルチン殿もこの一件を聞いて苦々しく思っていたところ。知らぬ間にいなくなるのだったらそれでよい、とまあそういうわけで。今日のうちに神都を出てしまえば、あとは彼がうまくやってくれるはずです」
クニメイは至って陽気である。だがトシロルは一抹の不安を隠せない。
「なぜサルチンが私を逃がすのでしょう」
「それはヒスワが私情で無実のものを陥れたからでしょう。あまり手酷くやると人衆が騒ぎますからね。かと言って自ら救うほどの義理はない。だから私の申し出は、渡りに舟というわけです。まあ、もともとゴロ・セチェンの件でもサルチン殿は彼に同情していますから」
「そうですか」
漸く得心すると、クニメイは表情を改めて小声で言った。
「できれば今すぐに出立しますが、何か準備はありますか」
「私は養うべき親もなく、家も失い、まったくの身ひとつ。救っていただいて贅沢を言うつもりもないので、紅大郎殿にお委せします」
神妙な顔で言えば、
「では参りましょう。私の準備はできているのです」
そう言って席を立つと、振り返りもせずに房室を出る。トシロルはまたあわててあとを追うことになった。
クニメイの隊商に紛れて無事に神都を脱出すると、あとはひたすら西へ、メンドゥ河の彼方にあるカムタイを目指すことになった。
こうしてまた一星が草原に飛んだことになるが、くどくどしい話は抜きにする。