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草原演義  作者: 秋田大介
巻二
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第二 二回 ①

トシロル神都に辱を受け大商これを救い

ダルシェ冬営に客を見て奇人これと去る

 明けて翌日、トシロルのもとにオルテからの使いが来た。そのようなことは初めてだったので、上天(テンゲリ)にも昇る心地でいそいそと衣冠を整える。使いの(はしため)()き立てるように遊楼へと向かった。


「こちらでお待ちいただくようにとの仰せです」


 一室に通すと婢は一礼して去る。トシロルは腰を下ろしてはみたものの(はや)(セトゲル)は抑えがたく、やがて立ち上がって中を行ったり来たり、さながら飢えた熊のように落ち着かない。


 ところが待てど暮らせどオルテは現れない。()らしているのだろうなどと思いつつしばらく辛抱していたが、あまりに待たせるので、ついに思い立って人を呼ぼうと房室を出ようとした。


 と、妙な(ダウン)(チフ)にした。


 よくよく聞いてみれば何処からか(オキン)(あえ)ぐ声。(ナラン)の高いうちから盛んなことよと眉間に皺を寄せた瞬間、たちまちはっとする。


「オルテの声ではないか!?」


 しかもそれはどうやら(サーハルト)から聞こえる様子。何やらわけのわからぬ焦燥に駆られて、膝ががくがく震えた。


 崩れ落ちるように座り込むと、そのまま(ハナ)(にじ)り寄る。耳を付ければ、確かに押し殺しつつも快感に(ひた)る女の喘ぎ声。それはもはや間違いなくオルテのもの。


「な、何という……。相手は誰だ!」


 忿り(アウルラアス)とも苦しみ(ガスラン)とも悲しさ(ゲヌエル)ともつかぬ思いに(オモリウド)が詰まる。居ても立ってもいられなくなったトシロルは、脱兎のごとく飛び出した。しかしたちまち、はたと困った。単に別の(ヂョチ)の相手をしているだけではないかと気づいたからである。


 オルテは遊女であるからには当然客もトシロル一人ではない。中には陽の高いうちから通ってくるものもあろう。そこへずかずかと踏み込めば商売の(さまた)げになるだけのこと。またこの話を伝え聞いたものは彼の浅慮と狭量を(わら)うだろう。


 やむなく溜息を吐いて引き返そうとした。そのとき、中からオルテと誰か男の話す声が聞こえた。


「近ごろでは一介の小役人(ドゥシメット)でも楼で遊ぶらしいではないか」


「ああ、トシロルのことですか。あんな奴、ヒスワ様の足許(あしもと)にも及びませんわ」


 それを聞いてトシロルの怒ったさまは、瞬時(トゥルバス)に全身の(ツォサン)が逆流したかのごとくであった。よりによってヒスワがオルテを抱くとは!


 怒りに任せて隣室の(ハアルガ)を勢いよく引く。血相を変えて躍り込めば、裸のヒスワがゆっくりと振り返る。トシロルは(オロウル)を震わせるだけでひと言も発することができない。ヒスワが先に(アマン)を開く。


「おお、(ノガイ)め。お前の趣味の悪さは噂以上だな。こんな女のどこがいい。醜いくせに男を求めることだけは人一倍よ」


 言い放って高らか(ホライタラ)に笑う。


 トシロルが思わず一歩踏み出すと、ヒスワはさっと立ち上がって表情を一変させた。はっと思う間もなく鉄拳が飛び、トシロルは無様にひっくり返って(テリウ)をしたたかに打ちつけた。


「ぐう……」


 (ハマル)から大量に血が噴き出て、(うめ)き声を挙げる。そのまま転がるように房室を出て、一目散に逃げ去った。ヒスワの哄笑があとを追ってくるように響いた。




 屈辱と悲恋に(ヌル)を朱くしたり青くしたりしながら、トシロルは駈けに駈けた。やっとの思いで我が家に辿り着いて、そこでまた彼は我が(ニドゥ)を疑った。


 なぜかと云えば、あろうことか彼の家が紅蓮の炎(アル・ガルチュ)に包まれていたからである。すでに火勢は赤竜闘躍して、粉蝶争飛するといった有様、今さら消火すべくもない。


 これはおそらくヒスワの部下が、彼が家を出るのを待って放火したのだろう。であればオルテもきっと一味に違いない。トシロルは身を震わせながら崩れ落ちるほかなかった。


 そこへどこからか屈強(クチュトゥ)な大男が数人現れたかと思うと、衝撃冷めやらぬトシロルを取り囲んだ。


 目を上げると、それが合図だったかのように蹴りが飛んだ。男たちは散々にトシロルを痛めつけると悠々と去っていった。衣服(デール)はずたずたに裂かれ、顔は血と泥に(まみ)れた。


 さらに暴漢が去るのを待っていたかのように捕吏がやってくる。動けぬトシロルの衣服を()いで後ろ手に縛り上げた。もはや抗議するだけの気力もなくされるがまま。捕吏は無理にこれを立たせると、よろめき倒れそうになるのを叱咤しつつ市へ向かった。


 市の中央(オルゴル)に一本の(ガダス)が打たれていた。そこに(もた)れるように座らされて、きつく縛りつけられる。トシロルはがっくりと首をうなだれ、ひと言も言わない。


 周囲には何ごとかと、物見高い群衆(バルアナチャ)が集まりはじめていた。しばらくするとヒスワが従者(コトチン)を連れて現れる。


「ふふ、無様だな。トシロル」


 返事はない。


「己の愚かしさを噛み締めるがいい」


 そして従者にちらと眼で合図すれば、なぜか筆と(すずり)が差し出された。筆を執ってたっぷりと墨を含ませると、トシロルのでっぷりとした(ゲデス)に一文を書きつける。


 何と書いたかと云えば、


「我、陽氣弱弱然たるも荒淫」


 書き終えてげらげらと(わら)うと、()き出しになった陽物(注1)を踏みつけた。トシロルはただ(うめ)くばかり。あわれ権門に逆らったがために女は寝取られ、家は焼かれ、自身は裸で市に(さら)される憂き目を見たのである。

(注1)【陽物】男根のこと。

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