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草原演義  作者: 秋田大介
巻二
84/783

第二 一回 ④

チルゲイ草原に機知を(めぐ)らし虎口を脱し

トシロル遊楼に罵言を放って女禍を招く

 さて、そのころ神都(カムトタオ)では、八人の上卿(クシュチ)が久々に(ヌル)を揃えていた。ヒスワ・セチェンが(アマン)を開く。


「諸卿、首尾はどうか」


 みな一様に笑みを浮かべて頷く。


「よろしい、それは重畳。(ハバル)には我らの世が来るぞ。グルデイ、軍備はどうか」


はっ(ヂェー)! 近年になく充実しております。すぐにでも出陣できます」


 満足げに頷くと、ボルゲに向かって言った。


「トオレベ・ウルチはどうだ?」


「ハーンはマシゲル部が乱れれば、即座に軍を興すはず。すでに宿将のゴルバン・ヂスンがその任を負った(よし)にございます」


「ほほう、あっさり動いたな。ではジエン、ハサンの両卿はサルカキタンのアイルに赴いてくれ」


 二人が承知して退出すると、ヒスワも元首(ドルチ)に報告を上げてから退庁した。




 ここ神都(カムトタオ)(オブル)の準備に忙しい(ザウグイ)。往来する人々はいずれも早足で過ぎる。ふとヒスワは見知った顔に出逢って(フル)を止める。


「よう、どこへ行くんだ」


 呼ばれたほうはあからさまな不快顔、誰かといえばトシロル・ベク。


「退庁して帰るところだ」


「ほう、横柄な口を()くじゃないか。もうかつての家宰(アルバト)のヒスワじゃないんだぜ」


 答えずに行き過ぎようとすると、その(ムル)(つか)んでなおも言う。


「おいおい、無礼(ヨスグイ)だな。クシュチに対する礼を知らぬわけでもあるまい。そういやお前、近ごろ分もわきまえず遊楼の(オキン)に夢中だそうじゃないか。どんな女だい、相変わらず趣味が悪いのか」


 そしてくっくっと笑う。かっとしてその(ガル)を振り払うと、


「うるさい、口出しするな。どんな女が好きだろうと知ったことではない」


「ますます無礼な。まあいいや、せいぜい気を付けるんだな。身分ってのを考えたほうが身のためだぜ」


 笑ってトシロルの(テリウ)を軽く叩くと、口笛を吹きながら去っていく。トシロルは腹が立ってしかたない。まっすぐ帰るはずだったが、(モル)を折れてサノウを訪ねることにした。


 ところが当のサノウはいくら門を(たた)いても一向に出てこない。ますますやりきれない思いでその場をあとにする。そのまま帰るのも(しゃく)なので、結局遊楼へと向かった。女に熱を上げているというのはまさしくヒスワが言ったとおりであった。


 その名はオルテ。器量はあまり良くないが、トシロルの好みには合っていた。それを指して趣味が悪いとするのはあまりに意地が悪いというもの。色恋はあくまで当人同士のことにて、余人があれこれ言うのは無粋の極みである。


 ただオルテについては熱を上げているのはどうやらトシロルのみで、彼女はあくまで(ヂョチ)の一人としてしか彼を見ていない。色恋の難きこと万事この調子、まったく男女の仲というのは解らぬもの。


「おや、旦那(アバガイ)。嫌なことでもあったかい。顔色が悪いよ」


 オルテは格別嬉しいわけもなかったが、笑顔を作って彼を迎える。トシロルはその顔を見るや舞い上がって、また同時にヒスワへの怒り(アウルラアス)も新たに燃え上がった。そこで彼女を相手に散々不平を並べ立てる。


 そのうち己の言葉(ウゲ)にますます腹が立って、罵詈を浴びせるうちにうっかりゴロを逃がしたことまで喋ってしまった。オルテは内心とんでもない客だと驚いたが、(おくび)にも出さず適当に相槌(あいづち)を打つ。


「あのヒスワはついこの前まで、たかだか商家の家宰に過ぎなかった小者(カラチュス)じゃないか。それが今やどうだ、すっかり神都(カムトタオ)主人(エヂェン)顔だ。あれを奸物と言わずして何と言おう。いずれ奴の(ハツァル)(シルスン)のひとつも吐きかけてやるわ」


 オルテは、実はヒスワの(エメ)、すなわちもとはゴロの妻であるミスクをよく知っていたので、トシロルが帰るや早速楼を飛び出して走った。あわててやってきたオルテを見て、ミスクは驚いて尋ねる。


「どうしたんだい、そんなに(アミ)を切らして」


「ミスク姐さん、聞いとくれよ」


「だから何だい」


 問われてはっと周囲に(ニドゥ)を配ると、


「ここじゃちょっと……」


「いいよ、じゃあ奥に入ればいいさ」


 その手を取って一室へ導く。とりあえずこれを座らせてお茶を沸かす。落ち着いたところで再び尋ねれば、(マグナイ)を寄せて遊楼で聞いたトシロルの話をそっくりそのまま、いやむしろ誇張して伝える。


 ミスクは驚くやら(いきどお)るやらで、みるみる美しい顔を紅潮させる。特にゴロを逃がしたというのが(ゆる)せない。


「下級の役人(ドゥシメット)のくせに何という奴。あのへちゃむくれの色気違いめ! よく伝えてくれたね。あの人に言っとくよ。どうなるか思い知るがいいわ!」


 そして宝石(ダナ)をひとつ取り出してオルテに握らせる。

 躊躇なく受け取ると言うには、


「まったく私もあんな身のほど知らずの相手は嫌なんだけどね。今をときめくヒスワ様に楯突(たてつ)くなんざ正気じゃないよ。その点、ヒスワ様は(バリク)の誰もが(うらや)む美丈夫、それに知恵者(セチェン)ってくらい(タルヒ)も良くて、姐さんとはまさにお似合いの夫婦。ああ、私にも誰かいい人いないかねぇ」


 誉めちぎられてミスクはやや機嫌を直すと、


「あの人ほどじゃあないけど、サルチンやヘカトだっていい男だよ。もっともあんたが手が届くような人じゃないけど」


「まあ、姐さんも人が悪いね」


 それからしばらく茶飲み話にうち興じて、やっと楼に帰る。


 一方、ヒスワは酒楼で一杯やって上機嫌で帰ってきたところ、事の次第を聞いて怒り心頭に発した。


「ゴロを逃がしたのはあいつだったか。うぬぬ、ただではおかぬぞ」


 かくしてヒスワはセチェンと称された知恵を絞る。尋常な方法では腹の虫が治まらないので、できるかぎりトシロルを(おとし)める手はないかとあれこれ考えた。そしてついに世にも酷い(ハラギス)計略を思いついてほくそ笑んだのである。


 このことから、あわれトシロルはおおいに打ちのめされることになるのだが、まさに遊楼の女に秘事を語るは愚かこの上なく、恋慕の情は知恵の眼も曇らせるといったところ。さてトシロルの運命(ヂヤー)はどうなるのか。それは次回で。

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