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草原演義  作者: 秋田大介
巻二
82/783

第二 一回 ②

チルゲイ草原に機知を(めぐ)らし虎口を脱し

トシロル遊楼に罵言を放って女禍を招く

 ミヤーンが思わず聞き返せば、チルゲイが言うには、


「奴らは商旅だろうが軍隊だろうが、獲物(ゴロスエン・ゴルウリ)と見れば襲いかかって殲滅(ムクリ・ムスクリ)する。ただ我らのような得るものもない旅人まで襲うのかどうかは知らん。野盗(ヂェテ)とは違うからな、ひょっとしたら平気(ガイグイ)かもしれん」


「かもしれんたってなぁ」


「どうせ逃げても同じこと、ここはひとつみやげ話にダルシェのアイルをお騒がせしようか」


 すでにその(ヌル)には生気が戻り、それどころか口許(くちもと)には笑みさえ浮かんでいる。すっかりもとの何も恐れない奇人。


「俺は嫌だぞ。(エレグ)を抜いて喰われるかもしらん」


「まさか。それにもう遅いわ。迎えが来た」


 指すほうを見れば、一騎駆けてくるものがある。


「何ならミヤーン、得意の棒であの豪傑(バアトル)を叩き伏せるか?」


 チルゲイは軽口を叩く。しかしそれが不可能なことはすぐに判った。その騎馬の武人は何と身の丈八尺を超える偉丈夫。


好漢(エレ)、わざわざのお出迎え、恐縮です」


 チルゲイは、機先を制して(ほが)らかに(ダウン)をかけた。馬上の武人は意表を衝かれた様子も、辛うじて威厳を保って言った。


「お前ら、ここで何をしている」


 ミヤーンはすっかり怖気(おじけ)づいていたので、チルゲイが答える。


「私はチルゲイと申します。こちらはミヤーン。イシからメンドゥを渡って長城(ツェゲン・ヘレム)見物に向かうところ。好漢はダルシェの武人とお見受けしましたが」


 まるで臆する様子もない。


「いかにも俺はダルシェの先鋒(ウトゥラヂュ)、ハレルヤ。この季節に長城見物とは怪しい奴。ひとまずアイルに来てもらおうか。逆らうとためにならぬぞ」


 何とその男はあのハレルヤであった。覚えているだろうか、先にインジャの初陣(注1)においてダルシェと遭遇した際、これと言葉(ウゲ)を交わした好漢である。


「もとより逆らう気など毛頭ありません。何も(やま)しいところがないのに、どうして異存がありましょう」


 馬上で拱手して一礼すると、ミヤーンを(うなが)してあとに続く。


「お前はダルシェがいかなるものか知らないのか」


 ハレルヤが半ば気味悪く思って尋ねる。莞爾と笑って答えて言うには、


「存じておりますとも。ダルシェの勇名は草原(ミノウル)にあまねく轟いております」


「知りながらそのような態度を見せるとはお前は(タルヒ)がおかしいのか」


 チルゲイは、さも意外だと言わんばかりに(ニドゥ)(みは)ると、


「さてさてなぜでしょう。ダルシェは上天(テンゲリ)に替わって道を行い、悪逆非道の(エルキム)を討ちながら自らは牧地(ヌントゥグ)にいささかの欲も示さず、東奔西走して義を広め、百戦百勝してただ一度の敗北も知らぬ剽悍な一族。決して一介の旅人を殺して(なぐさ)みとするような野蛮な部族(ヤスタン)ではない、ということをよく存じております」


「な、何だと!?」


「お招きを受けて喜びこそすれ、どうして恐れましょう。それとも私が聞き及ぶ(ソノスクサン)ダルシェは、(ウネン)のダルシェと違うのでしょうか」


いや(ブルウ)、そんなことは……。お前の言うとおりだ」


 やむなくそう答える。チルゲイは笑みを絶やさない。ハレルヤは内心この男はただものではないと思ったので、やや言葉遣いを改めて言った。


「我が族長(アカ)は珍しい品を殊の外好まれる。覚えておくとよいだろう」


「心遣い恐縮です。覚えておきましょう」


 二人はハレルヤに連れられて族長(アカ)のゲルへ通された。泣く子も黙るダルシェの首魁タルタル・チノは、その名のとおり(チノ)のごとき偉丈夫、高き座(オンドゥル)にあって二人を睨み据える。


 ミヤーンは(フムスグ)(しか)めて横目でチルゲイを窺う。ちなみに眉を顰めるのは彼が困惑したときの癖にほかならない。


 ハレルヤが経緯(ヨス)を伝えると、タルタルはぐうと(ホオライ)を鳴らして言った。


「長城見物だと? 頭がおかしいのか。真意(カダガトゥ)は何じゃ」


「まことに長城を見にいく道中、大君(イェケ・アカ)(まみ)えることができたのはまったくの僥倖でございます。ただ(セトゲル)の赴くままに草原(ケエル)に遊ぶもので、何の意図(オロ)もありませぬ。天王(フルムスタ)様に誓って虚偽(クダル)は申しません」


 タルタルは狂人(ガルゾウ)を見るような眼を投げかけた。ふとその眼がチルゲイの着ている皮裘(かわごろも)に止まる。


「お前の着ているそれは何か由来のあるものか」


 瞬間ぱっと顔を輝かせて、


はい(ヂェー)! これこそ(ウネゲン)(わき)の毛のみで造られた、草原(ミノウル)中を探してもふたつとない代物でございます。(エチゲ)がウリャンハタ部の先代ハーンから賜った家宝、私の唯一(ガグチャ)の宝でございます」


 タルタルはほほうと感嘆の声を挙げる。チルゲイは満面の笑みを(たた)えて言った。


「大君がお望みなら喜んで献上(オルゴフ)いたしますが」


「何、まことか!」


はい(ヂェー)、大君ほどの方に貰っていただけるなら光栄です。もとより私には不釣り合いな珍品、大君こそこの宝に相応しい英雄かと存じます」


 それを聞いてタルタルはおおいに喜ぶ。掌を返したように機嫌が好くなり、すぐさま酒宴の準備を命じるほど。


「今日から貴殿をダルシェの客人(ヂョチ)として扱おう。ハレルヤが接待せよ」


 二人には別に新しい皮裘を用意したばかりか、駿馬(クルゥグ)を二頭選んで与えるよう命じた。チルゲイとミヤーンは再拝して謝す。それから盛大な宴となったがくどくどしい話は抜きにして、その夜はハレルヤのゲルに泊まることになった。

(注1)【インジャの初陣】第 四 回④参照。

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