第 二 回 ④
ハクヒ朝に城外に学士に面会し
ムウチ夜に夢中に天王に拝謁す
翌日、エジシがやってきて言うには、
「ご世嗣の名を決めねばなりませんな」
「何か良い名がありましたら、お教えくださいませんか」
「そうですねぇ、では考えておきましょう。ちょうど明後日が吉日に当たっておりますから、それまでに」
「よろしくお願いします」
それからエジシは書を紐解いたり、ハクヒと相談したりしていたが、そうこうするうちにはや二日が経った。ムウチが尋ねて、
「良い名がありましたか」
するとにやりと笑って、
「はい。『インジャ』というのはいかがでしょう」
「インジャ? どういう意味でしょう」
「『失われしものを繋ぐ』、また転じて『諸氏を統べる』という意味です」
ムウチは頬を綻ばせると、
「すばらしい名です。早速みなを呼んで伝えましょう」
かくして一同が集められた。ムウチからその名が告げられると、誰もがおおいに喜んだのは言うまでもない。
さて、このインジャと名付けられた赤子こそ本編の主人公。しかし草原に縦横に活躍するのはまだまだ先の話。しばらくは街でその成長を待つということになる。
くどくどしい話は抜きにして、途中格別のことがないのを幸い、ひと息に話は六年後のこととする。
ある日のこと。エジシの姿は久しぶりに草原にあった。タムヤを庇護するタロト部ハーン、「メンドゥの妖人」の異名をとるジェチェンに召喚されたからである。
「ハーン、お久しぶりです。本日はいったいどのようなご用件でしょう?」
「おお、エジシ。お前を呼び出したのはほかでもない。お前のところで亡族の小僧を養っていると聞いた」
そう言うジェチェンの容貌を見れば、身の丈八尺、長髯をたくわえ、眼光は鷲のごとく、胴回りは樽のごとく、まことに堂々たる偉丈夫。ハーンとなって十年、草原にその名を轟かせていた。
エジシは内心驚いたが面には出さず、
「お耳に入りましたか。ええ、フドウの世嗣をお預かりしています」
ジェチェンは幾度か頷くと、ついと身を乗り出して言うには、
「どうじゃ、その小僧をわしに託さぬか」
さすがのエジシも心底驚いて、思わず目を瞠る。
「おや、それはまたいったいどういうおつもりで」
「いずれフドウ再建に助力してやろうというのだ。さすればきっと我がタロトの牙となって、敵人と戦うであろう」
エジシは、いつの間にやらもとのにこやかな態度に戻ったが、密かに思慮を巡らせていた。妖人とも称されるあのジェチェンが、何の打算もなくこんなことを言い出すはずがない。将来はタロトのために戦ってもらうなどと理屈はつけているが、そんな曖昧な見返りで動く男ではない。
「悪い話ではなかろう。もちろん小僧だけではない。その母親や従者どもも、まとめて引き取ろうではないか」
それを聞いて漸くエジシは得心した。なるほど、ジェチェンの狙いは、子ではなく母のほうであったか。たしかにフドウのムウチといえば美人の誉れ高く、噂によればかのフウを謀殺したテクズスの本心も、ムウチ略奪にあったとかなかったとか。
これはなかなか困ったことになった。
インジャのためを思えば、ジェチェンの申し出はまことに時宜を得た名案である。フドウを復興するためには早晩草原に帰らなければならぬ。
しかし亡きフウの恩に鑑みれば、ほかでもないムウチをジェチェンに売るのは、いかにも仁義に悖る。ともかく口を開いて言うには、
「さすがはハーン、すばらしいお考えです」
ジェチェンはおおいに満足して、
「そうであろう。お前に委せるゆえ、きっとここに連れてくるがいい」
「かしこまりました。しかしながら、申し上げます」
とて指を立てて話しはじめたことから、いよいよ幼子は母の手を離れ、草原にその資質を磨くということになるのだが、さてエジシは何と言ったか。それは次回で。