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草原演義  作者: 秋田大介
巻一四
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第一九六回 ①

ムジカ僅かに三語を唱えて急戴白を誘い

サノウ(すみ)やかに両翼を(うなが)して慕兼成を(おとしい)

 さて、義君インジャ(ひき)いる北軍は、ウチュマグ平原を決戦の(ガヂャル)と定めて南軍を待ちかまえる。一方、超世傑ムジカは、獬豸(かいち)軍師サノウの計策に従って「釣り針(ゲウギ)」の大役を担った。梁の帥将を欺き、その驕慢を煽って戦地に誘いだすという難しい任務(アルバ)である。


 そこでムジカは(ソオル)を挑むこと六度、ことごとく大敗して見せた。おかげで梁の大将慕兼成は、すっかり慢心して疑うことなく(ホイン)へ北へと兵を進める。報を受けた黄金の僚友(アルタン・ネケル)は欣喜雀躍、活寸鉄メサタゲが言うには、


「とうとう罠に(かか)りやがった。すでにその(アマン)にはがっちり釣り針が刺さってる(カドゥグタダアス)んだぜ!」


 ついに梁の先鋒(ウトゥラヂュ)数万騎が、ウチュマグ平原の入口とも言うべきみっつの(ドブン)を占める。うち並ぶ(トグ)を望んでムジカが言うには、


「向後、我らが(ノロウ)を向けるのはただの一度きり。それですべてが報われる」


 打虎娘タゴサをはじめ、麾下の将兵が等しく勇躍(ブレドゥ)しているところへ、サノウからの伝令が至る。ムジカは赫彗星ソラにその場を託すと、紅火将軍(アル・ガルチュ)キレカと神風将軍(クルドゥン・アヤ)アステルノを(したが)えて、ただちに本営(イェケ・ゴル)に赴いた。これを迎えたサノウは、慇懃(いんぎん)(注1)に席を勧めて言うには、


「三将を呼んだのはほかでもない。戦端を開く『(チャク)』について意思(オロ)を通じておくべきだと思ったのだ」


「機?」


 アステルノが短く問えば、


然り(ヂェー)。我らはこのウチュマグにて梁軍を撃ち破るとともに、必ず四頭豹を(とら)えねばならぬ。今、梁軍については首尾よくその歩騎を分断して、『大鵬(ハンガルディ)(くちばし)』へ誘いこまんとしているが、肝心の四頭豹が至っておらぬ」


 サノウは例によって索敵に長じた僚友(ネケル)、すなわち矮狻猊(わいざんげい)タケチャクや神行公(グユクチ)キセイらを駆使して、敵軍の動向を正確に(つか)んでいた。それによると、四頭豹は先鋒から外されて中軍(ゴル)と行をともにしているらしい。サノウは続けて、


「梁の大将はきっと中央(オルゴル)の丘に本営を置く。そこで先着した敵騎は、これを迎え入れるべく必ず丘を下ってくる。それを見たら開戦は目前だと思え」


 三将が頷いたのを確かめて、さらに言うには、


「梁の中軍が至れば、四頭豹はその前面に(ハルハ)となって展開するだろう。そして丘の上に梁の中軍が布陣を()えたそのときこそ、『機』だ」


 アステルノがふふんと笑って、


承知した(ヂェー)。軍師の策は相変わらず細かいが、道理(ヨス)がある」


 キレカもまた微笑んで、


「細かいとはひと言多いが、なるほど、早すぎれば四頭豹に逃れる(オロア)隙を与え、遅すぎれば一度は分断した梁軍がうち揃ってしまうというわけですね」


 独りサノウだけはにこりともせず、


然り(ヂェー)。この機を決して(たが)えるなかれ。遠路行軍してきた梁の中軍が、漸くひと息()いた瞬間を(とら)えよ」


 と、俄かに(ダウン)をひそめて言うには、


「それから、ひとつ貴公らに秘密(ニウチャ)呪言(エスベルン)を授ける」


 三将は虚を衝かれて思わず(フムスグ)(ひそ)めたが、戯言を言っている風でもない。サノウは謹厳な表情を崩さぬまま、何と言ったかと云えば、


「敵陣に接近(カルク)したら、これから教える呪言を兵衆に声を合わせて叫ばしめよ。そうすれば敵将は必ず憤激(デクデグセン)して突出してくる」


 半信半疑の三将にサノウはある言葉(ウゲ)(ささや)いたのであるが、それが何であるかはすぐに判ること。




 何ごともなく三日が過ぎた。梁の先鋒たる急戴白趙粲と大刀冠者聞隆運は、先に得た命令(注2)どおりに丘を下る。(デム)を整えるうちに、後背の丘を越えて四頭豹の二万騎が姿(カラア)を見せた。しずしずと進んで、やや中腹にかけて陣を()く。


 次いで現れたのは、もちろん慕兼成率いる中軍。歩騎併せて約三万の軍勢が、みっつの丘に分かれておもむろに陣営(トイ)を築きはじめる。後続の軍勢は遥か後方、いまだ(セウデル)も見えない。が、日を経るごとに順次合流(べルチル)するはずとて、気にするものもない。


 慕兼成は設営も了わらぬうちから趙粲と聞隆運に伝令を送って、いつでも出撃できるよう準備を(うなが)す。自らは蛮族を蹴散らすのをしかと見届けようと、平原(ケエル)を一望できる位置にどっかと腰を下ろした。傍ら(デルゲ)に侍す洪施に満悦の(てい)で言うには、


「おお、これはいい。蛮族の敗れるさまがよく見えようぞ」


 洪施もまた答えて、


「我が騎兵の突貫の前に敵は無力。大勝は疑うべくもありません」


 にやにやしつつ平原を見下ろしていると、何やら北軍に動きがある。前軍(アルギンチ)の一翼が戦列(ヂェルゲ)を整えて、するすると前進してくる。慕兼成は(ハマル)で笑って、


「ふん、先方からしかけてくるとはちょうどよい。しかもあの旗は、我が軍が六度も退けた凡将のものではないか」


「まったく蛮族というのは愚かですな。もはや優劣も明らかなれば、何度やっても同じこと。よいではありませんか。あれを破れば兵勢に(はず)みが付きます。そのまま敵軍を蹴散らして、速やかに勝ちを決しましょう」


「ふふふ、好い。実に好い」


 じっと観ていると、敵軍は数十歩まで寄せたが矢を射かけるでもない。ずらりと(アクタ)を並べたかと思うと、卒かにじゃーん、じゃーんと銅鑼の音が轟く。そして調子を合わせて一斉に何ごとか叫ぶ。


 再び銅鑼が鳴れば、またひとしきり叫んで大笑いする様子。丘の上にあってはよく聞きとれないが、三音節ほどの言葉を繰り返しているようだ。


「蛮族どもは何を騒いでおるのだ?」


 慕兼成と洪施はわけがわからず、首を捻る。

(注1)【慇懃(いんぎん)】真心がこもっていて、礼儀正しいこと。


(注2)【先に得た命令】慕兼成が三日後に丘を下るよう命じたこと。第一九五回④参照。

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