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草原演義  作者: 秋田大介
巻一三
780/785

第一九五回 ④

インジャ平原に精騎を(つら)ねて罔罟(もうこ)を張り

ドルベン死灰(しかい)余焔(よえん)を焚いて掣肘(せいちゅう)を試む

 相も変わらず慕兼成は、四頭豹の進言など考慮に値しないと思っている。なおも言い募ろうとするのを制して、


「下がれ。それとも槁木死灰(こうぼくしかい)(てつ)を踏みたいか(注1)?」


 いくら蛮族と(さげす)んでいるとはいえ、この発言(ウゲ)はあまりに非礼(ヨスグイ)。何となれば、四頭豹はあくまで盟邦の帥将であって、慕兼成が生殺与奪(注2)の権を持つ臣下(アルバト)ではないからである。四頭豹は思わず顔色を変える。すると慕兼成は、


「何だ? 言いたいことがあるなら言え」


 これもまた無理難題。まことに何でも言ってよいなら、罵詈雑言を交えて言いたいことはいくらでもある。が、もちろん真に受けるほど阿呆(アルビン)ではない。ぐっと(こら)えて、何も言わずに退く。


 慕兼成は先鋒(ウトゥラヂュ)の両将に命じてウチュマグ平原へと先行させる。いざ現地に辿り着いてみれば、聞いていたとおりにみっつの(ドブン)が並んでいるが、敵影はない。急戴白(きゅうたいはく)超粲がおおいに(あざけ)って言うには、


「蛮族は地勢を()かすということを知らぬらしい。あの丘を占められていたら、きっと難儀したであろうに」


 そこで大刀冠者聞隆運とともに躊躇なく兵を進めて、瞬く間(トゥルバス)にすべての丘陵を押さえる。いざその(ホイン)に続く平原(ケエル)を望めば、なるほど北軍約十万騎が(デム)(つら)ねている。梁の騎兵はおよそ五万騎、すなわち敵騎の半数(ヂアリム)である。しかし超粲に怯む(カルタリル)色はない。(うそぶ)いて言うには、


「小蝿の数がいくら増えようと、どうということはない。(まと)めて追い払うだけのこと」


 慕兼成の中軍(イェケ・ゴル)は歩卒が主力のため、まだ遙か後方にある。とりあえず丘陵を制したことを報せて(カラ)を待つ。その間に聞隆運に(はか)って言うには、


「大将軍を待つまでもない。このまま我らの手で蛮族を一掃しようではないか」


 聞隆運は驚いて、


「いや、それはどうでしょう。やはり大将軍の着陣を待つべきでは……」


「こうしているうちに蛮族どもが逃げてしまったら、これを追ってさらに奥地へ侵攻せねばならぬが、我々とていつまでもはここに居れぬ。うかうかしてると()()を逸することになろうぞ」


「そうかもしれませぬが……」


「『兵は拙速を聞くも、いまだ功久を()ざるなり』と謂うではないか。敵の先鋒は、ここに至るまで六戦六敗。今では梁の旗を見るだけで兢々として(おのの)くものばかり。これを撃たずしてどうする」


 聞隆運はすっかり辟易(へきえき)(注3)して言うには、


「あわてずとも、いずれ大将軍から攻撃の命が下るでしょう。我らとて長躯して陣を()いたばかり。まずは兵馬を休ませつつ、敵の動静を注視しておけばよいのでは」


 すると超粲は、


「それもそうだな。大刀冠者の言うとおりだ」


 とて、あっさり(がえん)じたので、ひとまず(オモリウド)を撫で下ろす。




 一方、趙粲からの早馬(グユクチ)を受けた慕兼成は(ガル)()って喜ぶと、


「まったく蛮族とは愚かなものだ。あと三日もあれば、我が中軍も戦地に至るであろう。この目で彼奴らが駆逐されるさまを見届けようではないか。急戴白に伝えよ。三日後の朝、丘を下れ。私が丘上に達したら突貫の命を下す、と」


 早馬はただちに(きびす)を返して去る。慕兼成は諸将と語らいながら悠然とウチュマグ平原を指す。勝利への確信は微塵も揺るがない。


 そんな軍中にあって、独り四頭豹だけが気を揉んでいる。必ず梁軍は陥穽に落ちて、進退に窮するとて恐れている。そのときには何としても逃れなければならぬ。梁軍は自ら招いたものではあるが、慕兼成たちに命運(ヂヤー)を預ける気はさらさらない。


 しかしあの毛可功だけは救ってやりたいとも思う。ただの槁木死灰に(かえ)ってしまったとはいえ、一時は憂いをともにして(セトゲル)を通じかけたものである。そこでたびたび大スイシに様子を伺わせたが、一向に恢復の兆しはないとのこと。妙案も浮かばぬまま、次第にウチュマグ平原に接近(カルク)する。


 対して梁騎を眼前にした黄金の僚友(アルタン・ネケル)たちは、快哉を叫んで俄然勇躍(ブレドゥ)する。活寸鉄メサタゲが満面に笑みを浮かべて言うには、


「来たぞ、とうとう罠に(かか)りやがった。あちらは我らのほうを狩りの獲物(ゴロスエン・ゴルウリ)か大魚と信じて追いこんだつもりだろうが、すでにその(アマン)にはがっちり釣り針(ゲウギ)刺さってる(カドゥグタダアス)んだぜ!」


 ここまで敵軍(ブルガ)を誘導してきたムジカは、丘の上にずらりと並んだ梁の(トグ)を見つめながら、傍ら(デルゲ)の打虎娘タゴサや奔雷矩(ほんらいく)オンヌクドに言うには、


「みな弱卒の汚名を顧みず、よく()えた。あとひと息だぞ。向後、我らが(ノロウ)を向けるのは()()()()()()()。それですべてが報われる」


 これを聞いて力強く頷かぬものはない。身震いして決戦に備える。この一戦こそ梁軍を殲滅(ムクリ・ムスクリ)し、必ず四頭豹を(とら)えるべき(ソオル)。ヴァルタラでもツァビタルでも、そう決意しながらすんでのところでこれを逃した。同じ過ち(アルヂアス)は決して繰り返さぬ。そのために智慧あるものは智を尽くし、豪勇あるものは(クチ)を注いできた。


 すべては草原(ミノウル)平和(ヘンケ)安寧(オルグ)(もたら)すため。また世を(みだ)し、義を(にじ)るものを誅戮するため。何よりそれが、きっとテンゲリに替わって道を行うことと信じているためである。


 またときはすでに盛夏。西原の(ハバル)暴風(ハラ・サルヒ)()んで久しい。となれば、西域(ハラ・ガヂャル)に駐留するファルタバン軍や、カムタイを占める梁軍、そして先に(のが)れた亜喪神ムカリたちが、いつ兵を併せて押し寄せないともかぎらない。


 これこそ草原の興廃を懸けた一戦。まさしく勝てば中華(キタド)衡軛(こうやく)(注4)を逃れて雄飛するべく、敗れれば異族(カリ)奴僕(ボオル)に堕ちて雌伏するべき岐路といったところ。果たして、インジャたちはいかにして梁軍を撃ち破るか。それは次回で。

(注1)【(てつ)を踏み……】前の人がした失敗を繰り返すこと。轍は、わだちの意。また「前車の轍を踏む」。


(注2)【生殺与奪】生かすも殺すも、与えるも奪うも、どうしようと自分の思うままであること。


(注3)【辟易(へきえき)】うんざりすること。嫌気が差すこと。閉口すること。相手の勢いに圧倒されてたじろぐこと。


(注4)【衡軛(こうやく)】車を引かせるとき牛馬の首に付ける横木。自由を束縛するものの(たと)え。




<巻一三 終わり>


草原(ミノウル)全土

挿絵(By みてみん)

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