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草原演義  作者: 秋田大介
巻二
78/783

第二 〇回 ②

ヒスワ大王に(まみ)えて征東の利を説き

チルゲイ部落を離れて疑狐の士に()

 ちょうどそこにカトメイが戻ってきて言った。


「大カンがお会いになるそうです」


 三人はこれについてカンのゲルへと向かった。途中、サルチンがカトメイに、


「チルゲイというのはどういう人ですか?」


 そう尋ねれば、ぎょっとして振り返る。


「あの奇人が何か失礼でもしましたか」


 逆に尋ねてくる。「奇人」という渾名(あだな)が言い得て妙だったので、サルチンは笑いを(こら)えつつ言うには、


いえ(ブルウ)、通りがかりに挨拶されただけです」


「そうですか」


 明らかにほっとした表情を浮かべると、


「あの男はちょっと変わりもの(ガルゾウ)でして、あまり相手になさらぬほうがよろしいでしょう」


 さらに問いかけようとしたところ、


「あれが大カンのゲルです」


 言うので指すほうを見れば、それはひと目で判った。周囲のゲルと比べて規模、外装ともに格段の違いである。


 入ってさらに三人は(ニドゥ)(みは)った。絢爛たる装飾が施されている。中央(オルゴル)高き座(オンドゥル)に座るものこそウリャンハタの大カン、ミクケルである。


「大カン、先にお話しした神都(カムトタオ)からの客人(ヂョチ)でございます」


 カトメイが拱手して告げると、ミクケル・カンは(ガル)を挙げて言うには、


「ご苦労、帰ってよいぞ」


 カトメイは一礼して去る。


「遠路ようこそ来られた。早速来意を聴こう」


 ヒスワがワラカンの書状を捧げ持ってカンに差し出す。それにゆっくりと目を通している間、三人は(ひざまず)いて待った。やがて書を畳むと、おもむろに(アマン)を開いて、


「わしも草原(ミノウル)の秩序の紊乱には(セトゲル)を痛めておった。しかしそれと兵を用いるのは別の話だ。北西のクル・ジョルチ部との(ソオル)もひと区切りついて、西原は今のところ静かなものだ。わざわざ(ムレン)を渡ってタロト部らとことを構える利があるのか」


 ヒスワはここぞとばかりに言う。


草原(ミノウル)の混乱は、カンにとっても不利を招きます」


「ほう、何故じゃ」


(ネグ)に、イシ、カムタイなどの(バリク)にとって交易路の危機(アヨール)は直にその興廃に関わります。神都(カムトタオ)をはじめとする東方の諸都市との連絡が途絶えるようなことになれば、西域(ハラ・ガヂャル)商人(サルタクチン)(フル)も鈍るでしょう。そうなればそこに代官(ダルガチ)を送るウリャンハタにとっても大きな痛手となりましょう」


 頷いているのを確認してから続けて、


(ホイル)には、東方の部族(ヤスタン)争闘(ブルガルドゥアン)が、いつウリャンハタに波及するかわからないことでございます。ジョルチは乱れたりといえど、ついにフドウとベルダイ左派(ヂェウン)が諸氏に抜きん出てまいりました。その二人の若い族長(ノヤン)は実に野心旺盛、いつ西原に攻め込んでくるか知れません。殊にフドウはタロトとも(よしみ)を通じており、早晩脅威となることは疑う余地のないところ」


 さらに続けて、


「ジョルチが統一され、中原の勢力を結集してメンドゥを渡れば、大カンはどうなされるおつもりか。そうなる前に個別に叩いておいたほうが得策。万事うまく運べば、大カン自身が中原を含めた広範な牧地(ヌントゥグ)を獲得することもできましょう。また交易の利も転がり込んできます。そうなれば百年の繁栄は保証されたようなもの。クル・ジョルチなどものの数ではなくなりましょうぞ」


 いよいよ熱を込めて、


「英断をなさるなら今をおいて機会(チャク)はありません。もし大カンがおおいなる覇業に踏み出すつもりがおありなら、我が神都(カムトタオ)の精兵二万騎は助力(トゥサ)を惜しみませぬ。長年の沈黙を破り、先駆け(ウトゥラヂュ)(ブルガ)を追ってご覧にいれましょう」


 口上を終えてカンの表情を窺えば、何げない風を装ってはいるがおおいに興味をそそられた様子。


「お前の言うことはもっともだが、そううまくいくものか。方策があるのなら言ってみろ」


 ヒスワは内心小躍りして喜びながら、


「まず中原でもっとも手強いのはメンドゥ東岸に在るタロト部です。しかしジェチェン・ハーンは年老いて自ら兵を率いることはできません。では誰がその代わりを務めるかといえば嫡子(ティギン)のマタージ。奴はまだ十九の小僧(ニルカ)、戦については素人も同然、然るべき将を(つか)わせば恐れるに足りません」


 (ホロー)を立てて続けて言うには、


「まず彼奴を引き摺りだすためにタムヤを囲みます。これを囲めば必ずマタージが兵を率いてやってきます。そこでイシから別の将に一軍を与えて、空になったタロトの留守陣(アウルグ)を襲えば、老いたジェチェンに抵抗する術はありません。ジェチェンさえ討ち取れば、タロトの本隊は士気を失い、自壊するでしょう。マタージにはこれを収拾する才覚(アルガ)はありますまい。難なく破ることができます。これで中原進出の足がかりができます」


 ミクケルはすでに身を乗り出して聞き入っている。


「タロトを破れば、フドウ、ジョンシなど後脚(グヤ)の折れた(アクタ)も同然。所詮は烏合(エレムデク)の衆(・ヂェムデク)、大カンの精兵には手も足も出ますまい」


 また言うには、


「しかも聞くところによると大カンの下には、ジョンシのウルゲン殿が身を寄せているとか。ジョンシの人衆(イルゲン)にはいまだウルゲン殿を慕っているものもあるでしょう。さらに(ヂェウン)に目を向ければ、先にフドウに敗れたベルダイ右派(バラウン)のサルカキタンが復讐の機会を狙っています。これと組んで挟撃すれば、内と外から揺さぶることができます。どうして大カンが憂えることがありましょう」


 ヒスワは話しながら己の計策にますます自信を持つ。


「あとは神都(カムトタオ)の兵と(クチ)を併せてベルダイ左派とマシゲルを破れば、ヤクマンのトオレベ・ウルチとて膝を屈しましょう。これで覇業は成るのです。いかがでございましょう」


 ミクケルは満足げに頷くと言った。


「愁眉を開く思いだ。お前は遠くから我が部族(ヤスタン)を救いにきたようだ。よし、ウリャンハタは神都(カムトタオ)と同盟して乱世を収めよう。帰ってドルチに伝えるがよい、我らは来年の(ハバル)にはタムヤを囲んでいるだろう」


 ヒスワもまた上首尾に満足しておもむろに平伏する。もちろんサルチン、ヘカトもそれに(なら)う。


 ミクケルは上機嫌で酒宴の準備を命じると、ヒスワに征東についていろいろと尋ねた。ヒスワが返答に窮すると、すかさずサルチンが補った。しかしサルチン自身は不本意であった。


 果たしてそう計策どおりいくものだろうか。ミクケル・カンは欲得に目が(くら)んで易々と承諾したが、ウリャンハタに人がいないわけでもあるまい。誰がこの壮大な企図に待ったをかけないともかぎらない。


 成功すれば草原の覇者となろうが、失敗すれば部族(ヤスタン)頽落(たいらく)(注1)にも繋がりかねないのである。


 そうこうするうちに宴席が整ったとの知らせ。カン自ら三人を案内すれば、ウリャンハタの諸将が揃って出迎える。そこでカンは諸将に征東の意志(オロ)を伝えた。居並ぶもので驚かぬものはなかったが、その場では異論も出ずに開宴となった。

(注1)【頽落(たいらく)】崩れ落ちてだめになること。堕落。崩落。

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