第一九三回 ②
神風将ダナ・ガヂャルに征きて輒ち姦婦を囚え
慕兼成ドルベンを軽んじて二たび上申を却ける
そのときダナ・ガヂャルにあった名のある高官は、旧七卿の一員たるスーホのみ。財務に明るい色目人である。と云っても部族を豊かにする術を知るものではない。
いかにして人衆より奪うか、いかにして国庫より掠めるか、いかにして私腹を肥やすか、そういう奸智にばかり長けた佞臣。当然ながらこれを怨まぬものはなく、突入した兵衆にあっさりと殺される。アステルノが命じるまでもない。
捕らえた梁公主とジャンクイは、一丈姐カノンと黒曜姫シャイカの監視下に置かれた。ここに二人の女傑を配したのは、梁公主が色目を使うと聞いたからである。
こうしてインジャ帥いる北軍は、四方に派遣していた僚友の帰参によって、併せて一万騎ほどの増援を得た。ははあ、軍師の予言とはこのことだったかとみなが思ったが、当のサノウが言うには、
「まだまだ。彼らの合流もさることながら、それだけでは花が咲き、実が熟すと云うには足りません。もうしばらくお待ちください」
そう嘯いたきり、詳らかには語らない。石沐猴ナハンコルジなどは頬を膨らまして誰にともなく言うには、
「また軍師の悪い癖だ。いつも肝心のことを言わぬ」
偶々これを耳にした奇人チルゲイが呵々と笑って、
「みなを驚かせたいんだろう。かわいいところがあるではないか」
「かわいい!? そんなわけあるか!」
余談はさておき、怠りなく待つこと数日。サノウは神行公キセイに何ごとか命じて遠方へ遣ったりしていたが、そのキセイが満面に笑みを浮かべて帰陣すると、
「軍師の先知たるや、かの古の謀臣、ボログル・トグ(注1)に比肩するべきものですなあ!」
「何だ? 良い報せか」
神箭将ヒィ・チノが鋭く問えば、
「はい! ただもう二刻もすれば判ること、言わないでおきましょう」
とて、あとは何を訊かれてもにやにやしている。好漢たちは何とももどかしく隔靴掻痒(注2)、たった二刻を一日千秋の思いで過ごす。しかしキセイの言ったとおり、やがて朗報の仔細が明らかになる。負傷者を連れてやや北方に退避していた第八翼から、鉄将軍ヤムルノイが息せき切って駆けてくると告げて言うには、
「援軍です! 援軍がまいりましたぞ!!」
そう言われても思い当たるところがない。一同は仰天して幕舎を飛びだし、北方に目を凝らす。じっと視ていると、地平の彼方から次第に幾筋もの砂塵が上がり、そのうちに無数の旌旗の揺らめくのが眼に入る。まもなく軍影が姿を現し、万騎を下らぬ大軍がだんだんと近づいてくる。
初めは遠くに、ついには近くに馬蹄の響きが耳朶を打ち、靴の底から微かに大地の震動が伝わる。そのころには漸く援軍の全容が顕になる。鉄鞭のアネクが快哉を叫んで、
「あれはベルダイの旗じゃないか!」
そう、それは中原で留守を預かっていた霹靂狼トシ・チノ率いる軍勢。将兵はわっと歓声を挙げる。インジャは目を円くしてサノウを顧みると、
「軍師の予言はこのことだったか。しかしこれはいったい……」
「ヴァルタラの勝利ののち、すぐに早馬を放って出陣を命じてあったのです」
「おお、何と!」
「勝ったとはいえ、損耗は甚大にならざるをえませんでした。四頭豹を逃したからには、さらなる激戦が続くと看て、招き呼びたるもの。ハーンの了承なく兵馬を動かしたこと、どうかお赦しください」
「赦すも赦さぬもない。軍略についてはもとより軍師に一任している。まことに時宜を得た措置であった。礼を言うぞ」
サノウは恐悦のあまり平伏して、言うべき言葉も知らない。
ベルダイ軍は適当な地を定めて、陣を布いた。その数、約二万騎。何よりみなを喜ばせたのは、大量の替馬を連れてきたことである。布陣を了えると、トシ・チノは麾下の将とともにインジャに拝謁する。
その顔ぶれはと云えば、長韁縄サイドゥ、白面鼠マルケ、霖霪駿驥イエテン、慈羝子コニバン、旱乾蜥蜴タアバの五名。いずれもオロンテンゲルの山塞に籠もっていたころ(注3)から従う古参の僚友。
インジャたちはおおいに喜んで久闊を叙する。またコニバンなどはずっと留守を守っていたので、近年新たに加わった好漢の中にはほぼ初見のものもあった。そこで互いに名乗りあって親交を結ぶ。
トシ・チノたちの到着によって俄然士気は昂揚し、将兵とも雪辱を期して再戦を待ち望むようになった。サノウが言った。
「漸く戦うべき形が整いました。陣容を改め、策戦を定めて進軍するときです」
十二万の将兵は、たちまち八翼から七翼に再編される。
第一翼の主将は、やはり赤心王インジャ。以下、獬豸軍師サノウ、霹靂狼トシ、百策花セイネン、鉄鞭アネク、長韁縄サイドゥ、石沐猴ナハンコルジ、黒曜姫シャイカ、霖霪駿驥イエテン、旱乾蜥蜴タアバの計十名。
第二翼を率いるは「万人長の中の万人長」たる神箭将ヒィ・チノ。以下、獅子ギィ、蓋天才ゴロ、白夜叉ミヒチ、白面鼠マルケ、妖豹姫ガネイ、神行公キセイの計七名。
第三翼は超世傑ムジカ。以下、紅火将軍キレカ、神風将軍アステルノ、打虎娘タゴサ、赫彗星ソラ、奔雷矩オンヌクドの計六名。
第四翼は衛天王カントゥカ。以下、潤治卿ヒラト、紅大郎クニメイ、麒麟児シン、一角虎スク、知世郎タクカ、矮狻猊タケチャクの計七名。
第五翼は碧睛竜皇アリハン。以下、奇人チルゲイ、黄鶴郎セト、盤天竜ハレルヤ、一丈姐カノン、活寸鉄メサタゲ、白日鹿ミアルンの計七名。
第六翼は花貌豹サチ。以下、神道子ナユテ、竜騎士カトメイ、蒼鷹娘ササカ、娃白貂クミフ、笑破鼓クメンの計六名。
第七翼は王大母ガラコ。以下、聖医アサン、飛生鼠ジュゾウ、ミヤーン、靖難将軍イトゥク、牙狼将軍カムカ、鉄将軍ヤムルノイの計七名に加えて、まだ傷の浅かった癲叫子ドクト、雷霆子オノチ、呑天虎コヤンサン、殺人剣カーの四名が快癒を待つ。
余の重傷者は、慈羝子コニバンに守られつつ中原に帰ることとなった。医師として天仙母キノフがこれに随い、碧水将軍オラル、黒鉄牛バラウン、迅矢鏃コルブなど十四名が、憾みを遺しつつも僚友に後事を託して離脱することとなった。
(注1)【ボログル・トグ】ジュレン帝国を建てたムルヤム・ハーンに仕えたとされる伝説の軍師。第一〇三回①参照。
(注2)【隔靴掻痒】思うようにならないで、もどかしいこと。ものごとの核心に触れず、歯がゆいこと。靴を隔てて痒いところを掻く意から。
(注3)【オロンテンゲルの山塞に~】かつてインジャは、神都と結んだミクケル・カンの侵攻を受けて、オロンテンゲル山に難を避けた。第二 六回②ほか参照。




