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草原演義  作者: 秋田大介
巻二
77/783

第二 〇回 ① <カトメイ、チルゲイ登場>

ヒスワ大王に(まみ)えて征東の利を説き

チルゲイ部落を離れて疑狐の士に()

 コルブとバラウンジャルガルをやり過ごしたヒスワは、足を速めてマシゲル部の牧地(ヌントゥグ)を去った。ゴロの生存を知って焦っていたのである。


 マシゲル部の版図(ネウリド)を過ぎると、ベルダイ右派(バラウン)の牧地。ここで一旦身体(ビイ)を休めたが、また翌日には出立する。サルカキタンは百騎(ヂャウン)を率いて、一行を三十里ほど送っていった。ヒスワはこれと別れたあと、毒づいて言った。


「目立たぬよう従者(コトチン)を減らしているというのに余計なことを。大人は兵事には見るべきところもあるが、この手のことには(うと)いようだ」


 そのサルカキタンと結んで草原(ミノウル)全体を揺るがせようとしているのは誰だ、とサルチンは思ったが口には出さない。ヘカトは(たの)みにならぬ味方(イル)に不安を増すばかり。


「ときにヒスワ、ここからメンドゥ(ムレン)まではフドウ、ジョンシ、タロトの牧地が境を接しているが、うまく越えられるだろうか」


 サルチンが問えば、ヒスワは(ハマル)で笑って、


「我らは軍隊ではない。商旅ということにしておけばよい。我らの(ヌル)を知るものに遭うこともないだろう。むしろ警戒すべきは野盗(ヂェテ)蛮族(カリ)の類だ」


 その言うとおりそれから十日間、格別のこともなくメンドゥに至った。対岸はイシである。メンドゥ(ムレン)最大の渡し場(オングチャドゥ)であるここには、何艘もの舟が並んでいる。


「どうだ、神都(カムトタオ)とは比ぶべくもないが、なかなかの盛況ぶりではないか」


 ヒスワがやや興奮して言ったが、あとの二人は商用で何度も訪れているので何も感じない。何はともあれ、早速手ごろな舟を見つけて乗り込んだ。


 (バリク)に入って宿を定めると、席を暖める暇もなく役所を訪ねた。門衛(エウデチ)にワラカンの書状を示すと、しばらくして中に通された。


 このときイシの知事(ダルガチ)は、ウリャンハタ部から派遣されたウラカン氏の族長(ノヤン)ツォトンであった。四十を幾つか過ぎた歴戦の武人である。


「遠く神都(カムトタオ)から何用があって参られたか」


はい(ヂェー)。我々は大院(クルイエ)の決議に基づいてウリャンハタ部へ(つか)わされたもの。しかしかつて大カンとは何の縁もなく、そこで知事殿に仲介を頼むべくまずはこちらに参ったというわけです。イシには我ら商用で訪れることも多く、ツォトン殿の高名(ネルテイ)もみな知るところ。是非とも仲介の労を取っていただきたい」


 ヒスワが拱手再拝して述べるのを、ツォトンは(サハル)をしごきつつ聞いていたが、ふうむと唸ると近侍する若い将領に言った。


「聞いたであろう。大カンへ取り次いでほしいとのことだが」


 サルチンがその将に一瞥をくれたところ、その容貌(ガタル)にほうと感嘆の(ダウン)を漏らす。その人となりはと云えば、


 身の丈は八尺に至らんとし、眉目秀麗、それでいて精悍な面立ちはまさしく草原(ケエル)の武人のそれ。居ながらにして衆目を集めること疑いなく、末は千人(ミンガン)の長か、万人(トゥメン)の将か、恐るべき資質を秘めた無双の好漢(エレ)


「大カンにいかなる用があって仲介を欲するのか」


 若い将はすぐさま三人に問いかけた。ヒスワが答えた。


「それは国家(ウルス)の機密に属することであって、大カンのほかにはツォトン殿にも申し上げられませぬ」


 すると首を振って言うには、


「我らは大カンより(タショウル)を預かってこのイシを護るもの。このような素性の知れぬ(ノガイ)をアイルに導き入れるのは、大カンの信任(イトゥゲルテン)(もと)ることと存じます」


 ヒスワの顔色がみるみる変わっていく。サルチンがあわてて言った。


「もちろん我々は大カンを欺こうというものではありません。正直(ツェゲン・セトゲル)に申しますと、近ごろの草原(ミノウル)の不穏な情勢を憂えて、我ら交易で身を立てるものを救っていただきたく陳情に参ったのです。この乱世を鎮めうるのは大カンをおいてほかにございません。是非とも窮状をお察しください」


 若い将は初めて大きく頷くと、ツォトンに向かって言った。


「そういうことなら私が自ら彼らをご案内しようと思いますが」


 ツォトンはあっさり許した。サルチンは(セトゲル)のうちでほっと安堵の息を漏らす。


 その日は(アクタ)を休めたりといった細々したことで過ぎる。翌日、三人は例の若い将とともにミクケル・カンのアイルを指して北上の途に就いた。朝、三人を迎えにきたとき若い将は初めて名乗った。


「昨日は失礼しました。私はツォトンの嫡子(クウ)でカトメイと申します。大カンに会われるまで同道いたします」


 サルチンとヘカトは立派な将だと感心していたのでおおいに喜んだが、ヒスワは高慢な小僧(ニルカ)としか感じていなかったので、返礼さえしなかった。


 さて北上の旅は格別のこともなく、一行は広大(ハブタガイ)な西原を悠々とした足取りで進んだ。何日か旅して(ようや)く目指すアイルに辿り着く。


「ここでしばらくお待ちください。到着を知らせてまいります」


 そう言ってカトメイは駆け去った。三人がすることもなく佇んでいると、ふらふらと近づいてくるものがある。そして言うには、


「やあやあ、ようこそウリャンハタへ!」


 その人となりはと云えば、


 身の丈七尺半、年のころはカトメイと同じほど、草原には珍しく裾の長い長袍を(まと)い、(ニドゥ)には涼しげな光、(ハツァル)はこけ、鼻梁(ハマル)は通り、口唇(オロウル)は薄く、ゆらゆらと前合後仰(注1)して歩く見るからに怪しい奇態の人物。


「お主は何ものだ」


 ヒスワが誰何(すいか)すると、ふふと笑いながら答えて言うには、


「私はカオエン氏のチルゲイというもの。そういう君たちこそ何ものだ」


 傲岸なもの言いにヒスワはかっとなって、


「お主の知ったことでは……」


 声を荒らげようとしたところ、チルゲイと名乗った男は大きく(ガル)を振って、


いや(ブルウ)、待て待て、言ってくれるな。ぴたりと()ててみせよう。むむむ、君たちは(バリク)の民だなあ。……神都(カムトタオ)からの使者と看たがどうだ!」


 サルチンは内心その慧眼におおいに驚いたが、何げない風を装って言った。


そうだ(ヂェー)神都(カムトタオ)から大カンに会いに参った。君は我々に何か用でもあるのか」


いや(ブルウ)。うろうろしていたら見知らぬものどもが、しかめつらしい、いや、しかつめらしいか? まあどっちでもよい。そんなような顔で立っているから、揶揄(からか)いに来ただけだ。ははは」


 さも愉快そうにからからと笑う。ヒスワは明らかに不快を面に出す。しかしサルチンはこの男に興味を覚えて、なおも尋ねた。


「チルゲイとやら、大カンというのはどんな方だ」


 すると、おっと(ニドゥ)(みは)って言うには、


「会って確かめるがよいさ。大カンとはもとよりウリャンハタの太陽(ナラン)、それに相応しい人物かどうかは君たちの判断におまかせ、おまかせ」


 そう言い残すと、手をひらひらと振って何やら歌いながら去っていった。


「昨日の小僧といい、今の奴といい、ウリャンハタは無礼(ヨスグイ)な奴ばかりだ」


 ヒスワはそう吐き捨てたが、サルチンはなぜか妙に感心してこれを見送った。

(注1)【前合後仰】酔ってじっと立っていることができず、ふらふらしている様子。

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