表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
草原演義  作者: 秋田大介
巻一三
764/785

第一九一回 ④

ドルベン乾坤一擲して赤心王を(おどろ)かし

ムジカ椎心泣血(ついしんきゅうけつ)して赫彗星に諫めらる

 またも四頭豹の奸計の前に大敗を喫したインジャたち。今は先のことを考えるよりも、まずは休息を欲する。寄り固まって円陣(クリエン)を形成し、(アクタ)を繋ぎ、(エメル)を置く。


 そうしているうちに散り散りになっていた敗兵が、三々五々集まりはじめる。傷を負った僚友(ネケル)も一人、また一人と逃れてくる。それらはことごとくアサンとキノフの(もと)へ送られて治療を(ほどこ)される。


 (こと)に傷が深かったのは、やはり最初に奇襲を受けたものたち。マクベンやコルブ、モゲトなどである。彼らについては、そもそも生きて(オスチュ)ここまで辿り着いただけでもまったくの僥倖。テンゲリの加護があったとしか考えられない。


 潰走する間に新たに負傷したものもあった。タンヤンについてはすでに述べたが、加えてオラル、オノチ、バラウン、ボッチギン、ヨツチ、ゾンゲルの六人が戦闘(カドクルドゥアン)()えられなくなった。軽傷の類は数えきれず、大半のものが無傷ではいられない。それでも一昼夜のうちに黄金の僚友(アルタン・ネケル)は欠けることなくうち揃う。


 この奇跡をテンゲリに拝謝しないものはなかったが、何と云っても感謝するべきは危急に駆けつけた三翼。すなわちサチ、キレカ、ガラコとその将領である。彼女たちは、南軍が追撃を諦めてツァビタル高原に退いたのを確かめてから合流(べルチル)を果たす。インジャは親しくこれを迎えると、一人ずつ(ガル)を取って厚く礼を述べた。


 次第に心身の困憊(こんぱい)は癒えたが、代わって途方もない怒り(アウルラアス)悲しみ(ゲヌエル)が込み上げる。将兵の損耗を(あらた)めれば、あまりの惨状に誰もが悵然(ちょうぜん)(注1)として嘆息する。失った兵馬は全体の三割を超え、傷ついた僚友は十八名に(のぼ)った。


 また還らぬ(アミン)もあった。ムジカは悄然(注2)たる面持ちでソラを訪ねる。会うや否や(コセル)に伏して言うには、


「すまぬ! 私が至らぬせいで、ゾルハンを死なせてしまった。早くに君に返しておけばこのようなことには……」


 あとは泣き崩れて言葉(ウゲ)にならない。ムジカの下で「紅き隷民(アル・ハラン)」を指揮していたゾルハンは、もとはと云えばソラの治めるジョシ氏の人衆(ウルス)。北軍の先頭に立った紅き隷民は、南軍の反撃に遭うや、瞬時(トゥルバス)に全滅したのである。


 ソラはムジカを抱え起こすと、慰めて言うには、


「ハンのせいではありません。()()()()()()()、憎むべきは四頭豹と梁軍です。ゾルハンとて決してハンを恨んじゃいませんよ」


いや(ブルウ)、私が『どこまでも進め(ヤブ)(注3)』などという愚かな命令(カラ)さえ与えなければ……。悔やんでも悔やみきれぬ」


 とてソラの手を振り払い、地を()って哭泣する。ソラはしばらく黙ってそれを見ていたが、やがて生来の直言を好む心性(チナル)(注4)がむくむくと(テリウ)(もた)げる。(にわ)かに口調を改めて言うには、


「超世傑、しっかりしろ! 君は一軍の将たるハンの一人ではないか。(ソオル)の怨みは戦で晴らせ。そんな有様ではゾルハンの死が無になるぞ」


 かつてはあの英王(注5)にすら諫言して(はばか)らなかった好漢(エレ)、もともと盟友(アンダ)たるムジカに何の遠慮があろう。ムジカは、はっとして言うには、


(あや)うく大事を誤るところであった。赫彗星の言うとおりだ。きっと四頭豹を討ってゾルハンの(オロ)に報いよう」


 ソラは(うやうや)しく拝礼して、


「それでこそ超世傑です。非礼(ヨスグイ)はどうかお(ゆる)しください」


「何を言うか。おかげで目が覚めた。さあ、向後のことを(はか)ろう。ハーンの許に参るぞ」


 気力を恢復したムジカは、ソラとともに本営(ゴル)に赴く。そこではまさにインジャが軍議を始めようとしていた。二人が一礼して着席すると、インジャはおおいに喜んで、


「ちょうど超世傑を呼びに()ろうとしていたところだ。よくぞ参った」


 余の居並ぶ好漢を数えれば、ヒィ・チノ、カントゥカ、ギィ、アリハン、サノウ、セイネン、ヒラト、ゴロ、アネク、ナユテ、サチ、チルゲイ、キレカ、ガラコの十四人。幕舎(チャチル)の隅には、警護の(アルバ)を帯びたハレルヤとシャイカが立っている。


 インジャは改めてサノウに尋ねた。


「軍師の見解や如何(いかん)?」


 サノウは、おもむろに左右を見渡すと、


「我らは四頭豹の奸計によって三分の一もの将兵を失いました。かたや敵軍(ブルガ)は二十万の増援(トゥサ)を得て、今や我が軍に倍する勢い……」


 淡々と述べて黙りこむ。ムジカは居ても立ってもいられず、


「軍師! まさかまた撤退するなどと言わないでしょうね!?」


 サノウは不快げに(フムスグ)(しか)める。一瞥して言うには、


「超世傑らしくもない。話は最後まで聴け」


 ムジカはすっかり恥じ入って(うつむ)く。サノウはかまわず続けて、


(けだ)し先に東西に現れた梁兵は先遣(ウトゥラヂュ)の軍勢に過ぎず、かの二十万こそが本隊。考えてみれば当然のことで、軍というものには必ず中軍(イェケ・ゴル)があり、両翼のみということはありえません。四頭豹は、常に草原(ミノウル)全体を一個の戦地と看做(みな)して策を立てる雄略大才の主。そこに思い至らなかったのは、まったく我が不明。軍師の重任を負いながら四頭豹に遠く及ばぬこと、伏してお詫び申しあげます」


 一同は首を振って口々に何か言いかけたが、サノウはそれを自ら制して、


「しかしながら……」


 ここでサノウが言ったことから、たちまち諸将の危惧は除かれ、鬱屈はことごとく払われることになる。()()()()(注6)とはまさにこのこと。また積徳の余慶一挙に至り、気概(ヂルケ)はもちろん軍容まで一新する次第となる。果たして、インジャたちはいかにして再戦を挑むか。それは次回で。

(注1)【悵然(ちょうぜん)】悲しみ嘆くさま。がっかりしてうちひしがれるさま。


(注2)【悄然】元気がなく、うち(しお)れているさま。しょんぼり。


(注3)【どこまでも進め】第一八九回④参照。


(注4)【直言を好む心性】第八 一回④参照。


(注5)【英王】ヤクマン部前ハーン、トオレベ・ウルチのこと。


(注6)【開雲見日】心配ごとがなくなって、将来に希望が持てるようになること。暗い雲が晴れて日の光が差すという意味から。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ