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草原演義  作者: 秋田大介
巻一三
763/785

第一九一回 ③

ドルベン乾坤一擲して赤心王を(おどろ)かし

ムジカ椎心泣血(ついしんきゅうけつ)して赫彗星に諫めらる

 逃げる(オロア)と決まれば、ひたすら逃げるのみ。戦列(ヂェルゲ)陣形(バイダル)(なげう)って背走する。第一翼の潰乱は、ついに第五翼をも巻きこむ。その主将たるカントゥカは常々、(ブルガ)に向かって退く(注1)ことを信条としていたが、濁流のごとく押し寄せる友軍(イル)に逆らうこともできず、ともに走るほかない。


 (アクタ)を馳せつつちらと顧みれば、上段よりあとからあとから蟻のごとく歩兵が湧いて、斜面をびっしりと埋めていく。まるで()きることを知らぬ(ブラグ)のようでもある。十万を凌駕する大軍との報告は受けたが、実際はそれどころではない。


「歩騎併せて、二十万は下るまい」


 カントゥカはふんと(ハマル)を鳴らすと、あとは逃走に専念する。麾下の潤治卿ヒラトは、駆けながらも矮狻猊(わいさんげい)タケチャクを招いて何やら命じる。タケチャクはひとつ頷くと、足を速めて何処かへ去った。


 ともかく形勢はすっかり逆転した。南軍の先頭に立つのは、先ほどまで追われる側だった四頭豹の一万五千騎。それに梁兵数万騎がうち続く。惑乱せる北軍を片端から突き崩せば、あとは無数の歩兵たちが群がり(たか)って殄戮(てんりく)(注2)をほしいままにする。


 北軍はツァビタル高原の下段に留まることもかなわず、そのまま平原(タル・ノタグ)に下ることを余儀なくされる。南軍は延々と追ってくる。態勢を整えようにもまったくその暇がない。膨大な損耗(ハウタル)に歯噛みしながら耐え忍ぶばかり。


 それでも広大(ハブタガイ)な平原に出たことで、ほんの僅かではあるが軽減された苦難(ガスラン)もある。敵軍はとにもかくにもインジャの中軍(イェケ・ゴル)を追ってきたので、(モル)を分かって四方八方に散ったものの中には、運好く死を(まぬが)れたものもあった。


 また、歩兵の大部は高原に留まったため、先刻までのような兵力差がなくなった。なぜそうなったかと云えば、単に歩兵と騎兵で()()()()()()()()からである。たとえ全軍挙げて下ったとしても、歩兵が疾駆(ダブヒア)する騎兵に追いつくわけもない。ならば確保した高原に(トイ)を築いて休ませたほうが得策というもの。


 とはいえ、インジャはじめ黄金の僚友(アルタン・ネケル)たちが窮地に(おちい)っていることに変わりはない。次第に撃ち減らされて、(めい)旦夕に迫る。インジャの傍ら(デルゲ)にあって大将旗を護持する長旛竿(オルトゥ・トグ)タンヤンまで矢傷を負う有様。タンヤンはそれでも大将旗を放すことなく、(マグナイ)に脂汗を(にじ)ませつつ付き従う。


 四頭豹は、今こそ憎きインジャを(ほふ)らんとて(ニドゥ)を爛々と輝かせる。すべてはこのときのために講じた大計。数多の兵衆はもとより亜喪神や三色道人を失ってでも、ただ一人インジャの(アミン)を奪うために、梁軍の存在をぎりぎりまで秘匿したのである。味方(イル)ですらそれを知るものはなかった。いわんや敵人(ダイスンクン)をや。


 果たして北軍は、類を見ない恐慌を引き起こして完全(ブドゥン)に崩壊、すっかり狩りの獲物(ゴロスエン・ゴルウリ)と化した。あとはインジャの首級を挙げるのみ。


 四頭豹の執念を映してか、南軍の追撃は苛烈を極める。北軍諸将はインジャを護らんとて、ヒィ、ムジカ、ギィ、アリハンらが何とか敗兵を(まと)めて(あらが)おうとしたが、ことごとく()ね返される。人馬の疲労も極限に達して、いよいよ殲滅は避けられぬというところまで追いつめられる。


 そのときである。(ヂェウン)から、西(バラウン)から、さらには(ホイン)から、どっと新手の軍勢が現れた。よもや梁の別働隊かと誰もが色を失う。


 しかしよくよく観れば、それらはすべて友軍。東のそれは紅火将軍(アル・ガルチュ)キレカの第四翼、西のそれは花貌豹サチの第六翼、そして北のそれは王大母ガラコが第八翼を率いてきたもの。併せて三万騎あまりが、数で勝る敵軍に躊躇なく突貫する。


「何だと!?」


 四頭豹は(ヌル)を歪めて吐き捨てる。もちろん四頭豹とて平原に待機しているクリエンがあることは承知していた。が、北軍の意表を衝いて(にわ)かに頽勢(たいせい)(くつがえ)し、電光石火に攻め下れば、あわてたところで救援(トゥサ)は間に合うまいと計算していたのである。


 ところが偶々(たまたま)慧敏な一将が駆けつけたというならまだしも、三翼もの軍勢がうち揃うとは予想だにしない。サノウが最初にこれを配置した際、万が一高原を放棄せざるをえなくなったときには、撤退する友軍を助けるよう責務(アルバ)を課したのを忠実に遂行したのであるが、それだけではない。


 先にヒラトがタケチャクに命じたのは、まさにサチに危機(アヨール)を伝えて救援を仰ぐことであった。またキノフは治療に専従するべく第八翼に移ったが、ガラコは事情(アブリ)を知るや、迷わず自ら兵を率いて発った。同時にジュゾウを走らせてキレカにも事の次第を伝える。


 こうして誰もが人事を尽くした結果、ここに三翼が集結したのである。そもそも各翼が後方待機といえども怠りなく準備していたおかげであった。


 サチが高らか(ホライタラ)に号令して言うには、


「さあ、四頭豹を討て! 忌々しき華人(キタド)根絶やし(ムクリ・ムスクリ)にせよ」


 しかし内心ではおもえらく、


「ハーンやハトンが無事に脱するまで、何としてでも(チャク)を稼がねば」


 そこで正面に立ち(ふさ)がらんよりは、うるさく付き纏って南軍の足を鈍らせることに主眼を置く。ときには果敢に突き入って暴れまわる。麾下の将も心得たもので、竜騎士カトメイ、蒼鷹娘(ボルテ・シバウン)ササカ、娃白貂(あいはくちょう)クミフの三将が自在(ダルカラン)に進退してサチの企図に応える。


 一方のキレカも名将の一人、副将の赫彗星ソラとともに南軍の側面を(おびや)かす。ソラが(つぶて)を次から次に投げれば、何も知らない梁兵はおおいに驚く。キレカはその機を逃さず、整然と攻勢をかける。


 ガラコはもっとも勇猛、あえて潰走する友軍と敵軍の間に割って入る。副将として伴ったのは、鉄将軍(テムル)ヤムルノイと石沐猴(せきもっこう)ナハンコルジ。ともに拚命(へんめい)(注3)をもって知られた鉄心石腸(注4)の主。自ら(ハルハ)となって僚友(ネケル)を逃さんとて、悪鬼(チュトグル)のごとき形相で突撃する。


 三翼の奮闘によって、(ようや)く南軍の勢いは止められる。インジャたちはなおも逃げ続けて、ついに死地を脱した。が、ここまで来ればと安堵の(アミ)()いたときには、高原から遠く数十里も後退していたのである。

(注1)【敵に向かって退く】第七 二回①、および第一七五回③参照。


(注2)【殄戮(てんりく)】殺し尽くすこと。みな殺しにすること。


(注3)【拚命(へんめい)】命がけでやる。命を投げだすことも惜しまない。


(注4)【鉄心石腸】鉄や石のように堅固な精神、意志のたとえ。どんなことにも動かされない強い心。

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