第一 九回 ④ <バラウン、コルブ登場>
ヒスワ策を定めて四方に上卿を遣わし
コルブ弓を競べて草原に奸人を見る
「何度やっても同じなんだがなあ」
そう言って小弓を引いたかと思うと、次の瞬間には矢は放たれていた。そして狙い違わず的に突き立つ。サルチンとヘカトは、ほうと感心する。
「よし、次はお前の番だぞ」
青毛は鼻息も荒く、ぐっと力を込めて強弓をぎりぎりと引く。じぃっと狙いを定めて待つことしばし、気合いとともに放つ。さすがは強弓、ものすごい速さで飛んでいったが、的からは大きく逸れてしまった。葦毛はまたまた大笑い。
「どうだ、解ったか。戦場では小弓で素早く正確に急所を射抜くのがよいのだ。お前のようにどんなに威力があっても、射るまでに間がある上に中たらないときたら、役には立たんのさ」
青毛はおおいに悔しがる。珍しくヘカトから口を開いて、
「見事なものだ。好漢、名を聞かせてください」
葦毛は馬上に身を反らし、拱手して答えた。
「私はマシゲル部ジャルム氏のコルブと申します。こっちの色の黒いのはクルベイ氏のバラウンジャルガル。貴公らは?」
ちなみに「~ジャルガル」とは、人名に付いて「永遠の幸福」を意味する語。バラウンとは西(右)の意であるから、バラウンジャルガルとは「永遠の幸福ある西」といったところ。長いので、ジャルガルは省いて単にバラウンと称することも多い。
応じてサルチン、ヘカトもそれぞれ挨拶を交わし名を告げた。ヒスワだけは先ほどから興味を失って離れていたので、名乗るどころか挨拶もない。コルブは訝しく思ったが、あえて問うほどのことでもない。バラウンが嬉しそうに言うには、
「神都から来たのか。てぇことはゴロの兄貴を知ってるだろう」
不意にその名を聞いて、サルチンらはおおいに驚く。
「ゴロ・セチェンを知っているのか!?」
きょとんとして、
「もちろん。だって今はマシゲル部にいるんだぜ」
「生きていたのか!!」
サルチンとヘカトは顔を見合わせる。ヒスワの様子をそっと窺えば、真っ青になっている。何も知らないコルブが、
「ここで遇ったのも何かの縁、とりあえず我がゲルで一杯いかがかな」
誘えば、ヒスワが遮るように大声で、
「急ぎの旅だぞ! サルチン、ヘカト、先を急ごう。失礼する」
そう吐き捨てるやさっさと馬首を廻らす。コルブは内心腹立たしく思ったが面には出さずに、
「では帰りにでも覚えていたら訪ねてくれ」
サルチンとヘカトはやむなく礼だけ言って、ヒスワのあとを追おうとした。するとバラウンがいきなり馬腹を蹴り、疾駆してヒスワに迫ると行く手を遮った。ヒスワはかっとしてこれを怒鳴りつける。
「何だ、そこを退け!」
バラウンも口を尖らせて、
「ちょっと待ちなよ。先の断りかたはないだろう。コルブの兄貴が誘ってるんだ、断るにしたってもう少しましな言いかたってのがあるんじゃないか」
「何だと、下がれ!」
サルチン、ヘカトがあわてて間に入る。コルブもバラウンを宥めて言う。
「まあまあ、急いでるのを強いて引き止めることもないではないか。お前のほうが無礼だぞ」
「でもね、兄貴……」
サルチンとヘカトも丁寧に謝る。バラウンはまだぼやいていたが、コルブが険しい顔で諫めるとやっとおとなしくなった。
二人は再度非礼を詫び、再会を約してその場を離れた。ヒスワは興奮冷めやらぬ様子で、ぱっと鞭を振るうと一散に駆け出した。余の二人はあわててこれを追う。あとに残されたコルブとバラウンは顔を見合わせて、
「兄貴、何か妙な奴らだったな」
「これはゴロに知らせたほうがよさそうだ」
早速アイルに帰るとゴロを訪ねて、出逢った三人について詳しく話した。ゴロはおおいに驚いて、
「サルチンとヘカトだと? ひょっとしてもう一人というのは色白の優男じゃなかったか」
「そのとおり、気味が悪いくらいに整った顔だった」
コルブが答えると、ゴロは突然立ち上がった。
「ど、どうしたんだい、ゴロの兄貴」
目を円くして問えば、拳を握りしめて言うには、
「そいつはヒスワだ! 今ごろ奴が草原を旅しているなんておかしい。きっとまた善からぬことを企んでいるに違いない」
そしてまたどっかと腰を下ろすと、今度は黙り込んでしまった。バラウンは狼狽えてコルブを見る。応じて口を開いて問う。
「行かせたのはまずかったか?」
ゴロはじっと虚空を睨み据えていたが、やがて言った。
「いや、それはやむをえん。が、果たして奴は何をしようとしているのか。サルチンとヘカトをともに連れ出すなんてよほどのことだ。くそっ、俺がそこにいたら問答無用で叩き斬ってやったんだが……」
コルブはバラウンを促してその場を辞した。バラウンはおどおどしながら、
「あんなにゴロの兄貴が興奮してるのは見たことないや。ヒスワって奴を相当に恨んでるんだろうね」
それにはコルブは答えない。
さてヒスワはゴロの生存を知って肝が縮む思いであったが、無事にマシゲルの版図を脱し、あとはイシを目指すばかり。
まさに奸人野心逞しくして悪運いよいよ強く、すんでのところで仇敵に遭うのを免れるといったところ。ウリャンハタへ向かったヒスワ一行は、その目的を果たすことができるのか。それは次回で。