第一九〇回 ①
ムカリ耶律老頭を拐引して必生を期し
オノチ三色道人に肉迫して死命を制す
さて、義君インジャを迎えて意気揚がる北軍は、嬉々として四頭豹ドルベンとの決戦に臨んだ。のちに「十四翼の役」と称される会戦である。前軍に神箭将ヒィ・チノ、超世傑ムジカ、獅子ギィの三傑を配し、万全の布陣をもって押し進む。
やがて射程に達して、互いにテンゲリを埋め尽くすほどの矢を放つ。次第に優位に立ったのは北軍。南軍は亜喪神ムカリこそ奮闘したものの、三色道人ゴルバンは友軍を顧みることも能わず、吸血姫ハーミラに至っては早々に離脱する有様。
ハーミラが退いたのは、陣を列ねてともに戦っていたチンラウト勢が崩れたからである。潰走した兵衆は、隣接せるムカリ軍の戦列をも乱す。すかさずヒィ・チノの命を受けた一丈姐カノンが突き入れば、混乱はもはや覆いようがない。
カノンは駆け回るうちに、チンラウトの姿を視界に捉えた。
「何たる僥倖、テンゲリのお導きに違いない」
追いかけて散々に挑発すれば、果たして怒髪天を衝く。舌戦はそこまで、あとは槍を操っておおいに打ち合った。そのうちにチンラウトの穂先が乱れはじめる。しばらくは必死に禦いでいたが、漸く堪りかねて、
「おい、小娘。勝負はお預けだ」
馬首を廻らさんとしたが、
「阿呆だね、誰が逃がすものか。戯言は冥府で言いな!」
言うや否や、迅雷のごとき一撃を繰りだせば、狙い違わず喉の下を刺し貫く。悲鳴を挙げる暇も与えない。
かつては内廷の長としてトオレベ・ウルチに重用され、七卿(注1)の一員に数えられるほどの権勢を誇ったチンラウトも、実は阿諛便佞(注2)をもって成り上がった宦者に過ぎぬ。
多少は腕に覚えがあったかもしれぬが、所詮将器にあらず、真の勇将にどうして敵おうか。昔日の栄華も虚しく、辺境に屍を晒すこととなった。
北軍の士気はいよいよ高揚し、盛んに攻め立てる。かくして右翼に続いて左翼でも敵を圧倒する。
対するゴルバンは堅強無比を謳われた名将ではあったが、いかんせん盤天竜ハレルヤ独りを持て余す。その鋭鋒を躱しつつ徐々に退いて、やっとのことで戦陣を保つ。
左右の翼を捥がれたムカリも、たちまち苦境に陥った。癲叫子ドクト、雷霆子オノチ、小金剛モゲトの突入を許した上に、ヒィ・チノ率いる本隊が加わっては手の打ちようがない。
たとえナルモント軍を退ける術があったとしても、あとには碧睛竜皇アリハン、鉄鞭のアネク、そしてインジャ帥いるジョルチ軍一万八千騎が、さらにその奥には何より恐るべき衛天王カントゥカの二万騎が控えている。
ムカリは絶望して、副将のシャギチに言うには、
「敵は雲霞のごとき大軍。天地が覆りでもしないかぎり勝算はない。今は相国に勧めて、撤退するべきだ」
「承知。火急の秋なれば、私自ら早馬を務めましょう」
去らんとするシャギチをいったん制して声を潜めると、
「よいか。俺はここで死ぬ気はない。殿軍はあの謹厳な三色道人に委せて、何としても離脱する。お前もすぐに戻ってこい」
あまりのことにシャギチは目を円くする。かまわず続けて、
「ともに西原に帰ろうぞ。同志を糾合して、彼奴らに一矢報いん」
漸くシャギチは半ば口を開く。僅かに逡巡していたが、意を決して言うには、
「では、大カン(注3)は……?」
これを聞いたムカリは、眉を顰めて、
「あんな無能、放っておけ。足枷になるばかりだ」
「…………!?」
「それより有用なものが一人ある。相国の許を辞したら、必ず連れてまいれ」
「そ、それは……?」
ムカリはそっとある男の名を囁く。そして、
「今後の我らに、あのものの技能は何としても必要だ。何が何でも連れてこい。さあ、行け!」
「承知!!」
シャギチは弾かれたように駆け去る。ムカリはその背を一瞥するや、再び戦闘に身を投じた。心の定まったことでかえって力が湧いたか、まさに鬼神のごとき猛勇を振るう。
そのころ主将たる四頭豹は、シャギチごときの進言を待つまでもなく、冷静に戦局を見極めていた。謀臣たる混血児ムライを顧みて言うには、
「陣を払う用意を。ここを棄てて上段に退かん。三色道人に殿軍を命じよ」
先に述べたように、ツァビタル高原の地勢は、大きく分けて上下二段を成している。現在の戦場は、平原から一段上ったところ、言わば下段である。
南軍が布陣しているのはその南端、上段の高原へと続く斜面の中腹。この上には、さらに広大な平地が広がっている。そこをずっと南下すれば、いずれ中華の築いた長城を望むはずである。
(注1)【七卿】ヤクマン部前ハーン、トオレベ・ウルチの下で権勢をほしいままにした奸臣たち。ダサンエン、コルスムス、スーホ、ウルイシュ、チンラウト、大スイシ、小スイシの七人。第八 一回②参照。
(注2)【阿諛便佞】口先だけ調子のいいことを言って、阿り諂うこと。
(注3)【大カン】ムカリたちが擁立したヂュルチダイのこと。先にシャギチ自ら、ジャンクイ・ハーンの居るダナ・ガヂャルに送った。第一八四回④参照。




