第一八九回 ③
オノチ火竜を飛ばして尸解兵を殄戮し
インジャ三傑を立てて四頭豹と会戦す
そもそもなぜツァビタル高原での戦が、「十四翼の役」と名づけられたのかと云えば、南北併せて十四のクリエン(注1)が参戦したからである。「翼」とは、クリエンを数える単位にほかならない。
北軍はインジャ帥いる第一翼から、ガラコの第八翼までの計八翼。対する南軍は、四頭豹ドルベン、チンラウト、三色道人ゴルバン、亜喪神ムカリ、吸血姫ハーミラの五翼に、すでに壊滅した梁軍を加えた六翼。すなわち「十四翼」というわけである。
それはさておき、開戦を告げる金鼓の轟くや、北軍の前軍たるヒィ・チノの第二翼が待ってましたとばかりに動く。先頭に躍り出たのはドクトとオノチ。矢のごとく猛然と突き進む。
ナルモント軍三万騎が、魚鱗のごとき陣形を保ってうち続く。そもそもその兵衆は、東原動乱(注2)を通じて鍛えに鍛えられた草原に冠たる精鋭。疾駆に転じても陣形はまったく乱れない。
これを輔けるべく、右翼のムジカ、左翼のギィの軍勢も前進する。両軍が形成するのは鶴翼の勢。先駆ける友軍の側面を掩護しつつ、敵軍を左右から扼さんとする。
南軍は、南奥のさらなる高地へと続く斜面の中腹に陣を定めたまま、微動だにしない。ただずらりと弓兵を並べて、北軍が射程に入るのを眈々と待つ。それを見たドクトが、嘯いて言うには、
「我らにはテンゲリの加護がある。中たるものか」
傍らのオノチはふっと笑うと、応射の準備を命じる。足を止めるものはない。一直線に駆けながら左手に弓を把み、右手で矢筒より一の矢を取り出す。
やがて互いに射程に達する。先に斉射の令を得たのは南軍。ムカリの陣営から驟雨のごとく矢が放たれて、北軍の頭上に降り注ぐ。みな鞍上に伏せてこれを避けつつ、なおも接近を試みる。あえなく的中して落馬、落命するものもあったが、怯むものはない。
敵が陣を布く斜面の裾に迫ったところで、やっと応射の命令が下る。北軍の兵衆は、矢の雨を掻いくぐって果敢に反撃に転じる。互いに応酬する矢がテンゲリを埋め尽くし、不運なものからばたばたと斃れる。
北軍は数も衆く勢いも盛んであったが、やはり兵書に「軍は高きを好みて下きを悪む」と云うとおり、低地にあるため大きな損害を免れない。突貫の足も止められて、それ以上容易に近づけない。
ムカリは馬上に雀躍して、
「今こそひと息に攻め下って、彼奴らを退けてくれよう」
いざ突撃を命じんとて身構えたそのときである。卒かに左右から交錯するように矢がびゅんびゅんと飛来して、あっと驚く。何ごとかと思えば、敵の両翼がすっかり展開を了えて、盛んに矢を放ってきたもの。
無論、三色道人や吸血姫の軍勢が応戦していたが、こちらは正面、左前方、右前方と、それぞれ正対する敵を射るのに対し、敵はこれを囲むようにして三方から中心に向けて矢を集めている。よって思わぬ方角から流れてきた矢に中たるものが続出、瞬く間に数を減じる。
こうなるともとより数に勝る北軍はますます優利、南軍はみるみる劣勢に追い込まれる。堪らずじりじりと後退し、当初の堅陣も乱れはじめた。
その機を逃すヒィ・チノではない。さっと右手を挙げると、
「突撃! 一気に攻め上がれ」
どっと金鼓が鳴り響けば、わっと喊声が挙がって、一斉に馬腹を蹴る。三万の豪勇の人々が、ドクトを先頭に脱兎のごとく斜面を駆け上がる。両翼も呼応して漸進、さらなる圧力を加える。
「迎え撃て!」
ムカリが絶叫して漸く南軍も弓を棄て、各々得物を掲げる。ここに前軍同士が激突、たちまち人馬入り乱れての混戦となる。攻めるも必死なら守るも必死、それも倶にテンゲリを戴かぬ仇敵ならば当然のこと。一敗地に塗れれれば、儚く骸を晒すほかないのである。
徐々にナルモント軍が押しはじめる。さしものムカリも戦線を維持することに汲々として、驍勇を発揮する暇もない。
右翼を預かるゴルバンは、ムカリの苦戦を察して飛天道君トウトウを助力に差し向けようと図る。何となれば自軍は一万五千騎、対するマシゲル軍は一万騎、僅かに余力があると判じたためである。
しかしそこに突っ込んできたのは、盤天竜ハレルヤ。ベルダイの双璧たるカトラとタミチを随え、さらには迅矢鏃コルブが支援する。かの魔軍の大将が至ったからには、他人のことを気にかけている余裕はない。さながら竜巻に遭ったようなもの、あわてて防戦に努めざるをえない。
では左翼はどうかと云えば、さらに苦しい戦況。そもそもムジカ軍一万五千に対して、南軍は一万騎。それをチンラウトとハーミラが半数ずつ率いている上に、一個は草原の民、一個は色目人。言葉や戦法はもちろん、士気や練度においても差があった。どうして足並みが揃おうか。
そのうちにチンラウト勢が潰乱の兆しを見せる。「紅百合社」の兵衆は、ハーミラの指揮下でしばらく敢闘していたが、もはや戦列の綻びは繕いようがない。
ハーミラの表情はみるみる険しくなる。黒智嚢クィアームがそろりと馬を寄せて、小声で言うには、
「遺憾ながら大勢は決しました。そもそも我らはファルタバンの民、四頭豹殿と命運をともにする義理はありません」
「ふん、そのとおりだ。何としても東城まで退くよ。退却だ! 退け、退け!」
応じて方々でぴいいと指笛が吹き鳴らされて、色目人たちは片端から馬首を廻らす。何とかムジカ軍の鋭鋒を躱して戦場から離脱せんと試みる。
(注1)【クリエン】複数のアイルの集団から成り立つ部落形態。主に軍団の駐屯に際して形成され、遊牧形態から戦闘形態への転換が容易である。圏営、群団などと訳されることもある。単位は「翼」。
(注2)【東原動乱】五年前、四頭豹の計略により、ヒィ・チノの版図で起きた動乱のこと。北原での青袍教徒蜂起に始まり、ついには南伯の重職にあったシノンが叛旗を翻した。第一四八回②~第一五六回④参照。




