第一八九回 ②
オノチ火竜を飛ばして尸解兵を殄戮し
インジャ三傑を立てて四頭豹と会戦す
ついに義君インジャ帥いる第一翼が、その威容を現した。粛々と兵を進めて、堂々の陣を布く。無数の旌旗が連なり、天幕や幕舎が地を埋め尽くす。
先陣を務めた黄金の僚友たちは、うち揃って伺候して主君の到着を祝った。インジャはおおいに喜んで諸将の、中でもその主将たる三人の英傑、すなわち神箭将ヒィ・チノ、超世傑ムジカ、獅子ギィの武功を讃えた。さらに事の次第を聞くに及んでは、神道子ナユテ、盤天竜ハレルヤを激賞する。
ひととおり喜び合ったところで、獬豸軍師サノウが尋ねて言うには、
「で、南軍の様子は如何?」
答えたのは蓋天才ゴロ・セチェン。
「妖術を破られてからは、陣地に籠もったまま動きがない」
「ふうむ……」
サノウは眉を顰める。ドクトが見咎めて、
「何だ? 我らが奮戦によって敵が逼塞しているのが、どうして不満なのか」
「そうではない。ただあの四頭豹ともあろうものが、拙い妖術のほかに何の策もないというのは、いささか解せぬ」
「ははは、また軍師の悪い癖が出たぞ! 今度ばかりはさすがの四頭豹も打つ手がないんだろうぜ」
笑い飛ばしたのは隼将軍カトラ。すかさず鳶将軍タミチに窘められる。百策花セイネンが口を開いて言うには、
「もうすぐ衛天王、花貌豹、紅火将軍らの各翼が合流する。そうすればこちらは敵に倍する兵力。奸計を弄する暇を与えず、一気呵成にこれを逐わん!」
勇壮な提言にみなの心は沸き立ち、口々に同意の声を挙げる。インジャもまた大きく頷いて、
「百策花の言や善し。この一戦にて必ず四頭豹を擒え、長きに亘った乱世を終わらせるべし!」
そして独り険しい顔で黙っているサノウに向き直って言った。
「軍師、それで可いな」
拱手して何と答えたかと云えば、
「無論でございます。今や勅命が下されたからには、我ら臣下はただ鞠躬如(注1)として尽力するのみ」
するとインジャの隣にあった鉄鞭のアネク・ハトンが目を円くして、
「また軍師は難しい言いかたをするね! 何だか解らないよ」
それに勇を得たか、殺人剣カーが頬を掻きつつ言うには、
「俺からも頼むぜ。碧睛竜皇と黄鶴郎にファルタバン語で訳してやろうと思ったが、俺が理解できないんじゃ訳しようがない」
と、奇人チルゲイが呵々と笑って、
「大意が伝わればいいんだ! 軍師は単に、『おうとも、やってやりますぜ』って言ったに過ぎないぞ! まったくみなの心を代弁しているではないか」
これには一同大笑い。またチルゲイの言うとおりでもあったので、好漢たちはいずれもおおいに気を好くして、ぎらぎらと目を輝かせた。
万全の布陣をして戦機を窺っている間に、衛天王カントゥカ率いる第五翼が到着して、中軍の後背を固める。また幾日も経たぬうちに、第四翼の紅火将軍キレカ、第六翼の花貌豹サチも至る。
インジャはサノウらと諮って、キレカとサチの軍勢については高地に招かずに、その東西の低地を占めさせる。これは戦場を離脱した敵人を捕捉するためである。また万が一、友軍が不利を被って高原から退くことがあっても、即座に左右から駆けつけてその後退を援けることができる。「智者の慮は必ず利害に雑う」とはまさにこのこと。
互いに動きがないまま、漸く輜重を預かる王大母ガラコの第八翼が追いついてくる。報を受けたサノウは、そのまま後方に待機して固く物資を守るよう指示する。さらに紅大郎クニメイ、石沐猴ナハンコルジ、鉄将軍ヤムルノイ、白日鹿ミアルンを割いて、第八翼に加える。これは南軍が戦局を覆すべく輜重を襲うことを怖れたからである。
かくして南北両軍は、それぞれ打つべき手を打ち尽くして対峙した。
とはいえ、実は四頭豹ドルベン・トルゲ率いる南軍のほうには、何の兆候も見られない。兵を動かすでもなく、間諜を放つでもなく、塑像のごとく刀槍を並べているばかり。北軍の兵が日に日に増えても、先にヒィ・チノらと相対していたときと毫も変わらない。
サノウやアサンら知将たちは、いささか奇異に思ってあれこれ憶測を巡らせたが、多くの勇将たちは、果たして四頭豹も窮したかとますます意気軒高。それもそのはず、北軍は今や十三万騎になんなんとするのに対し、南軍は梁兵を失って数万騎を数えるばかり。やや高地に陣しているとはいえ、劣勢は誰の目にも明らか。
先陣を担うヒィ・チノは、ひと息に敵を蹴散らさんとて突撃の合図を待ちわびる。右翼のムジカ、左翼のギィもいつでも飛びだす構え。
それに続くは中軍の前衛。指揮は碧睛竜皇アリハンが執るが、ともにあるのはジョルチの誇る猛将、一個は鉄鞭のアネク、一個は呑天虎コヤンサン。アネクの傍らには、これを信奉するカーの姿がある。
本営の中心にはもちろんインジャ。泰然として敵陣を眺めている。周囲にはサノウ、セイネン、ナユテ、チルゲイといったセチェン(知恵者)たち。密かにこれを護るのは黒曜姫シャイカ。長旛竿タンヤンの掲げる大将旗が、翩翻とはためく。
インジャが誰にともなく呟いて言った。
「いよいよだぞ。ついにこの日が来たのだ」
それが耳に入ったかどうか、サノウが恭しく告げて言うには、
「機は熟しました。開戦の命を」
頷いたインジャが高々と右手を挙げた。応じて一斉に金鼓が打ち鳴らされる。のちに、「十四翼の役」と称される決戦の幕が切って落とされたのである。
(注1)【鞠躬如】身を屈めて、謹み畏まるさま。




