第一八九回 ①
オノチ火竜を飛ばして尸解兵を殄戮し
インジャ三傑を立てて四頭豹と会戦す
さて、神道子ナユテに風の術を破られた尸解道士こと林孟辰。雪辱を期して新たな術を繰りだした。それこそ黒の長袍を纏った巨人の兵団、すなわち「尸解兵」。
北軍は癲叫子ドクトと雷霆子オノチを遣って試みに攻めさせる。すると驚いたことには、いくら矢が突き立っても巨人の群れは歩みを止めない。業を煮やしたドクトが三叉矛を掲げて突きかかったところ、易々とその腕を捥ぎ落とす。が、何としたことか、腕はたちまち再生してしまった。
肝を潰しているところに隼将軍カトラが駆けつけて、これならどうだとばかりに首を刎ねた。やはりあっと言う間に再復する。これにはいかな勇将といえども為す術なく退却する。兵衆の動揺は覆うべくもない。
怪力乱神(注1)については、ナユテの領分。将兵はみなその智能に期待を寄せる。一部始終を観ていたナユテは、傍らの盤天竜ハレルヤと白夜叉ミヒチを顧みて、
「あれを何と見た?」
問えば、ハレルヤが答えて言うには、
「蓋し、児戯……」
ナユテはおおいに喜んで、オノチに何ごとか命じる。またハレルヤには、怪異の虚像を砕くよう依頼して送りだした。ハレルヤがドクトに言うには、
「外形に惑わされてはいけない。枝葉に囚われてはいけない」
ハレルヤはいざ巨人に対すると、おもむろに下馬してこれに接近する。ふわりと大刀を掲げたかと思えば、腕や頭に止まらず、当たるを幸い片端から斬撃を加える。と、巨人の身体はめりめりと音を立てて傾ぎはじめた。破れた袍衣の下から現れたのは、低い楼車。これに人形を被せて、不死の巨人を装っていたに過ぎないのであった。
ドクトは大喜びで、
「人が造ったものならば、怪異でも何でもない。怖れるに足りぬわ!」
しかしはたと首を捻って、
「とはいえ、みなが盤天竜と同じようにはいかぬ。いかにして巨人どもを駆逐してくれようか」
と、そこへ後背から声がかかった。
「どけ、どけ。あとは俺に委せろ! 神道子からすでに策を得ているぞ」
声の主は、オノチ。数百騎の弓兵を率いて駆けつけると、横一列に並べて巨人に相対する。号令一下、弓に番えさせた矢を見れば、ことごとく火矢。
「放て!!」
応じて数百の火竜が宙を飛ぶ。例によって巨人はこれを避けない。また刺さった火矢を抜くこともできない。やがて火は黒袍を焼き、ついには本体である楼車に燃え移る。漸く方々で悲鳴が挙がり、あわてふためいた梁兵が激しく噎せながら転がり出てきた。ハレルヤたちはそれを次々に討ちとっていく。瞬く間に巨人の群れは形を失い、すっかり掃討されることとなった。
北軍の陣からは大歓声。一方、南軍は寂として声もない。殊に林孟辰の狼狽ぶりは甚だしく、青ざめてわなわなと震え、目瞬きすら忘れる有様。先ほどまで得意の絶頂にあったのが、一瞬にして絶望の淵に立たされる。尸解兵の盾を失った今、亜喪神ムカリの後援があるとはいえ、寡兵をもって敵前に身を晒しているのである。梁軍を率いる矮飛燕こと拓羅木公もまた周章(注2)を極めて、
「ど、ど、道士! こ、これはまずい、まずいのではないか!?」
ところが林孟辰は唇を震わせるばかり。拓羅木公は苛立ちを募らせて、
「道士、しっかりなされよ! もう術はないのか!?」
「あ、あ、あ……」
「おお! あるのか!?」
愁眉を開きかけたが、林孟辰が、
「あ、あ、あ……」
そう呟きつつ、ふるふると首を振ったので、こやつは意味のない音を漏らしていただけだったのか、この危急の際に何と紛らわしい、とおおいに憤慨して、もはやこれを顧みず告げて言うには、
「退却、退却! 本営まで退け!」
兵衆は待ってましたとばかりに馬首を廻らし、脱兎のごとく背走する。
時を同じくして、北軍の陣からどっと金鼓が轟く。応じて前軍が一斉に突撃に転じ、左右両翼の軍勢も一挙に押し寄せる。まさに「疾きこと風のごとく、侵掠すること火のごとく、動くこと雷霆のごとし」と云ったところ。
算を乱して逃げる梁軍数千騎は、すぐに攻勢の波に呑まれて根絶やしにされる。あわれ拓羅木公も林孟辰も、あえなく草原の露と化してしまった。
ムカリはこれを助けるどころか、そもそも尸解兵の虚妄が暴かれた時点で兵を留め、そのあとすぐに後退して本営の守りを固めていた。北軍の先駆けが近づくと、三色道人ゴルバン・ヂスンと力を合わせて防戦に努める。
しばらく戦うと、神箭将ヒィ・チノは兵を退いた。功あった将を称え、士気はさらに高まった。ちょうどそこへ飛生鼠ジュゾウが現れる。喜んで招き入れると言うには、
「いよいよハーンがご着陣されますぞ!!」
この報に誰もが欣喜雀躍して、交々祝辞を述べる。またこれまでの戦果を伝えれば、ジュゾウも昂奮して、
「さすがは神箭将! 早速ハーンに伝えて参りまする」
とて、飛ぶように去る。入れ替わるように今度は娃白貂クミフがやってきて、
「我がカンたる衛天王の第五翼、および花貌豹の第六翼もまもなく到着します!」
吉報に次ぐ吉報に、将も兵も拳を突き上げて万歳を唱える。その声はテンゲリをどよもし、エトゥゲンを揺るがし、敵人の心胆を脅かしたが、くどくどしい話は抜きにする。
(注1)【怪力乱神】怪しく不思議で、人知で測り知れないもののこと。
(注2)【周章】あわてふためくこと。うろたえ騒ぐこと。




