第一八八回 ②
ナユテ理を用いて林孟辰の妖術に対し
ハレルヤ力を奮いて尸解兵の機巧を暴く
そもそも「尸解」とは、中華の道家が行う秘術である。あるいは魂魄を肉体から解き放って昇仙すると云い、あるいは一度死んだのちに生まれ変わって昇仙すると云う。いずれにしても尋常の技ではない。では、林孟辰が繰りだす「尸解兵」とはどういったものか、それはまもなく判ること。
翌日の早暁、北軍の最前列に陣を布いていたドクトたちは、敵軍のうちに異様な兵団が蠢いていることに気づいて、目を瞠った。
「な、何だ、ありゃ!?」
「歩兵? いや、あれはまことに人なのか?」
将も兵も口々に騒ぎたてる。その視線の先、南軍の先陣にあったのは、百体ほどの何とも奇妙な一団。
ゆったりとした黒い長袍を頭から被り、裾を引き摺りながら、のそりのそりと進んでくる。何より背が高い。少なくとも九尺(注1)は下らない。胴回りも太く、常人の倍ほどもあろうか。右手には槍、左手には剣を持ち、それらをみな前に突きだして刃先を並べている。一歩進むごとに、大きな頭をふらふらと揺らす。
顔も黒布ですっかり覆われているため、どこを見ているかも判らない。じっと無言で、気勢を上げるでもない。その様子からは、人としての情念や意思がまるで感じられない。北軍の将兵が人外と疑ったのも無理からぬこと。
ともかく早馬を立てて、本営に報せる。ヒィ・チノは早速ナユテを召して言った。
「また敵人がおかしなことを始めたようだぞ」
仔細を聞いたナユテは、
「黒い巨人か……。ともかく一度手を合わせてみないことには」
「ならば癲叫子と雷霆子に迎撃させよう。どんな奸計があるやもしれぬ。ほかの軍勢は四囲を警戒して隙を見せぬよう伝えよ」
方々に伝令が飛ぶと、ナユテが拱手して言うには、
「私も実地にそれを見てこようと思う。盤天竜と白夜叉を借りるぞ」
「もちろんかまわぬ。行け!」
たちまち騎乗して前線に駆けつける。望見すれば、なるほど不気味な巨人の群れがじりじりと接近してくる。
「うひぃ、悪魔だ!」
思わず叫んだのは、ミヒチに随ってきたゾンゲル。
「うるさい! 迂闊なことを言うんじゃないよ」
すかさずミヒチに叱られて首を竦める。それにはかまわずさらに見遣れば、百歩ほど後方から、亜喪神ムカリの騎兵が殺気を漲らせながらついてきている。
「こちらが怯んだら、すかさず亜喪神が突撃してくるってわけだね」
ミヒチが言えば、
「ふふん」
ナユテは鼻で笑ったきり。ハレルヤは黙然として敵軍を睨んでいる。
そうするうちにも、前軍よりドクトとオノチが千騎ほどを率いて飛びだす。駆けながら弓に矢を番え、狙いを定める。
「放て!」
オノチの命に応じて、無数の矢が次々と宙を飛ぶ。ところが巨人たちは避ける風もなく佇立している。当然、矢はことごとくその巨体に突き立った。
「何だ、呆気ない」
ドクトがせせら笑ったそのときである。
「うおぉぉぉん!!」
卒かに巨人たちが唸り声を挙げた。ドクトたちはおおいに驚いて手綱を引く。何ごとかと警戒していると、巨人たちは刺さった矢をそのままに再びゆっくりと前進しはじめた。倒れるものも遅れるものもなく、何ら痛痒を感じていない様子。
「何だとっ!?」
ドクトらはあわてて、さらに二の矢、三の矢を叩きこむ。いずれも命中したが、もはや巨人は立ち止まることすらない。ときおり肚の底からわんわんと響くような唸り声を挙げながら、着実に寄せてくる。
「あれは人じゃない、冥府の住人だ!」
北軍の兵衆は震え上がって、次第に後退する。ドクトはひとつ舌打ちすると、
「矢が効かないっていうなら、こいつはどうだ!!」
奮然として馬腹を蹴った。手には三叉矛を高々と掲げる。
「あっ!! ドクト様、おやめください!!」
麾下の部将が瞠目して叫んだが、聞く耳とて持たない。怖れる色もなく、猛然と巨人の一人に向かっていく。それを見たオノチも、これを輔けるべくあとを追った。
「さあさあ、悪魔どもめ。このドクト様と死闘せん!!」
「うおぉぉぉん!!」
「ははっ。やはり図体はでかいが、鈍い!!」
叫ぶや否や、巨人が得物を掲げる隙も与えず三叉矛を繰りだし、その右腕を貫いた。そのままぐるりと捻れば、肘の上からちぎれ飛ぶ。
「うおぉぉぉん!!」
「何だ? 見かけは恐ろしいが、てんで弱いぞ」
ドクトはおおいに気を好くしてさらに刺突を加えんとしたが、突如不穏な気配を感じて、はっと身を引いた。追いついてきたオノチが異状を察して、
「どうした?」
問えば答えて、
「判らん! 判らんが殆うい予感がした」
そこで二人は十歩ほど間を取って、先に右腕を失った巨人を顧みた。と、
「お、おお、そんなまさか……!」
ドクトは驚愕のあまり目をいっぱいに見開く。一方のオノチも、やや青ざめた顔で眉を顰めて言うには、
「……信じられぬ。腕が、腕が生えてきたぞ」
(注1)【九尺】一尺は約23.5cm。すなわち九尺は、約211.5cm。




