第一 九回 ③ <サルチン登場>
ヒスワ策を定めて四方に上卿を遣わし
コルブ弓を競べて草原に奸人を見る
さて、退庁したヒスワは、その足で一人の男を訪ねた。その名はヘカト。覚えている方もあるだろうか。かつてコヤンサンと争った商人である。
さらにそこにはもう一人の客があって、その人となりはといえば、
身の丈七尺半、しなやかな痩身に長い四肢、所作は娘のごとく優美、飄々超然、才を内に隠すも眼には異能の光、知恵の湧くこと泉のごとく、上は天文地理から下は通商兵事まで通ぜぬところなしという傑物。名をサルチンという。
ヒスワは二人に件の計略をことごとく語り終える。すると、
「……またたいそうなことを考えたものだ」
サルチンが唸りながら言う。さらに尋ねて、
「それで、我々にそれを伝えたのは何かわけがあるのか」
ヒスワが答えて言うには、
「もちろん。是非とも貴君らの手を借りたいのだ。大院に在るのは阿呆ばかり、恃みになるものは皆無だ。上卿といえどもまるで頼りない。俺がウリャンハタを籠絡するには、奴らでは役に立たぬ」
「ううむ」
「ウリャンハタ、ウリャンハタねぇ」
二人とも思案に暮れる様子で黙り込む。特にヘカトは眉を顰めて内心の不満を顕にしている。
「礼は十分にする。ともに西原へ来てくれ」
「ううむ」
「ウリャンハタ、ウリャンハタねぇ!」
サルチンはそう繰り返すと、手をひらひらさせながら言った。
「礼が十分か、とかじゃないんだな。金については俺もヘカトも不自由しないわけだし、クルイエでの権勢にも興味がない。あくまでその計略にどのくらい成算があるかってことさ。ウリャンハタをどうこうしたとして、そのおかげでジョルチの大半とマシゲルを敵に回すってわけだ。君の計略はよくできているが、いかんせん博奕だね。よく元首がその気になったものだ」
ヒスワは色を成して言い返す。
「計略を博奕にしないためにもウリャンハタ籠絡は必須なのだ。ミクケル・カンさえ動けば計は成る。さすれば規律ある草原に戻り、通商だってやりやすくなるだろう」
「ううむ」
「おもしろそうではあるんだがな、どうも不安だな」
渋る二人にヒスワはさらに説いて、
「俺としては二人が協力してくれれば憂えることはないのだ」
「ううむ」
「ミクケル・カンってのは話が解る男だったかな? 怒りだすと歯止めが利かないという噂だが。そんな奴をそこまで恃みにしていいものかな」
「ううむ」
実はヘカトは先ほどから唸ってばかりである。とはいえ彼は常からそうで、口数少なく聞き役に回ることが多い。ヒスワもサルチンも心得たもので、あえてこれに発言を促すようなことはほとんどない。放っておいても話すべきことがあれば話すからである。
ヒスワは業を煮やして、
「とにかく協力してもらう。今の俺にとっては、貴君らを葬ることなど掌を返すように容易いことなのだぞ」
そう詰め寄ってくる。二人はたちまち顔色を変えたが、諦めてともに西原へ行くことを約した。
翌日、三人はあわただしく発った。数人の従者を連れただけである。目指すはウリャンハタ部の庇護下にあるシータ海沿岸の小さな街イシ。
彼らは商人であるからイシの知事にも顔が利く。その知事を介してミクケル・カンに見えようというもの。
道中は野盗に襲われることもなく、飽けば喰らい、渇けば飲み、夜休み、朝発つお決まりの行程。さて出立して五日目のことである。ふと目をやれば二人の草原の武将が何やら熱心に話し込んでいる。
かたや身の丈七尺少々、赤銅色の面に漆黒の瞳、太い眉、厚い唇、樽のごとき胴に短い四肢、手には二人張りの強弓、騎るは青毛(注1)の馬という豪傑。
かたややはり身の丈は七尺少々、広い額に大きな鼻、面は赤く歯は皓く、身のこなしは優雅、手には小弓、騎るは葦毛(注2)の馬という好漢。
何となく眺めていると、やがて青毛の豪傑が強弓をぎりぎりと引き絞り、彼方に向かって矢を放った。と、葦毛の好漢がからからと笑う。そして小弓を構えたかと思えばすぐさまひょうと放つ。
しばらく見物していたサルチンが興味を惹かれて声をかけた。
「やあ、何をしているのか」
その声に二人は初めて彼らを見る。
「なあに、弓競べをしているのさ」
陽気に答えたのは葦毛の好漢。
「弓競べというと?」
問えば、傍らの青毛の豪傑を指して、
「こいつが弓は強弓に限ると言い張るので、私が馬上にあって有用なのは小弓だと言ったところ、それでは的を立てて勝負してみようということになったのだ」
改めて彼方を見れば、確かにぽつんと的が立っている。
「で、どちらが勝ったのか」
「どちらも何も勝負にならんさ」
葦毛が言うのを聞いて、青毛がぐいと進み出た。
「もう一度、もう一度だ。これまでは偶々、今度は兄貴が先にやってくれ」
(注1)【青毛】あおげ。馬の毛色のひとつ。黒色の馬を指す。
(注2)【葦毛】あしげ。馬の毛色のひとつ。灰色、もしくは白色の馬を指す。