第一八七回 ①
ナユテ鮮やかに予言して神箭将大いに喜び
ドクト巧みに弾奏して白夜叉妖しく舞う
さて、「万人長の中の万人長」として北軍の先鋒を帥いる神箭将ヒィ・チノは、緒戦に亜喪神ムカリの突貫を受けるも、盤天竜ハレルヤの人智を超えた活躍によってこれを退けた。さらに飛天道君トウトウの奇襲も蓋天才ゴロが予見していたために難なく追い払う。
こうして戦闘については殆うい場面とてなかったが、僅かに憂うべきは梁軍の怪しげな道士が吹かせたかに見える強風。無智な兵衆のうちに、これを怖れて竦むものがあったからである。
それどころか黄金の僚友においてすら、病大牛ゾンゲルのごとく、これを半ば疑い、半ば信じるものが現れる。ヒィ・チノが諸将に諮ったところ、白夜叉ミヒチが、
「馬のことは馬飼いに訊け」
そう進言したことに順って、急ぎ神道子ナユテを呼び寄せた。本営にて事の次第を聞いたナユテは、
「十中八九、詐術だな」
即座に断じてヒィ・チノを喜ばせる。ただし兵衆の蒙を啓くには策を講じるべきとて、二、三日の猶予を得る。築かせた櫓に上って、しばらくテンゲリを観察していたが、やがてミヒチの問いに答えて、
「おおよそのことは解った」
さらに言うには、
「ふたつほど予言しておく。まず、明日の昼過ぎまで風は吹かない。そして明後日、あるいは遅くともその翌日、おもしろいものを見せられると思う」
ミヒチがこの言葉をヒィ・チノに伝えたところ、おおいに喜んで、
「神道子の予言は中たらぬことがない。よろしい、明朝兵を進めてみよう」
ナユテは陽が落ちたあとも櫓上にあって、深更まで満天の星を観測していたが、くどくどしい話は抜きにする。
明けて翌日。風はない。ヒィ・チノは命を下して、小金剛モゲトを先駆けとして攻勢をかける。癲叫子ドクト、雷霆子オノチが続き、右翼からは皁矮虎マクベンと笑小鬼アルチンが飛びだす。
無論、左翼も黙っていない。ベルダイの誇る双璧、すなわち隼将軍カトラと鳶将軍タミチが喊声とともに突出する。
中軍もまたじわりと押しだす。ヒィ・チノは泰然として敵陣を望みながら、傍らのナユテに言うには、
「なるほど、敵の動きは鈍いな。梁軍に至っては旗すら見えぬ」
ナユテはにやりと笑って、
「おそらく出てくることはあるまい。たとえ出てきたところで、風を吹かせることはできぬのだから」
「信じてよいのだな」
「もちろん。夕刻近くなって僅かに吹くが、長くは続かない」
ヒィ・チノはふと尋ねて、
「その道士は、今まさに四頭豹に風を請われたら何とするのだろう?」
これを聞いたナユテはからからと笑うと、
「容易いこと! 『まだ法力が恢復しておりませぬ』などと偽言を並べて逃げるのさ」
「俺は巫者のそういうところが嫌いなのだ」
とて眉間に皺を寄せる。それはそれとして、北軍は散々に矢を放って盛んに挑発したが、南軍は守るばかりでまったく動かない。あのムカリですら、兵を纏めてひたすら堪えている。
もとより北軍とて敵情を測るべく試みに兵を出したまでのこと。半刻も経たぬうちに撤退の銅鑼が鳴って、一斉に退く。追ってくるものもなく、もとのとおり陣を布いて睨み合う。
ナユテは戻るや否や、再び櫓に上ってテンゲリを仰ぐ。やはり下にはミヒチとゾンゲルがあって、固唾を呑んで見上げている。予想したとおり夕刻にやや強い風が吹きはじめたが、一刻もせずして止んだ。陽が沈むと櫓を下りて、しばし黙考する。そのうちにひとつ頷くと、ゾンゲルに言うには、
「病大牛、お前は人が風を意のままに操れるとしたら怖ろしいか」
「はあ。もしそんなことがあるなら、そりゃ怖ろしいでしょうよ。だってそれは畏れ多くもテンゲリを操れるってことですぜ」
それを聞いて、ミヒチは密かに眉を顰める。しかしナユテは、
「はっはっは。まったく正直な奴だ。だがな、病大牛よ。人はテンゲリを操ることはできぬ。たとえそう見えても、果たして虚飾に過ぎぬ」
ゾンゲルは不満げに言い返して、
「そうは言いますが、実際強風は吹きつけてますからね。ありゃあ幻でも気のせいでも何でもありませんぜ」
ナユテは気を損ねた様子もなく、莞爾として言うには、
「そうだな、よろしい。では、これならどうだろう。私とてもちろんテンゲリを操ることはできぬが、人がテンゲリを詐って行う術については、必ずこれを破ることができる。敵が風を吹かせるなら、私がそれを止めてやろう」
「うひぃ! さすがは神道子!! それは真ですかい!?」
「私を誰だと思っている。敵人がどんなに妖しげな術を用いても、たちどころに破ることができるならば、何も怖ろしいことはないだろう?」
「そりゃあもう! こんな心強いことはないでさぁ!!」
ゾンゲルは鼻息を荒くして昂奮する。ナユテは呵々と笑うと、
「よろしい。これよりハンの許に参って策を進言する。ついてこい」
「はい、先生!」
嬉々として随うゾンゲルを見て、ミヒチは呆れた様子で肩を竦める。




