第一八六回 ④
ハレルヤ人外の勇を揮いて亜喪神を退け
ヒィ・チノ妖風の害を憂えて神道子を招く
ナユテが本営を訪れると、ヒィ・チノは満面の笑みでこれを迎える。余人を交えず対座して事の次第を告げれば、即座に答えて何と言ったかと云えば、
「十中八九、詐術だな」
ヒィ・チノは我が意を得たりとばかりに手を拍って、
「やはりそうか!」
「然り。それらしく見せてはいるが、何のことはない。風が吹かんとすれば出て、止まんとすれば退いているに違いない」
涼しい顔でさらりと言ってのける。ヒィは身を乗りだして言うには、
「まことにそれだけのことなのだな」
ひとつ頷いて、
「幼子を騙す奇術の類に過ぎないが、見せかたがうまいのだろう。しかしそもそも奇術とはそういうもの。人はひとたび目を欺かれれば、どんなにありえないことでも信じるからな。すなわち目とともに心も欺かれるというわけさ」
これを聞いたヒィは、僅かに眉を曇らせて、
「欺かれたままでは困る。虚妄に怯えるものが雑じっていては、ここぞというときに軍を殆うくするやもしれぬ」
「敵人の詐謀を覆して将兵の目を覚まさせるには、相応の演出が必要だ。ただ道理を説いても、かえって疑いを深めることになる」
「演出とは、どのような?」
ナユテはくすりと笑うと、
「二、三日、時を貰いたい。件の道士やら風の状況やらを観察して、話はそれからだ」
「好し、『馬のことは馬飼い』だ。この件は神道子に委せた。要るものがあれば、すぐに言え。何でも君の言うとおりにするだろう」
「承知した。ではまず白夜叉と病大牛を貸してもらいたい」
ヒィは首を傾げて、
「白夜叉はともかくとして、病大牛は下々のもの同様、かの道術を怖れているようであったが」
「だから良いのだ。あの正直な好漢の蒙を啓くことができれば、それで可しというわけだ。いろいろと訊けば、きっと役に立つだろう」
「なるほど。セチェン(知恵者)の言葉だ」
ヒィ・チノはおおいに喜んで、早速二人をナユテの下に配した。
ナユテはまずゾンゲルに命じて屈強の兵を十人ばかり集めると、その日のうちに高さ一丈半(注1)ほどの櫓を作らせた。できあがるや、独り梯子を上って、あちこち視線を廻らす。またテンゲリを仰いで、雲の動きや日輪の周辺をじっと眺める。
ミヒチはゾンゲルと並んで下で待っていたが、ナユテは一向に降りてこない。次第にむずむずして居ても立ってもいられず、さっと両手で梯子を摑んだ。傍らのゾンゲルが跳び上がって、
「うひぃ! 何をしようとしてるんで!?」
ミヒチは目もくれずに言うには、
「うるさいねえ。ちと様子を見てくるのさ。お前は重いんだからついてこなくていいよ」
ますますあわてて、
「や、や、や、お待ちください! そんな、危ないですぜ!」
「うるさい! 大きな声出すんじゃないよ。驚いて踏み外したらどうすんだい。黙って待ってな!」
強く言えば、ゾンゲルは、
「……はい、姐さん」
縮こまってそう答えるほかない。ミヒチはさすがに哀れに思ったか、
「心配要らないよ。例の鴉楼(注2)のほうが高かったからね」
言い残すと、もはやこれを顧みずするすると上っていく。櫓の上に達すると言うには、
「……何か判ったかい?」
一応は遠慮がちに声をかければ、おもむろに振り返って言うには、
「ああ、白夜叉か。……そうだな、おおよそのことは解ったと思う」
「さすが神道子! それで……」
ナユテはそれを片手で制すると、
「あわてるな。私の見たところが正しいか、しかと確かめなければ」
「はあ……」
「そこで、ふたつほど予言しておく。まず、明日の昼過ぎまで風は吹かない」
「ということは、敵の攻撃も……」
「ない。ハンに伝えて、明朝試みに攻めかけさせよ。そうしても風は吹かず、敵は守禦に徹するだろう」
ミヒチは黙って頷く。ナユテがまた言うには、
「そして明後日、あるいは遅くともその翌日には、おもしろいものを見せられると思う」
「おもしろいもの?」
「然り。かの道士の偽りをきっと暴いてやろう」
「へえ、そいつは楽しみだけど、いったいどうやって?」
ミヒチの問いにナユテは悪戯っぽく笑っただけだったが、このことから神道子の名声はいよいよ高まり、尸解道士の虚名は一瞬に地に墜ちる次第となる。俗に謂う、「医者の前で薬を語るな」とはまさにこのこと。
一知半解の浅薄な知識をもって己を誇大に見せんとしたがために、真の智恵の前にあえなく馬脚を現し、ついに末代まで嘲られることになるのである。果たして、神道子はいかにして尸解道士の術を破るか。それは次回で。
(注1)【高さ一丈半】一丈は約2メートル35センチ。よって一丈半は約3.5メートル。
(注2)【例の鴉楼】神都包囲の際、投入された攻城兵器。その高さは約二丈。第一五九回①参照。ミヒチはかつて敵情を偵察するため、鴉楼に上ったことがある。第一六〇回④参照。




