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草原演義  作者: 秋田大介
巻一三
743/785

第一八六回 ③

ハレルヤ人外の勇を(ふる)いて亜喪神を退け

ヒィ・チノ妖風の害を憂えて神道子を招く

 というのも、左翼(ヂェウン・ガル)にあったチンラウト軍五千が、ムカリ勢の側面を援護するように漸進(ぜんしん)しはじめたのである。ハーミラ率いる紅百合社(ヂャウガス)の五千騎もことごとく騎乗して、今にも飛びだそうとする構え。


 これに正対するのは、ムジカの一万五千騎。陣頭の皁矮虎(そうわいこ)マクベンが血気に(はや)って突出せんとするが、辛うじて笑小鬼アルチンが制する。本営(ゴル)早馬(グユクチ)を送れば、ムジカは碧水将軍(フフ・オス)オラルに(はか)って、


「さて、どうしたものかな」


 答えて言うには、


「奸謀を疑うべきだ。軽挙は慎んだほうが良い」


 ムジカはおおいに喜んで、


「まったく同感だ」


 すぐに前線に命令(カラ)を下して妄動を戒める。マクベンは不服そうに(フムスグ)(しか)めたが、すかさずアルチンに(たしな)められる。




 一方、(ブルガ)右翼(バラウン・ガル)は、ゴルバン・ヂスンの一党。こちらも俄かに伝令が忙しく行き交い、ただならぬ気配を示す。それを遠望したギィは、やはり傍ら(デルゲ)の蓋天才ゴロを顧みて、


「しかけてくるかな?」


 問えば、ゆっくりと首を振って、


いや(ブルウ)、おそらくは陽動に過ぎぬ。だが、(ひそ)かに何か企んでいると看るべきだ」


 ギィはからからと笑って、


「なるほど。セチェン(知恵者)の思考とは実に面倒(ヤルシグタイ)なものだ。好し(サイン)、正面に(とら)われず、広く警戒するようみなに伝えよ」


 命を受けた迅矢鏃(じんしぞく)コルブ、隼将軍(ナチン)カトラ、(えん)将軍タミチら諸将は、四囲に十分に目を配る。


 果たしてそれが功を奏する。


 再びムカリがナルモント軍と干戈を交えて幾許(いくばく)か経ったころのこと。ギィの預かる左翼のさらに東方、高原の尽きるところ、すなわちなだらかに土地(コソル)が下ったその彼方から、(にわ)かに軍勢が現れた。どっと喊声を挙げて突撃してきたのは、飛天道君トウトウの五千騎。高地から見えぬ死角を辿って近接(カルク)したもの。


「ほう、蓋天才の予見(ヂョン)()たったぞ」


 ギィは嬉しそうに言うと、あわてることなく迎え撃つ。すでにして備えてあれば、将兵に動揺するものもない。一斉に馬首を転じて、整然と立ち向かう。


 これには奇襲をかけたトウトウのほうが惑乱を(まぬが)れない。敵人(ダイスンクン)の意表を衝いて自在(ダルカラン)に暴れ回るはずが、いざ兵を合わせてみれば完全(ブドゥン)に真っ向から激突したからである。よって、ほどなく散々に追い散らされる。


 そうこうするうちに吹き荒れていた(サルヒ)が徐々に治まる。梁軍は、疲労のためか車上に膝を突いた尸解(しかい)道士を守って、粛々と退いていく。ついに撤退を命じる銅鑼が鳴り(わた)って、執拗に留まっていたムカリ軍も(ようや)く反転する。




 こうして初日の(ソオル)は、北軍がやや優勢のうちに()わった。南軍は風とともに襲来し、風とともに退却した。ヒィ・チノは夕刻(ヂルダ)になると、両翼の諸将を幕舎(チャチル)に召致して言うには、


「戦そのものは大過ないが、あの強風……。あれをどう思う?」


「うひぃ」


 思わず(ダウン)を挙げたのは、近侍する病大牛ゾンゲル。どうやら魔術(エスベル)を疑って怖れている様子。ヒィ・チノは僅かに眉を(ひそ)めたが、かまわず続けて、


「梁軍中に怪しげな道士の姿(カラア)を認めたが……」


「俺も見たぞ! だが、単に風を吹かせるだけのこと。怖れる必要(ヘレグテイ)があろうか」


 遮るように吠えたのはドクト。ギィが呵々と笑って、


「あれが(ウネン)の道術としたら、風を吹かせるだけとはかぎるまい」


「すると獅子(アルスラン)は、あれを真の道術と看るか」


 ヒィ・チノが意外に思って問えば、いよいよ笑って、


「まさか! だが不思議なことではある。何より兵衆の中には怖れるものもある。放ってはおけまいよ」


「それはそうだが、ただ怖れるなと言ってもな。人の心情(ドウラ)は御しがたい」


 と、珍しく隅でおとなしくしていたミヒチと(ニドゥ)が合う。


「何か言いたそうな(ヌル)だな、白夜叉」


「そんな顔してませんよ!」


「お前には考えがあるだろう」


 ミヒチはやや(ハツァル)を膨らませて、


「道術なんて実際に見たことありませんからね。私には考えなんてありません」


()()()?」


 聞き(とが)めれば、


「まったくうちのハンは(チフ)が良いね! ええ(ヂェー)、そうですよ。俗に謂うじゃありませんか。『(モリ)のことは馬飼い(アドゥウチン)に訊け』ってね」


「そうか、お前が言うのは……」


ええ(ヂェー)。私らがあれこれ言い合ったって、何にもなりゃしません。この類の話は神道子に諮るべきです」


 ヒィ・チノはおおいに喜んで、早速キセイを送りだす。彼がナユテを連れて戻るまでは、専守に徹することとして解散する。




 翌日もまた昼過ぎから、風が起こるとともにムカリ軍が攻め寄せる。やはり梁軍の守る(テルゲン)の上には(くだん)の道士があって、一心にテンゲリに祈りを捧げている。北軍の将兵には、ますます怖気づくものもあって何とも気勢が上がらない。それでも名将たちの差配よろしきを得て、敵は得るところもなく退く。


 この(ウドゥル)は飛天道君の奇襲もなかったが、それもそのはず、東方へは黒鉄牛(ハラ・テムル・ウヘル)バラウンを、西方へはアルチンをそれぞれ()って哨戒させたからである。


 こうして小競り合いを繰り返しつつ、待つこと三日。キセイがナユテを伴って帰還した。

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