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草原演義  作者: 秋田大介
巻一三
742/785

第一八六回 ②

ハレルヤ人外の勇を(ふる)いて亜喪神を退け

ヒィ・チノ妖風の害を憂えて神道子を招く

 ムカリは相も変わらぬ豪勇無双、北軍の将兵をまるで寄せつけぬ鬼神(チュトグル)のはたらき。もとより衛天王カントゥカと盤天竜ハレルヤを除けば、草原(ミノウル)に当たりうるものとてない豪のもの。


 先にその両雄に(もてあそ)ばれて折れかけた自信もたちまち回復して、おおいに暴れ回る。その兵衆もまた発奮して、一騎当千の猛勇(カタンギン)を示す。


 さりとて北軍の先陣を担うのもまた天下に名高き勇将たち。よく踏み止まって、しっかりと戦列(ヂェルゲ)を維持する。一進一退の攻防を繰り広げて、やがて膠着に至る。業を煮やしたドクトはオノチに(はか)って、


「亜喪神さえ封じれば、たいした(ブルガ)ではない。参るぞ!」


 返辞も聞かずに三叉矛を高々(ホライタラ)と掲げて馬腹を蹴る。それを見たオノチは、


承知(ヂェー)


 短く応えて、あとに続く。時を同じくして、ナルモントのモゲトもまたムカリを抑えんとて、兵衆をカノンに(まか)せて突進してくる。かくして三将が(クチ)を併せてこれを取り囲み、一斉に撃ちかかった。


 ムカリはひとつ舌打ちすると、


「あああ、鬱陶しい! この(エレムデク)(・ヂェムデク)どもがぁっ!!」


 戦斧をぐるりと旋回させれば、三方からの攻撃を一度に弾き返す。しかしそれで(ひる)む三将ではない。右から左から前から後から、代わる代わる得物を繰りだす。さすがの亜喪神も(アミ)をする暇もない。


 そうして主将が(フル)を止められている間に、徐々に北軍が押し返しはじめる。カノンに加えて中軍(ゴル)よりミヒチも駆けつけ、この両個の女将軍の沈着な指揮が功を奏する。


 ドクトの睨んだとおり南軍はムカリあっての剛勇、副将たるシャギチとて決して無能(アルビン)ではないが、いかんせん練度の差は覆いがたい。


 ところが今にも崩れようかという瞬間、ごぉっと天空(テンゲリ)より突風(ハラ・サルヒ)が吹きつけて、北軍の将兵は(エレグ)を潰す。


 彼方を見遣(みや)れば、いつの間にか梁軍が数百歩ほど前進している。先頭の車上にあるのは怪しげな風体の道士。何やら一心に呪文を唱えている様子。さてはかのものの仕業かと(いぶか)り、(おそ)れるうちにムカリ軍は息を吹き返す。


 巫術の類を嫌うヒィ・チノは、(フムスグ)(しか)めて、


「この世に(サルヒ)を操る術などあろうはずがない。偶々(たまたま)の突風を、さも魔法(エスベルン)のごとく装っているに違いない」


 とはいえ、無智(ハラング)の兵卒が恐れを抱くのはやむをえない。そこで金鼓を鳴らしてこれを正気に返し、旌旗(トグ)を振るって統制せんと試みる。(ようや)く乱れかけた陣形(バイダル)を整えたが、すでに優勢は失われて再び膠着に(おちい)る。


 そんな戦局を一変させたのは、一人の猛将(バアトル)。亜喪神ではない。先にヒィ・チノより前軍(アルギンチ)へ移るよう要請されたハレルヤが、ついに大刀を引っ()げて駆けつけたのである。


 彼は単騎自陣を飛び出すと、そのまま躊躇なく敵軍の側面より突入した。まことに不羈(ふき)(ほこ)()()(ノヤン)相応(ふさわ)しい方途。


 何とたった一騎の突撃に、ムカリ軍はどっと浮足立つ。まるで羊毛でも刈るがごとく、みるみる戦陣が()がれていく。大刀が(ひらめ)くたびに、まとめて二騎、三騎と(アミン)を落とす。


 瞬く間(トゥルバス)に数十騎が戦場の(シウデル)消えた(ブレルテレ)。ハレルヤは息ひとつ切らさず、淡々と屍の山(ウクレン・アウラ)を築きながら突き進む。


 副将のシャギチが愕然として戦列を立て直そうとしたが、兵衆は恐慌を(きた)してどうにもならない。雄心(ヂルケ)あるものは辛うじて逃げ惑い、雄心なきものに至っては(すく)んでいるうちに討たれる。


「おのれ、盤天竜め」


 シャギチは憤慨して弓を手にすると、ひとまず兵の指揮は諦めて、そっとハレルヤの後背に回り込む。幸いにして見つかることなく、狙われていることに気づいた様子もない。雀躍して(セトゲル)のうちで叫ぶ。


「おお、これぞ天祐! 私があの人外を葬ってくれようぞ!」


 この(チャク)を逃すまじとて、ひょうと矢を放つ。


 次の瞬間、シャギチは我が(ニドゥ)を疑った。あろうことか、ハレルヤはさっと身を(よじ)って、飛来する矢をいとも容易(たやす)く避けてしまったのである。そして悠然と馬首を(めぐ)らすと、涼しげな(ヌル)でまっすぐシャギチに視線を注ぐ。


「あ、あ、あいつは背後にも目が付いているのか!」


 シャギチは途端に縮みあがって歯の根も合わなくなる。(ガル)も思うように動かず、いつの間にか弓も落としてしまっている。


 さらにハレルヤがおもむろにこちらに向かってきたのを見ては、生きた心地もしない。あわてて手綱(デロア)()ろうとするが、目の前にあるにもかかわらず、うまく(つか)むことができない。視野も次第に狭窄して、ひたすら焦るばかり。


「あ、あ、あ、死ぬ、死ぬ。逃げなければ、逃げなければ。手綱、手綱、どうして手綱が握れない!?」


 惑乱するシャギチの(チフ)に叱咤の(ダウン)が飛び込む。


「おい、しっかりしろ! 俺がここにあるぞ!」


 はっとして顧みれば、そこにはムカリの姿(カラア)。自軍の危殆を察して、何とかドクトらを振りきってきたもの。


「あ、ああ、ムカリ様!!」


 俄かに安堵して、ぱっと視界が開ける。


「少し退()くぞ。おそらく神箭将(メルゲン)は追ってこない。そうすれば、いくら盤天竜といえども単騎にて深追いはするまい」


はい(ヂェー)!」


 主従は並んで逸散(いっさん)離脱(アンギダ)する。退却の金鼓が鳴り響けば、将兵もほっとしてこれに続く。しかし中軍から撤退の命令(カラ)は出ていない。そこで中途で足を留めて、態勢を整えることにする。


 案の定、ヒィ・チノはこれを去るに任せて追撃しなかった。というのも、彼の任務(アルバ)は後続の軍勢が来るまで陣地を確保しておくことであって、あえて決戦に訴える必要はなかったからである。


 強風はまだ吹き続けている。ツァビタル高原における(ソオル)は始まったばかり。緒戦にムカリの突貫を退けたとはいえ、試みに手を合わせた程度のこと。両軍が対峙する形勢に何ら変化はない。


 やがてムカリ軍は再び前進に転じる。とともに南軍のほかの軍勢にも、先とは違う動きがあった。

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