第一八六回 ①
ハレルヤ人外の勇を揮いて亜喪神を退け
ヒィ・チノ妖風の害を憂えて神道子を招く
さて、各処で南軍を破って意気揚がる北軍は、クフ平原にて約会を果たした。総勢、十三万数千騎。南に逃れた四頭豹たちを索めれば、ツァビタル高原に参集していることが判った。
そこで超世傑ムジカと獅子ギィを先鋒として送りだす。さらに神箭将ヒィ・チノが続く。この三人のハンこそ、「チェウゲン・チラウンの盟」を結んだ草原に冠たる英傑たち。
ツァビタル高原を望んだところで、ヒィ・チノは余の二人に策戦について諮った。ムジカはこれに答えて、かまわず命令を下すよう促す。言うには、
「ハーンの言葉を忘れたか。君は『万人長の中の万人長』ではないか。我らが従うのは当然のこと」
ギィも同意したので、ヒィ・チノは思うところを告げた。すなわち、
「直ちに兵を発して前段の中央付近まで進出する」
みなおおいに喜ぶ。三翼の軍勢はゆっくりと歩を進めて敵軍に正対した。その中核は、ヒィ・チノの第二翼。右翼にはムジカの第三翼、左翼にはギィの第七翼が列なる。
対する南軍の陣営からも、北軍が布陣した様子がよく見えた。四頭豹ドルベン・トルゲは傍らの混血児ムライに言うには、
「……来たな。彼奴らが先陣とは、いささか面倒ではある」
「今のところ兵力は互角。しかし……」
「然り。敵はまだ半数も至っていない」
「では、全軍うち揃う前に」
「しかけるべきだろうな。……亜喪神を呼べ!」
先に聖医アサンの神智の前に散々に撃ち破られた亜喪神ムカリは、与えられた兵の大半を失い、ほぼ身ひとつで逃れてきた。無事シャギチと再会はできたものの、懲罰は免れまいとて自縛して四頭豹に見える。
ところが案に相違して四頭豹はこれを叱責することなく、麾下の兵を分け与えて再び将とした。ムカリは感激して雪辱を誓った。三々五々逃れてきた敗兵を収めて、漸く一万五千騎に達する。今や南軍の最前列にあって腕を撫していた。
四頭豹は、命に応じて参上したムカリに言うには、
「お前の猛勇を恃むときが来た。合図とともに突撃して、存分に暴れてこい。あとはこちらに策がある」
「承知!」
前線に戻ったムカリは、引き絞った矢のごとく力を充満させてその瞬間を待つ。横溢する闘志は兵衆にも伝播して、みるみる戦意昂る。応じて右翼の三色道人ゴルバンはもちろん、左翼の吸血姫ハーミラ、チンラウト、果ては梁軍までもが殺気を漲らせる。
その梁軍を率いているのは、鬼頭児魏登雲ではない。ヴァルタラでは副将だった矮飛燕こと拓羅木公。ヴァルタラから撤退する途上、ギィに遭遇して敗れたことですっかり怖気づいた魏登雲は、ツァビタルに兵を送ることを躊躇っていた。光都に籠もって趨勢を窺うつもりだったが、四頭豹から参戦を促す早馬が頻々と至る。
頭を抱えていたところに、尸解道士の異名を持つ林孟辰が進み出て、
「我が道術をもって蛮族どもを退けてご覧に入れましょう」
自信満々に言うので、半信半疑ながら兵を出すことにした。とはいえ、あれこれと言い繕って自らは光都に残り、代わりに拓羅木公を送った次第。
その林孟辰は、開戦も近いとて指を組んで何やら呪文を唱えはじめる。と、何としたことか、ひゅうひゅうと追い風が巻き起こる。ただの偶然か、玄妙な道術のはたらきかは判らぬが、もとより臆病な梁兵も雄心を掻き立てられる。
南軍のただならぬ気配は、もちろん北軍にも伝わる。ヒィ・チノはミヒチを顧みて言った。
「風が出てきたな……。まもなく戦機は熟す」
憂い顔で答えて言うには、
「ええ。きっと亜喪神が突貫してくるに違いありません」
「懸念は無用。癲叫子と雷霆子に委せておけばよい」
「ですが……」
「ははは、そんな顔をするな。好し! 左翼に伝令。盤天竜殿を借り受けよう」
それを聞いた神行公キセイがすぐに駆け去る。
「これでよかろう。緒戦に敵を破る必要はない。適当にあしらいつつ、ハーンの到着を待てばよいのだ」
「しかし四頭豹としては、その前に我らを撃ち破りたいはず。ただ無策に力戦に訴えるとは思えません」
ヒィ・チノは嬉しそうに笑うと、
「やはりお前は賢いな。だが、案ずるな。超世傑も獅子も天下の名将。俺がいちいち言わずとも、すでに変事への備えは万全のはず。まあ、観ていろ」
こと戦に関しては天賦の才を有つヒィ・チノが断言するからには、ミヒチがそれ以上言うことはない。
と、ヒィ・チノの表情がさっと一変する。
「来る!」
言うや否や、敵陣からどっと金鼓が鳴り響く。間髪入れずに喊声が湧き起こり、前軍が一斉に突撃してくる。さながら大地そのものが俄かに滑りだしたかのよう。
「迎え撃て!」
凛乎として命じれば、負けじと金鼓が轟く。癲叫子ドクト、雷霆子オノチ、一丈姐カノン、小金剛モゲトといった勇将たち率いる兵衆は、整然と戦列を保って前進しつつ、矢を番える。十分に近づいたところで、
「斉射!」
放たれた矢はたちまちテンゲリを覆って、敵軍に吸い込まれる。しかし「勇将の下に弱卒なし」とはよく謂ったもので、盛んに応射しながら突っ込んでくる。




